徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

〔10〕羽田空港周辺を飛び歩く

10代の頃、羽田空港は私の逃げ場だった

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京浜島つばさ公園から空港を望む

 10代の半ば頃からしばらくは羽田空港に出掛け、展望デッキから飛行機の離発着をのんびりと眺めるということがよくあった。

 学校に行くことは、最初の一か月で興味を失った。朝、京王線新宿駅までは一応行くのだが、混雑する山手線に乗るのが嫌で、通勤・通学ラッシュが一段落するまで新宿駅のホームで待った。いざ電車に乗ると、今度は駅には下りず、外の景色や乗客の行動を観察しながら時間をつぶし、まあるい緑の山手線で都内をぐるぐる回った。学校に着くころには、4時間目が始まっていた。

 山手線にいささか飽きた頃、今度は浜松町駅東京モノレールに乗り換え、羽田空港まで出かけることが多くなった。別に飛行機に興味があったわけではなかった。小学生の頃、一度だけ乗ったことがあったが、別段、感激はなかった。それよりは、新幹線のほうが乗っていて楽しかった。だから、小さい頃は、飛行機の運ちゃんではなく、電車の、さらにいえば新幹線の運ちゃんに憧れを抱いていた。

 一方、乗り物を見る側の立場となると、新幹線は一瞬にして目の前を通りすぎてしまうので面白みはない。それより、空港を飛び立つ飛行機が残す軌跡をたどるほうが、また空の中から点ほどの小さい姿を現した飛行機が段々とそれを拡大させながら空港に近づき、轟音を立てて着陸する様子を眺めるほうが楽しかった。今でも、年に30回ぐらいは飛行機の離発着を見るだけのために空港へ出かける。もっとも、今は羽田ではなく調布ではあるが。

飛行機の離発着を眺めるスポットの代表格だった”浮島町公園”

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川崎市の浮島公園には飛行機撮影ファンが多く集まる

 今の羽田空港はターミナルが立派になり過ぎ、かつ人も多過ぎるため、飛行機をのんびりと眺めるという気持ちにはとてもなれない。そこで、空港内ではなく周辺部から楽しむということになる。飛行機の動きを追いながらそれに自分の異郷への憧れも載せるなら離陸のときが良いが、迫力という点では着陸時のほうが断然面白い。私には、飛行機の離発着を写真に収めるという動機も趣味も今までなかったので、その撮影は今回がまったく初めてといっても良い。しかし、”眺める”という体験は、若い頃から今でもずっとしているので、羽田空港周辺の主だった”ビューポイント”は認知している。

 今回は、行きやすく眺めやすいポイントを飛び歩いてみた。マニアには”とっておきの場所”があるのだろうが、私にはそんなものはないので、既知の場所をあれこれと動きまわった。併せて、”羽田”という町にも、多摩川河口という場所にも魅力はたくさんあるので、”つばさ”だけを追う散歩ではなかった。

 古くから「航空機撮影ファン(撮りヒコ)」によく知られているのが、川崎市川崎区にある「浮島町公園」である。今では、「東京湾アクアライン」の浮島インターや首都高速湾岸線の浮島ジャンクションがあるところといったほうが馴染み深いかもしれない。

 ここにはかつて(今もなくなったわけではないが)「浮島町海釣り施設」があり、真上を飛び交う飛行機、眼前を悠揚と進む大型船などの姿を見ながら釣りができる場所として人気があった。が、その無料駐車場が”廃車置き場”と化してしまったため駐車スペースはなくなった。そのためアクセスが極めて困難となり、今では釣りに訪れる人は皆無に近くなった。一方、カメラ小僧やカメラ爺は自転車という機動性の良い乗り物を使ってここを撮影スポットに利用している。

 今回、近くにコインパーキングがないかどうか調べてみたのだが、周囲は工場や倉庫街なのでその手ものはまったくなかった。が、”にこにこパーキング”といって羽田空港を利用する客の車を数日間預かる駐車場が時間貸しで利用できるということが分かった(4時間以内1000円)ので、かなり割高ではあるがここに車を止め、公園まで出かけた。

