徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の徘徊模様

〔05〕徘徊老人~沼津の海岸散歩する

ここに川終わり、海始まる

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川の左岸から河口方向を見る

 狩野川は、私に鮎の友釣りの楽しさと難しさ、奥深さを教えてくれた。鮎釣りは主に中流域で行うので、沼津市はいつも通過し、伊豆の国市の大仁から伊豆市の嵯峨沢橋の間で竿を出す。今回は、鮎釣りはまだ解禁されていないので通過はせず、沼津市の海岸線をあちこち訪ねて歩いてみた。

 まず、狩野川の河口付近を徘徊した。ここで川は終わり、海に注ぐ。「ここに川終わり、海始まる」は私の造語ではあるが、実を言えば、ポルトガルのロカ岬にある石碑の「ここに地終わり、海始まる」からのパクリだ。ロカ岬はユーラシア大陸の最西端にあるので、確かに「地終わる」は妥当なのだろう。さらに言えば、実際にロカ岬に行ったわけではなく、宮本輝という作家の小説の題名からこの言葉を知っただけなのだ。

 すべての川が海に注ぐわけではない。三日月湖のように、川が途中で消失したり、渇水期の大井川のように、流れが痩せて河口まで届かず、あちこちでプール状になってしまったりすることもある。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」ではなく、「濡れずに渡れる大井川」ということも夏にはよくあるのだ。

 狩野川天城山から一気に駆け下るため、下流域に大量の土砂を吐き出す。また、支流も多く、大見川(鮎釣り好きが喜ぶ)や柿田川(清流好きが喜ぶ)、黄瀬川(歴史好き、忍者好きが喜ぶ)などもあちこちから水を集めて狩野川に注いでいる。川からの土砂は平地を形成する一方、氾濫の危険性をいつもその沖積平野にもたらす。

沼津市の名前を勝手に推理する

 地名の由来を知るのは楽しい。ただすぐに調べるのでは面白くなく、まずは字面から勝手に推理してみることにしている。国立市大田区更埴市のように、字面からではまったく見当違いの推理になることもあるが、これはこれでいいのだ。

 この点、沼津はほぼ、字面から判断しても大筋は正しい答えが出せそうだ。さらに、今回のように沼津のあちこちを歩いてみると、その地形からも多くのヒントを得ることができる。

 「沼」は、上記のように狩野川の氾濫が下流域、つまり現在の沼津市街に湿地帯を形成したことから予想できる。また、富士山が蓄えた膨大な量の地下水が、扇状地の端で湧水となって地上に溢れ出ることも沼を形成する要因のひとつと考えられる。一方で、箱根連山からの火山灰や愛鷹山の山体崩壊などが氾濫原を埋めたので、平地のすべてに沼があるわけではないのも確かではあるが。

 「津」は簡単。津は狭義には港を表す。駿河湾は陸地を離れるとすぐに水深を増すので、港には格好だ。また、駿河湾の奥に位置するので、日和見港としても適地となる。また、水深のある海は、豊富かつ特有の海産物をもたらしてくれるので、漁業も盛んになる。このため、沼津のあちこちに良港が形成されている。

千本松原には何本の松があるのだろうか?

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松原は高い護岸で守られている

 千本松原は沼津市から富士市まで10キロほど続く。松は防砂林や防風林としてよく用いられるので、日本各地に「~の松原」の名がある。同じ静岡県には「三保の松原」があり、そっちは「日本三大松原」のひとつに数えられている。三保には羽衣伝説があるので知名度が高いのは致し方ないが、規模ではこっちの松原のほうが断然大きい。ただ、こちらは写真のようにかなり高い護岸が海岸との間にあるので、景観は劣るかも。 

 開発のため、この松原を伐採する計画が持ち上がったとき、先頭に立ってこれを阻止したのが、沼津の海をこよなく愛し、この地で生涯を終えた歌人若山牧水である。牧水は、酒と旅をこよなく愛した。肝硬変で43年で人生を終えたのは酒のせいだったのだろう。彼の旅は多くの地に足跡を残している。私自身、旅は大好きなのだが、いたる場所で、”牧水ゆかりの地”であることを証明するかのような碑を見ると、「こ奴、こんなところにも出没したのか」と感心するやら呆れるやら、だ。

