徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

〔02〕徘徊老人~スプリング・エフェメラル

f:id:haikaiikite:20190406100631j:plain

春の先駆け~オオイヌノフグリ

春を探しに徘徊する

 私にとって、春の到来をしみじみ感ずるのは、暦の上でも、日差しの温かさでもない。徘徊中、路傍にある草の花を見出した時である。彼女らが葉を伸ばし始めたことに気が付いたとき春が近いことを思い、その草の花を一輪でも見出した時、私は心に春の訪れを実感するのである。

 その花は「オオイヌノフグリ」であるが、ときには「ヒメオドリコソウ」や「ホトケノザ」、「オランダミミナグサ」であることも。いずれも、いかにも”雑草”という風情であり、ほとんどの人は目にとめることはないので、道の辺にけなげに咲いていても、踏みつけられてしまう場合が多い。それでも、彼女らは毎年、花を付け、私に春を告げてくれる。

スプリング・エフェメラ

 スプリング・エフェメラル~春は儚い。エフェメラルとは命の短さをいう。華やかな時期はいつも短いからこそ、そこに艶やかさと悲しみが同居している。

 中島みゆきの名作に『春なのに』がある。”春なのにお別れ”という表現が秀逸で、「春は別れ」と言ってしまえば、単に卒業を意味するだけだし、「春は出会い」ならば入学や入社を意味し、どちらも当たり前田のクラッカー。それを「なのに」と表したところに名作の名作たる所以がある。

 この心象は、仏詩人のコクトーの「人は多くの人々を知っているが、彼らがどうなったのかは知らない」という言葉にも通じていると思う。

 歴史上の出来事でも、春は「華やかと儚さ」が同居している事柄の場合に使われることがある。1848年の「諸国民の春」であり、1968年の「プラハの春」である。いずれも、背景は異なるにせよ、自由化を求めた運動が束の間の勝利を得たももの、その後はさらなる圧政を生んだという事件だ。自由を完全に勝ち取り、その後も発展を続けたのなら、決して「春」という言葉は使わないはずだ。ここにもスプリング・エフェメラルが含蓄されている。

スプリング・エフェメラル~儚い花たち

 エフェメラルは、生き物にも使われる。カゲロウは幼虫の時期はともかく、成虫の時期はとても短い。「カゲロウのようだった」という言い方は、カゲロウの成虫のように、華やかな時が短かったことを表現する時に使われる。 実際、カゲロウ目の学名はEphemeropteraであり、”エフェメラ”が用いられている。

f:id:haikaiikite:20190406111941j:plain

スプリング・エフェメラルの代表的な花

  狭義では、スプリング・エフェメラルは、3~4月ごろに咲く多年草の植物を指すことがある。大半はキンポウゲ科のもので、落葉林の多い里山や渓谷、野辺に見られた。が、自然のものは林の喪失、破壊、盗掘などで多くが失われており、今では、保護林や自然園、山野草店や園芸店、趣味人の庭などで見ることが多い。

 私も以前、庭のある家に住んでいたときは、カタクリフクジュソウイチリンソウニリンソウアネモネ、レンゲショウマ、ミヤマオダマキ、セツブンソウ、ミスミソウオキナグサラナンキュラスクレマチスなどを育てていたことがある。

 以上がすべて、スプリング・エフェメラルと呼ばれるわけではなく、特に、フクジュソウイチリンソウニリンソウ、セツブンソウ、オキナグサキクザキイチゲアズマイチゲなどが代表的な存在だ。アネモネオダマキラナンキュラスクレマチスは、今では改良園芸品種として、ガーデニングファンの家やホームセンターの園芸コーナーでは早春から初夏の間、かなり長い期間、見ることができる。

f:id:haikaiikite:20190406120741j:plain

エフェメラルは目覚め、春の日差しを浴びようと背伸びする

 花を落としたエフェメラルたちは、入梅のころまでは葉のみで生活し、日の光から活力を得る。 が、いつのまにか地上からは姿を消し、初夏から冬の間は根のみで土中にて栄養分を吸収し、春の訪れを待つ。

 多くは3月の初めころ葉を見せ始めるが、中には、花芽が先に伸びて地中から顔を出し、まずは花を開かせてから葉が広がり始め、その後多くの花を咲かせるという品種もある。いずれにせよ、開花期は短く、美しい時はとても儚い。

f:id:haikaiikite:20190406121908j:plain

イチリンソウは群生することが多い

 イチリンソウニリンソウは群生することが多いため、ひつひとつの花期は短くとも、全体を望めば、ある程度の期間、花に接することができる。

 スプリング・エフェメラルと呼ばれる花たちは、土中にいる期間が長く、その間に根を広げて仲間を増やしている。自然環境の急変がなければ、数株だった花でも、次の春には十数株に増えることが多い。その限り、”世界にたった一つの花” などというものはなく、花はあくまで”類として存在“しているのだ。

 この点、人もまったく同じで、”オンリーワン”を主張するのは幻想にすぎず、単なるエゴでしかない。

f:id:haikaiikite:20190406123819j:plain

エフェメラルではないが、私の最も好きな花。一人静(吉野静)とは、まさに私のようだ

 

 

 

〔01〕徘徊老人・城ケ島に行く

 ブログ、はじめました。

 「冷やし中華、はじめました」なら季節感を覚えることができるが、いまさらブログを始めたところで、関心を抱く人はほとんどいないと思う。

 日記など、生まれてから一度も書いたことはない。書きたいと思ったこともなかった。SNSにも興味は全くわかない。

 それが、この期に及んでブログをはじめるというのは、徘徊老人として、まだ何とか生きているぞ、という自身の実感を確認したいと思ったことからにすぎない。

 f:id:haikaiikite:20190404132008j:plain

釣りは人生の半分!