 公園内には10名ほど、カメラを構えた”航空機ファン”がいた。皆、高級一眼レフに600ミリの望遠といういでたち。私といえば、コンパクトミラーレス一眼に普及品の中望遠ズーム。これではとても太刀打ちできないので、”空港に降り立つ飛行機を撮る”という作戦から、”空港に降り立つ飛行機を撮る人々を撮る”という戦術に改めた。

 ファンたちは一様にスマホのアプリを使って、どんな飛行機が降り立ってくるのかを調べながら撮影態勢をとっている。降りてくる機種によっては誰も見向きもしない一方で、一斉にカメラを構えるという動きをとることもあった。そんなときは、たしかに通常とは異なるデコレーションが施されている飛行機が下りてきた。私には、飛行機よりもそうした行動をとる人々の動きの方が興味深かったが、それでは大枚1000円を払った甲斐がないので、着陸態勢をとる飛行機が入りつつカメラを構える人々も入る場所でその撮影機会を待った。

 なお、写真内の海上に見えるのが2015年から使用されている”D滑走路”だ。桟橋状の構造物になっているのは、多摩川の流れを妨げないためだ。なにしろ、この新滑走路は多摩川河口の半分以上を占めているのだから。

 ともあれ、なんとか撮影ができたので、ここを離れ、次の”航空機撮影”基本スポットである城南島や京浜島へと移動することにした。

羽田空港はただ今、オリンピックに向けて工事中

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空港周辺も”オリンピック景気”に沸く

 次の場所に移動する前に今一度、川崎側から空港を望んでみようと、殿町(とのまち)にあるコインパーキングに車を止め、多摩川右岸堤防に出てみた。この辺りは「キングスカイフロント」と呼ばれるようになったそうである。自動車工場の跡地に、ヨドバシカメラのアッセンブリーセンターだけでなく、ライフサイエンス・環境分野の研究開発拠点を誘致した。それ自体は好感のもてる開発方針だが、命名がいただけない。「高輪なんとか」といい勝負だ。地区名が殿町だから”キング”、対岸に空港があるので、”スカイフロント”。なんだか人を小ばかにしたような名称である。

 川の向こう側に姿を現したのは、国際線ターミナルの改良とそれに付設するホテル、商業施設、会議場、温浴施設、大型駐車場の巨大工事現場だ。完成後は「第3ターミナル」と呼ばれることになっている。オリンピック開催までの完成を予定しているらしい。また、川の中に見える橋脚(ピア、ピーヤ)は川崎側の国道409号線と、空港内を走る「環状八号線」とを結ぶ「羽田連絡道路」(仮称)のものである。こちらもまた、オリンピックに向けたものである。これらの工事でも国立競技場のそれと同様、月28日の長時間労働が日本人・外国人労働者に強いられていることだろう。

 東京オリンピックという”馬鹿げた”運動会のために、他に使うべき必要のある貴重な財源と人材が、ここにもまた”無駄”に投入されている、一部の”利権屋”のために。

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多摩川の左岸から望んだ空港周辺

 城南島に立ち寄る前、多摩川河口周辺の様子が気になったので、少しだけ多摩川左岸にも寄ってみた。ここでも河川の改良工事がおこなわれていた。ここいらは”羽田漁港”とも呼ばれ、遊漁船の発着場になっている。その施設は写真のとおり極めて古い。個人的にはこの”古さ”と空港の新しさの対比が好みなので、この景色は可能な限り残してほしいのだが、近代化の波はこの旧港まで及びそうで物悲しい。前方に見える多摩川の河口も、D滑走路に塞がれているようで息苦しそうだ。