 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

 幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 牧水は10代のときから歌人として名をなしていたのでその作品は多いが、私が覚えているのはこのふたつの歌しかない。”幾山河”の方は、旅好きならばすぐに共感できるし自分でも似た作品は浮かびそうな気もするが、”白鳥(しらとりと読んでください)”の方は、天才的という他はない。海を眺めていると、たくさんの白鳥が飛ぶ場面によく遭遇するが、空の青が透き通れば通るほど、海の群青が濃ければ濃いほど、白鳥の存在は風景から浮き出てしまう。そんなとき、いつも「あれはオレなんだなぁ」と、心の中で牧水のこの歌をひとり語りしている。

 千本松原は「千本浜」ともいわれ、「白砂清松100選」に選ばれている。試しに100選を調べてみたら、私は75カ所、目にしたことがあると分かった。しかし、その風景を記憶に残しているものは意外に少ない、ということにむしろ驚いた。

 清松はともかく、白砂はここ千本松原には妥当しなくなっている。この海岸の砂や砂利は、富士川が海に送り出したものが海流によって東側に運ばれて狩野川河口までの一帯に蓄積されたものである。が、駿河湾沿岸は海流の影響が強いためか、今では砂は少なく、小砂利や中砂利ばかりとなっている。さらにその砂利ですら潮の影響を受けて量が減少している。「玉石を持ち帰らないでください」という注意書きを出さなければならないほどの減少なのだ。もちろん、県では海岸線を養生するため、適宜、小砂利を運び込んでいるようだ。

 一方、松の数は開発によって一部「虫食い」状態にはなっているものの、まだ30万本くらいはあるそうなので、「清松」は維持されている。

 西伊豆の一部も沼津市

 沼津市というと東海道にあると考えそうだが、行政区域はかなり広く、伊豆半島の西北部や西伊豆の一部も市町村合併によって沼津市域となっている。伊豆半島の成り立ちを語り始めると話の終わりが見えてこないので今回は避けるが、とにかく火山とプレートの移動が作り出した半島なので、海岸線はすこぶる変化に富んでいる。この変化が港を生み、また釣り場を生んでいる。

 北向きの海岸線には釣りに適した堤防が多かったのだが、釣り人の”マナーの良さ”が「釣り禁止」区域の爆発的増殖をもたらしたため、竿の出せる堤防は限定的となっているのがとても残念だ。

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木負(きしょう)堤防はイカ釣り師でいっぱい

 三津(みと)シーパラダイスを過ぎ、県道17号線を西へ向かうと、長井崎、赤崎という連続した岬に出会う。それまでも江浦湾、内浦湾と複雑な海岸線を通ってきているので、この辺りから、ここがかつて海底の火山群であったことが想像できる。

 赤崎の先端部から対岸の江浦湾方向に突き出ているのが、写真の木負堤防である。長井崎や赤崎辺りは木負という集落名を持っている。木負は「きしょう」と読むが、これは「スルメ」を「アタリメ」、「閉会」を「お開き」というがごとくなのだろう。言葉は言霊なのだ。

 私は、この堤防では釣りをしたことはないが、のぞき見は何度となくしている。かつては投げ釣り(シロギスなど底生魚を狙う)やウキ釣り(メジナクロダイなど宙層にも移動する魚を狙う)の釣り師が大半だったのだが、現在は、イカ(特にアオリイカ)を狙う人が圧倒的に多い。正にイカ様様なのである。

 対岸(内浦湾方向)の山々を見ても、その様相はやはり火山群か、プレートの移動が生んだ大地の皺か、なのであろう。

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足保港堤防。北向きの釣り場では一番人気

 西浦と言えば”寿太郎みかん”で有名だが、釣り場としては、足保港にある堤防がこの一帯では一番人気がある。とくにカゴ釣り(大きなウキと餌カゴを付けて遠投する)が盛んで、底近くを遊泳するマダイを狙う。港の前方には養殖イケスがあり、常時、餌が投入されているので、天然のマダイもそのおこぼれを頂戴しようと集まる。そんな欲張りというか横着というか、そんな魚たちを釣り上げようとしてイケスの周辺に仕掛けを投入するのだ。しかし、今春はどの海でも低水温に悩まされているので魚の動きは良くなく、どの釣り人に聞いても「全然ダメ」という返答ばかり。

