台風15号の襲来は間違いなく天災である。人の力では台風の上陸を阻止することも、家を担いで他地域に移動することもできない。
だがしかし、台風による被害の多くは、そして人々の苦難の大半は人災である。停電や断水は大きな自然災害である以上、完全に避けることはできない。復旧の遅れも、技術的困難さを考えると致し方ない面もある。が、政府や各自治体や東電の対応には誠意が感じられず、被害者の苦悩を一層深めている。菅官房長官は9月20日の記者会見で、「最も適切な態勢を構築‥‥」と語り政府の対応には問題がなかったと語った。これだけで、政府の対応は0点だったということが分かる。まだ被害者の苦労は始まったばかりである。先の見通しがまったく立たない中で、政府の側が今までの措置を「適切な態勢」だったと判断したことは、もはや国はこれ以上何もしないということと同義だからである。
実際、政府に何が出来たかと言えば、おそらくそれほど多くのことはできなかった蓋然性が高い。しかし、為政者は謙虚でなければならない。常に、もっとより良い行動ができなかったのかということを己に問い続けなければならない。人間の行為ゆえに100点満点の達成は絶対にありえないが、しかし満点を目指さずして何を目指すのだろうか?
そういえば、いつごろからか、この国は「自己責任」の社会となってしまった。被害者は常に自己責任を要求される。しかし、統治者側には自己責任意識はなく、他者にのみ自己責任を強要するのだ。もはや、この国は「希望の国」ではないのかもしれない。
25,26日の両日、房総半島の西南地区を回ってみた。メディアだけの情報では現地の実情が分からなかったからだ。2日間ではほんのわずかな地域にしか触れられなかったが、かつてよく出掛けていた場所を中心に立ち寄ってみた。記憶にあるかつての姿と、台風15号による痛恨の爪痕が残る今日の姿との落差に愕然とせざるを得なかった。停電は大方、解決したとはいえ、まだ電力復旧のための人や車が多くいて、作業を続けていた。被害を受けた建物の屋根や壁はブルーシートで覆われていたが、改修作業自体はほとんどおこなわれてはいなかった。
「ぜんぜん職人の数が足りず、修復工事を頼むことすらできない」と住人は語ってくれた。今年中の修理はまず無理で、来年のいつ頃になるかもまったく見通しが立たないようだ。「修理もだけれど、それよりもパートの仕事がなくなったことの方が心配」と語る人もいた。確かに、店の多くは閉じたままだった。観光地の被害も大きいため、これからの行楽シーズンには多くの集客を望めないようだ。
市原市のゴルフ練習場鉄柱倒壊による災害
鹿野山神野寺(君津市)の被害状況
神野寺は鹿野山中にあり、6世紀末、聖徳太子の開創によるとされ、関東最古の寺といわれている。境内は広く、また周囲の眺めも良く、晩秋の紅葉の季節に出掛けてみたい場所だ。近くにはマザー牧場もある。
神野寺の被害は大きく立ち入れない場所があるが、それでも境内には散策可能な場所も多いので、復興協力のためにも参拝に出掛けてほしいと思う。
内陸部の被害
今回は主に海沿いを見て回ったが、神野寺に立ち寄った折に、内陸部も少しだけ見て回った。房総半島には険しい山こそ少ないが、丘陵地帯が多いので電気の復旧作業には多くの困難を伴ったようだ。
房総を訪ねたときはよく「久留里城」に立ち寄った。城自体というより城周辺の眺めが良いからだ。しかし、今回は城までの道路が崩落の危険性が高いとして通行禁止の措置が取られているため、城に近づくことはできなかった。
金谷港と保田港周辺
金谷港(富津市)は、先の回で紹介した横須賀の久里浜港とを結ぶ東京湾フェリーの発着所があるところだ。ここでは港近くの観光施設で大きな被害が発生した。また、金谷の南にある保田港(鋸南町)では漁協直営店で房総の海の幸をリーズナブルな価格で提供してくれた「ばんや本館」が大被害を受け、営業再開の見通しはたっていない。
安房勝山港(鋸南町)周辺の被害
富浦(南房総市)周辺
富浦といえば「房州びわ」の産地として名高い。びわの収穫期は5,6月なので台風による直接的な被害は受けなかったものの温室などの設備が大きなダメージを受けたため、来年以降の収穫への影響が気がかり。また、富浦には豊かな漁場もあるが、港の施設が大きく破壊されたため、水産業への悪影響も心配だ。
南房総最南端の白浜町周辺
25日は野島埼灯台が目の前に見えるホテルに宿泊した。8階建てのこのホテルは海に面しているため南からの強風をもろに受けたため、1階のガラスが全部破損し、フロントや売店が使用不能に。運よく業者による応急の復興工事がおこなわれ、21日に営業を再開したとのこと。それでも、上階のガラスの一部が破損したため使用不能の部屋がかなりあるとのこと。まだ宿泊客数は例年の半分以下なので風評被害が心配とのことだった。
館山市布良(めら)港周辺の被害状況
被害の大きさに圧倒されたのが館山市の布良地区。国道410号線は白浜の海岸線から右の大きく曲がり、高台を北上し館山市街地に向かう。その曲線部の下の段にあるのが布良地区で、その存在を知らない場合はまず目に留まることはほとんどないと思われる場所にある。しかし、私のような釣り人には良い堤防釣り場として広く認知されているため、当然のことながら、今回も港に至る細い道を下って家が立ち並ぶ地区まで入り、そこで被害の大きさを知ったのだった。車を港の構内に置き、カメラを持って歩き回ってみた。
以下、町中を歩いたときに目に留まった様相を並べてみた。
岩井袋~捨てられそうになった集落
岩井袋は安房勝山と岩井海岸の間にある小さな集落である。台風の被害はまず市原市や君津市、木更津市などの様子がニュースで伝えられ、次にネットの世界で南房総の被害の甚大さが広まるにつれ、館山市や南房総市、鋸南町の被害が報道されるようになった。小さな集落だが、もっとも壊滅的な被害を受けたのは岩井袋だった。これもネットから発信されたことで、ようやくニュースにもその名が挙がるようになった。私自身、岩井袋をすぐに思い浮かべることはなかった。かつて、堤防釣りや磯釣りでよく通った場所なのに。
一人の男性が集落を歩いていた。私は少しだけ話を聞いた。家の中は滅茶苦茶。ブルーシートだけでは雨を遮ることは出来ず、家の中はカビだらけ。漁に出掛けることもままならず、ただ毎日、隣人と愚痴をこぼすだけ。
この自己責任の国は弱者に厳しい。被災者は「棄民」と同義語だ。いずれ、そう遠くない時期に東京を直下型地震が襲う。一部の富裕者は外国にのがれ、大半の一般人は見捨てられる。
親愛なるものへ、こう告げよう。千葉の「棄民」は明日の自分である、と。