海遊びもできる城南島海浜公園。ただし遊泳禁止

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城南島の”つばさ浜”では貝掘りの人もいた

 羽田空港の真北にある城南島は埋立地で、工場や倉庫などがとても多い。島の東側の沿岸が海浜公園になっている。公園からは、大井ふ頭の”ガントリークレーン群”や青海、有明豊洲、辰巳一帯の高層ビル群、東京タワー、スカイツリーなどが望め、ここでは釣りもできる。東側の対岸には巨大な中央防波堤埋立地があり、その間を東海汽船ジェットフォイルや大型貨物船が走る姿を見ることもできる。一方、公園の南東側は一部”つばさ浜”と命名された人工砂浜が、その陸側にはバーベキュー場がある。

 この日は大潮の干潮時にここへ到着したので、砂浜では潮干狩りを楽しむ人の姿が散見された。また、気温が高く、真夏を思わせる強い日差しが照り付けていたため、水遊びをする人、肌を焼く人などもいた。ここの海水はあまり綺麗ではないので、”遊泳禁止”の表示が掲げられている。

 天気予報では南風が強くなると告げていたので、この公園の真上を通って羽田に着陸する飛行機が見られると期待したのだが、ここに来た当初はあまり風が強くなっていなかった。こうなると、羽田では通常時のA、C滑走路が使われることになる。この場合、公園から見られるのはC滑走路からの離陸ということになるので、やや期待外れだった。それでも、護岸ギリギリまで寄れば離陸時の撮影は可能と思い移動したところ、南風が強くなってきたため、C滑走路では、南に向けた離陸が始まった。

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城南島でも航空機撮影ファンは多かった

 こうなると、着陸にはB、D滑走路が使われることになるので、城南島は期待した通りのビューポイントになった。着陸する飛行機を撮るだけならここで十分だが、やはりここでも”着陸する飛行機を撮る人を撮る”を心掛けた。すると案外、位置取りが難しいことが分かった。飛行機が頭上を通るので、人と飛行機を同じ画面に入れるのが大変なのである。飛行機が通り過ぎた状態であればその位置が低くなるので人も入れやすいが、今度は逆光になるので色が飛んでしまうのだ。

 丁度、桃色にペイントされた大型貨物船が中央防波堤との間の水道を通りそうだったので、飛行機の着陸と船の入港、さらに、向かいのガントリークレーンを入れれば、多少飛行機の姿は小さくなってもなんとか”絵になる”と期待してシャッターを切った。満足とはいえないもののギリギリ合格点かも。

B滑走路への着陸機を見るなら京浜島つばさ公園が最適

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B滑走路に着陸する飛行機と新管制塔

 京浜島は空港の北西側にある。島の東側が”つばさ公園”になっており、B滑走路に降り立つ飛行機を間近に見ることができる。ここならば私のカメラでも十分に着陸する飛行機をメインにした写真が撮れる。強くなった南風様様である。

 飛行機だけではつまらないので、新管制塔と旧管制塔(予備管制塔)を背景にできる撮影ポイントを探した。着陸する飛行機を眺めるだけならこの場所でも今まで何度も経験してきたが、撮影は今回が初めて。前回の”チンチン電車”ぐらいの遅さなら普通に撮れば良いのだが、着陸時でも新幹線ほどの速さがある機体を撮るのはかなり難しい。飛行機だけなら”速度感”を出すための流し撮りで良いのだろうが、背景もきちんと明瞭に入れるには速いシャッターで両者を収めなければならない。そうすると、今度は被写界深度が浅くなるため、どちらかがボケることになる。幸い日差しが強く、やや絞り込んでも速めのシャッターが使えたため、なんとか飛行機のブレを抑えることができた。”撮りヒコ”ならこうした写真は躍動感がないためにボツにするだろうが、”初心者”ならやはりギリギリ合格点だと勝手に考えた。

 この場所には無料の駐車場があるが、そのスペースは狭いため、多くの人は路上駐車する。道路の幅の割には交通量は少ないので”黙認状態”といったところ。以前に立ち寄ったときには空港との間の水道で釣りをする人が結構見られたので、釣り人も入れた写真も撮れると考えていたのだが、この日は一人だけいた。それも希望のフレームからは外れるところで釣りをしていたので、ここでは除外した。