 過日、中学校の同窓会があった。同級生から、「今何をしているのか」と聞かれたので、「夏から秋は鮎の友釣り、冬から春は磯や堤防でのメジナ釣り、以上」と答えたら、「ガキの頃と少しも変わらないな」と呆れられた。「相変わらず、お目出たいやつだ」とも。

 こんな時、少し知的なヤツは概ね、開高健の『オーパ!』にある中国の古諺なるものを引用し、「三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。永遠に幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい」とかいう名言(迷言)をのたまってくださる。いったい、何度同じ言葉を聞いたことやら。

 この言葉を聞くと、「幸福を求めるために釣りをするのではない、釣りの結果、幸福が生まれるのだ」と答えることにしている‥‥暇なときは。

 幸福を欲するから釣りをするというのは、仮言命法だ。釣りでなくて他のことでも良いことになる。これは、カント的に言えば非道徳的行為である。我が内なる実践理性は、「釣りをすべし」という定言的命令を私に与える。私にとって、釣りは道徳的義務なのである。「~を欲する」(wollen)としての釣りではなく、「~すべし」(sollen)としての釣りなのだ。この辺を話だすと、大体、自分の周りからは人がいなくなる。気を遣う必要がなくなるので、とても楽である。

 小学生前は近くの小川で、小学生時は主に多摩川で、18歳ころからは海釣りをはじめ、いつしか、日本全国を釣り歩くようになった。川や池、湖での釣りを含めれば、47都道府県のすべてで竿を出したことがある。

 ともあれ、長い人生の半分は釣りに費やしてきたことは確かで、残り少ない余生もまた、釣り中心の生活が続く。

f:id:haikaiikite:20190404135546j:plain

4月3日の唯一の釣果

城ケ島は今日も釣れず

 海釣りといってもほとんどウキ釣りしか行わず、対象魚はほぼメジナに限られる。関東ではあまり馴染みのない魚だが、西日本、とくに四国や九州では、釣りの一番のターゲットである。関東の海にもメジナはたくさんいるのだが、色が地味なこともあって、市場に出回ることは少ない。自分では釣っても食べることはまずないが、仲間の話では、かなり美味とのこと。少なくとも、タイよりはうまいようだ。

 釣りの対象としてはベストの存在で、釣れるときは馬鹿々々しくなるほどに釣れるが、海況のほんの少しの変化で全く釣れなくなることが多い。というより大抵は釣れず、数匹釣れればまずまず、2桁釣れれば大漁と言って良い。引きはかなり強く、掛けるまで、そして掛けてからも面白い。サイズは10~60cmぐらい。20~25cmは手のひら、30cm以下は足の裏、35cmほどで中型、40cm級が良型、50cm以上が大型、60cmを超えれば超大型だ。

 今回出掛けた三浦半島・城ケ島の磯では、35cm超で一応納得、40cmを超えれば満足といったところ。3月中は、40cm級が顔を出していたので、4月に入れば、40cmアップがわんさか、と期待したのだが、実際、姿を見たメジナは30cmが1匹のみ。私と仲間と3人で、朝7時から夕方6時まで粘っての結果がこれだ。今季は水温の変動が激しく、”4月は残酷な月”なのである。

f:id:haikaiikite:20190404141545j:plain

諦めの悪い釣友

釣り人はいつも、今日と格闘する

 帰途、釣具店や釣り餌店に当日の結果を報告することがある。ほとんどが最悪に近い釣果なので、励ましの意味だろうか、腕の悪さの指摘なのだろうか、「昨日は釣れたのに」だの「明日は良くなるよ」などとよく言われる。釣り人にとって大事なのは今日なのだけれど。

 昨日釣れていたとしても、昨日に戻って出かけることはできない。明日釣れるとしても、出掛けたときには、すでに今日になっているのである。釣り人に限ったことではないけれど、人は昨日に生きることも、明日に生きることもできず、永遠の今があるだけなのだ。

 東京郊外に住む私にとって、海はあまり近くはない。城ケ島までは約80キロ、要する時間は往復5時間。それでも、磯釣り場としては、城ケ島は自宅から一番近い所にあるポイントのひとつ。時間とお金をかけた結果が、メジナ1匹。

 それでも、後悔は全くない。帰りにはもう、次の釣りの予定と、食い渋ったときのメジナの攻略法を考えている。帰りの2時間半、運転中ずっと考えっぱなしなのだ。そうすべしと、わたしの実践理性はそう要請し続けているのだから。