 この港は景色も”いかにも静岡”というもので、対岸には沼津市が誇る愛鷹山、その向こうには頭を雲の上に出している富士山 が見える。この日(18日木曜日)は昼近くからどんどん雲が湧いてきたので、天辺が少し覗けるだけだったが。

海流が造った不思議な岬、大瀬崎

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すっかりダイビングスポットになってしまった大瀬崎

 大瀬崎(おせざき)は、伊豆半島の西北端にあって、対岸の沼津市街方向に突き出ている。南伊豆の石廊崎近くには同じ「大瀬崎」(こちらは”おおせざき”と読む)があり、磯釣りファンには「おおせざき」のほうが馴染み深い。が、近年、といってもかなり前からではあるが、「おせざき」は絶好のダイビングスポットとして知られるようになり、今では大瀬崎といえば「おせざき」を指すのが当たり前になっている。

 海の透明度はかなり高く、大瀬崎海水浴場は水質が日本一になったこともある。岬に抱かれている浜なので、波もかなり穏やか。それでいて、岸から少し離れると水深は相当あるので、初心者からベテランまでが安心して水中散歩を楽しめるそうだ。

 外海側は潮がかなり速いので、十分に訓練されたダイバーでないと危ないらしい。が、他のスポットでは船で沖に出てから海に入るというのが通常なのだが、ここでは浜からすぐに好スポットへ行けるというのが魅力とのこと。

 15年ほど前は、よくこの外側のゴロタ石浜で半夜釣りに出掛けた。15~20時頃まで竿を出し、10~15mほど沖にあるカケアガリ(水深が段々と増す斜面)を狙うのだ。支度が整い、これからが釣り本番という時間になるとダイバーが海から上がってくる。他の場所では、ダイバーに「魚はいますか」と聞くと、「この辺にはあまりいない」という返事が常なのだが、ここだけは必ず「たくさんいますよ」という答えが返ってくる。それほど魚影が濃いのだ。釣れないことには変わりはないのだけれど。

 大瀬崎は、海流が造った岬だ。元々、先端部にある部分は離れ小島(琵琶島といったらしい)だった。それが、海流が南から西伊豆の海岸に沿って砂を運び、その砂が伸びて (これを砂嘴”さし”という)小島との間をつなぎ岬を形成した。

 黒潮は日本列島に沿って南から北東方向に進むのだが、伊豆半島の先端部に当たった一部の流れは、分枝流となって伊豆半島の西側を北上する。この流れが、大瀬崎では北方向に砂嘴を形成したのである。

 岬の先端部(小島だった場所)には「神池」がある。この池は不思議なことに純淡水なのである。池には淡水魚がたくさん泳いでいる。この池の形成理由は不明だそうだが、湧水以外は考えられないだろう。入り口には元気そうなオバサンが受付(入場料100円)をやっているが、もしかしたら、このオバサンが毎日、バケツで水道の水を運んでいるのかもしれないが。

 戸田港~カニイカと夕照と

  戸田(へだ)地区は沼津市に入る。2005年以前は戸田村だったのが沼津に編入された。戸田の南は温泉と金山で有名な土肥である。沼津市の行政区域は西伊豆のかなりの部分まで伸びているのだ。

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タカアシガニは世界最大のカニ

 戸田といえば「タカアシガニ」が有名だ。最大幅は4m近くになるというから超大型のカニである。食用とされるのはそれほど大きくはないが、それでもズワイガニなどとは比較にならないぐらい大きい。深海性のカニなのだが、駿河湾は水深があるので、このカニが戸田ではたくさん水揚げされたのだ。大きい割には足が細く、味もやや水っぽいと最初は敬遠されたそうだが、食してみると案外おいしい。