羽田の地を”信仰”で守り抜いた穴守稲荷

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現在改修中の穴守稲荷神社

 羽田村はかつて、農業と漁業が盛んだった。浅い海は江戸時代から新田開発され、目の前には”豊饒の海”が広がっていた。豊かな田畑や豊富な魚介類の多くは多摩川が運んだ栄養分がもたらしたものだろうが、その一方、”暴れ川”である多摩川は度重なる氾濫を生じさせた。堤防に開いた穴から人々の暮らしを守るという目的で造られたのが「穴守稲荷神社」だ。もともとは、今は羽田空港の敷地になっている場所にあったのだが1945年、その地を米軍に接収されたため、現在の京急穴守稲荷駅近くに地元の人々の力で再建された。

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改修中のため、境内の脇に保管されている赤い鳥居とキツネ像

 稲荷は”稲成り”の言葉通り、豊作を祈る農業神だったが、現在では産業興隆、商売繁盛、家内安全なども祈られるようになった。また、神の使いとして稲荷には”キツネ”が欠かせない。稲荷信仰の総本山は京都の伏見稲荷大社で、外国人観光客にも人気があるのが”千本鳥居”。ここ穴守稲荷でも数多くの赤い鳥居が保管されているので、本社には及ばないものの、改修工事完成後には見事な赤い鳥居の行列が再び見られるはずだ。

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今は羽田空港から旅立つ人の安全を守っている大鳥居

 写真の大鳥居は、かつて穴守稲荷が現在の空港の敷地内にあったときのものだ。滑走路の拡張の際、この鳥居の移動だけは住民の抵抗もあって敷地内に残されていたが、その後の再拡張のとき、1999年に海老取川河口左岸側に移動してきたものだ。すぐ隣には環状八号線が走っており、この道を使って空港ターミナルに向かう旅人は結構多い。そんな人々の多くが、この赤い鳥居を目にしていることだろう。その中の幾人かは、この鳥居に”旅の安全”を祈願しているに違いない。羽田の人々に大切にされてきた鳥居だけに。

羽田の町中を飛び歩く

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橋の上から羽田第二水門周辺を望む

 羽田は古い町である。1889年にいくつかの村落がまとまって羽田村ができ、1907年には羽田町になっている。

 私はかつて、ここに羽田空港があるのでこの地を羽田と呼ぶようになったのだろうと勘違いをしていた。”羽”は飛行機を連想させる。”名は体を表す”からである。が、実際は、ここに飛行場ができたのは1931年で、そのときは「東京飛行場」といわれていた。ここが羽田空港と呼ばれるようになったのは戦後のことで、名付け親は進駐軍(米国陸軍)である。

 話は逸れるが、私は陸上競技が好きで、普段ほとんど見ないテレビも陸上競技の中継だけはかなり見る。競技結果にも関心があり今年の2月、走り高跳びで久しぶりに日本記録が更新された。その選手名は戸邉(とべ)直人。新記録に挑戦する際、関係者や観客は心の中で、そして声に出してこう叫んだであろう、「とべ、跳べ」と。”名は体を表す”。アメリカでも、やや旧聞に属するが、女性のフリン中尉が、部下の女性の夫と不倫関係になり、それが発覚して除隊することになった。ニュースでも「フリン中尉、不倫で除隊」などと取り上げられた。”名は体を表す”。

 閑話休題、前述したように羽田村は多摩川の度重なる氾濫に苦しんだ。そこで、川の左岸には写真のような「水門」が造られている。また、写真では少しわかりづらいが、水門の奥には”赤レンガ堤防”がある。この赤レンガ堤防は道路に沿って海老取川河口近くまで続いている。多摩川は大都市を流れる川なのだが、その堤防は他の大都市を流れる河川の堤防とは違い、例外的にほとんどが土盛りだ。しかし、氾濫が多かったこの地区には、コンクリート壁や赤レンガ壁が必要だったのだろう。

羽田七福いなりめぐり

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鴎稲荷神社は七福いなりめぐりの五番目

 羽田では毎年の1月1日から5日まで、「羽田七福いなりめぐり」が行われている。スタンプラリーのように、一番の”東官守稲荷神社”から七番の”穴守稲荷神社”まで、別格の”玉川弁財天”を含めると八つを巡拝するという催しだそうだ。全部を巡っても2時間ほどだとのことなので当初は一番からスタートしようとしたのだが、そうすると空港からは少し離れることになるため、今回は空港近くの御稲荷様をグーグルマップで探し、七福めぐりとは無関係に巡ってみた。

 そのひとつが、写真の”鴎(かもめ)稲荷神社”だ。ここは「開運招福」を祈る御稲荷様で、漁師がこの稲荷に祈願するとカモメが飛来し大漁になったことから、鴎稲荷と呼ばれるようになったそうだ。

 写真の右手の「羽田道」の標柱にあるように、この稲荷の前の道は、海老取川にかかる弁天橋に通じる旧道だったのである。それだけ、多くの漁師がこの道を使って漁に出たり、獲物を運んだりして賑わったのだろう。

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白魚稲荷神社は七福めぐりの六番目

 白魚稲荷神社は、「羽田七福いなりめぐり」の六番目の御稲荷様だ。ここは「無病息災」という福を招いてくれる。武蔵風土記には「土人呼テ白魚稲荷ト云漁人白魚ヲ取コロ初テ得シ時ハマツ此社ニ供フル故ニカクイヘリ」と社号の由来が述べられている。

 ここでいう”土人”は地元民という意味で、差別的意味はまったくない。以前、「北海道旧土人保護法」を巡って、アイヌ土人と呼ぶのは差別的ではないかという論争が巻き起こった。しかしこの法律の趣旨は、以前から北海道に住んでいたアイヌ の権利を保護しようとするもので、「アイヌ=以前から住んでいた地元民=土人」という位置づけなのである。「土人=南洋のクロンボ」と一緒にするなと考える方が、よほど差別的だろう。この稲荷の名の由来も「土人=漁人」の図式で、字が読める人であれば、以前は漁師が数多く土着していて、彼らが漁の安全を祈願していたという様子が見て取れる。

 以上の通り、結果的には「七福」のうち、”鴎”、”白魚”、”穴守”の三稲荷を巡ったことになった。しかし、カメラのメディアには「稲荷」と名の付く場所が上記以外に三つ写っている。それだけ、この地では”稲荷信仰”が盛んだったのであろう。

 漁師の仕事は常に「死」と背中合わせだ。また、この地の人はいつも多摩川の氾濫と闘わなければならなかった。それでもこの地を愛したのは、豊かな海が眼前にあったためだった。

再び、多摩川の左岸に戻る

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羽田漁港に停泊する遊漁船

 町中巡りを終え、再び多摩川左岸の土手に出た。鄙(ひな)めいた 羽田漁港には夕日を浴びた遊漁船が停泊していた。その先にある羽田空港からは機体を黒く塗られた飛行機がA滑走路から飛び立っていった。

 

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左岸土手上から”大師橋”を望む

 左岸土手上から多摩川の上流方向を望むと、今にも壊れそうな”遊漁船倉庫群”と近代的な首都高速道路の”新大師橋”と産業道路の”大師橋”の対比が趣き深い。これは、あたかも今日の格差を象徴しているかのようだ(この表現法は三島由紀夫やカントが好むもの)。実際、大師橋の下には、ホームレスの人々のテントが2張りある。

 私は土手の上を歩き、海老取川河口まで戻った。近くのコインパーキングに駐車していたからだ。夕まぐれが迫る中、土手上の道路では多くの男女が散策していた。海老取川河口にはひとりの釣り人がいた。おそらくスズキを狙っているのだろう。

 この辺りの汽水域には生物が豊富だった、近代化の波が押し寄せる前までは。人はある豊かさを失うと、その一方で異なる豊かさを創造しよう試みる。しかし大半の人はその狭間にいて、ただ翻弄されるだけである。この地のように、たとえ”豊饒の海”が眼前にあったとしても、だ。

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水難者を祀った無縁仏堂とその先にある空港施設