 最初に食べたのは25年ほど前だが、値段の割にはおいしくないと聞いていたので注文をためらったのだが、同行の釣り名人が”意外においしいよ”というので、一番安いやつを頼んだ。いざ食べてみると相当においしかったので、これなら中ぐらいのを頼むべきだったと後悔した。

 近年は不漁とのことで、何軒かある食事処の水槽にも姿はほとんど見受けられなかった。店に入れば中にある水槽で実物が見られるのだが、今回は財布の中身と相談した結果、店の看板の模造物で我慢した。

 

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港内の突堤で釣り上げられた大きなイカ

 戸田港も他の港と同様に複雑な地形を有している。また、港の出口は大瀬崎同様の形をした砂嘴で大きくふさがれている。このため、港内はとても波静かなので、かなり大きな船が停泊している。40年以上も前、この港を初めて訪れたときはその透明度の高さに感激したものだが、その後に訪れるごとに透明性が減じていくのは寂しいものだ。

 波静かな港内では釣りが盛ん。水深のある港内には小魚が豊富なためか、大きなブリがよく入り込んでくるそうで、足保港で見たようなカゴ釣り仕掛けで、このブリやマダイといった魚を狙っている。

 港を大きくふさいでいる御浜岬にある諸口神社前の突堤では、ひとりの釣り人がイカを狙って竿を出していた。今の時期は大型のアオリイカが狙えるとのこと。アオリイカ(バショウイカともミズイカとも)は大型になり、イカとしてはもっとも美味とされている。釣り人の特権として何度も食べたことがあるが、この上なく上品な味わいだ。

 この釣り人の竿は大きく曲がっていた。活きたアジをハリに掛けて泳がせ、そのアジをイカが抱き着く。通常の釣りとは異なり、イカをハリに掛けるのではなく、アジに抱き着いたイカを少しずつ寄せてくるのである。このため、強引に糸を巻けばイカはアジを離し、糸を緩めすぎてもやはり離す。常に糸にテンションを掛けながらゆっくりと寄せてくるのである。

 私には絶対に真似のできないほど慎重に寄せてきた結果、見事に取り込んだのが3キロ近くある大型のアオリイカだった。海面近くまで来るとイカは最後の抵抗を示すように墨を何度も吐く。このときまではヤエンといってハリの付いた仕掛けを送り込んであるので、少々の抵抗ではイカは離れることはない。

 私は、その大きなイカを目の当たりにしたとき、感嘆の言葉を発するのではなく、ヨダレを漏らした。

戸田の夕照

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港内から御浜岬方向を望む

  18日は次の日の釣りに備え、戸田港にあるビジネス旅館に泊まった。部屋の窓からは沈みゆく夕日が見えたので、カメラを持って外に出てみた。下層に厚い雲が垂れ込めていたので金色に輝く海をとらえることはできなかったが、夕照を浴びる船と海とをなんとか押さえることはできた。

 イカと夕照は捕らえられたので、あとはカニだ。当然、夕食はタカアシガニという成り行きになるはずなのだが、近くにある漁協のス―パーのパンとおにぎりで、腹の虫を抑えることにした。

水門とメビウスの輪

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展望水門とメビウス

 沼津港の出入り口には津波の侵入と、避難所として役割を果たすための大型展望水門”びゅうお”がそびえ立っている。展望台の位置は30mの高さがあるので、避難所としての役割は十分に果たせそうだ。普段は観光客相手の展望台として公開されている。夜間にはライトアップもされるそうだ。

 水門は「みなと」とも読み、この文字だけで港を表すこともある。沼津市場内から歩いて水門を望んでいたとき、台船の上にあった小舟の名が「メビウスⅢ」であり、その横に「メビウスの輪」が描かれていることに気が付いた。

 舟は台船の上にあってはその役割は果たさず、海の上に浮かんでこその舟なのである。舟が水門を超え、海に出たとき初めて舟は舟としての命が始まる。この限り、水門は海への出口であり海への入口である。水門は出口であると同時に入口として存在している。

 メビウス号にとって、水門は「メビウスの輪」の表なのか裏なのかは誰にも分からない。もちろん、メビウス号自身にとっても。