徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

〔24〕岬めぐりは三崎めぐりなのだ(前編)

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網代湾を望む

岬(三崎)めぐりを三崎港から始める

 今から40数年前、「岬めぐり」なるフォークソングが流行った。ギター1本あればスリーフィンガーで簡単に演奏できるので、友人らとよく唄った記憶がある。どこにでもある若者の感傷をテーマにした曲だが、よく話題になったのが「この岬はどこを舞台にしているのだろうか?」ということだった。曲調と歌詞ともどもやや軽めの内容であることから(1)特定の場所はなく、どこの岬でも妥当しうるというもの。(2)東京から比較的手軽に行ける伊豆半島や房総半島で、伊豆なら石廊崎、房総なら野島崎あたりと主張するもの。(3)軽さを擬しているところが怪しく、実は心に相当なダメージを受けているはずなので、津軽の龍飛崎とか高知の室戸岬、それとも能登の狼煙崎、果ては北海道の宗谷岬礼文のスコトン岬であると強く語るもの、などがあった。私はもちろん(3)を主張した。私には歌詞と同じような経験があり、実際に龍飛崎や下北の大間崎に出掛け、さらに恐山にも行った。さすがに「いたこ」の口寄せまでは体験しなかったけれど。

 この歌に触れたときにはいつもこうした議論になってなかなか収拾がつかないので、私が実相を究明することになった。コウタローはもはや東京競馬場を走ってはいないだろうが、コウタロウーと大学の同窓だった知人がたまたま音楽の業界にも足を踏み入れていたこともあって、彼ならば調査可能だろうと考え真相究明(というほどおおげさなものではないが)のための調査を依頼した。彼とは北海道の礼文島のボロ民宿で知り合い、それから何度か国分寺界隈で会うようになっていた。彼は私以上に放浪癖があるためなかなか捕まえることができなかったが、いざ対面が実現すると、その馬鹿々々しい頼みにはあっさりと応じてくれ、さらに答えもすぐに出してくれた。

 「三浦半島だよ」と知人は告げた。以来、「岬めぐり」は私の持ち歌からは消えた。

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三崎港と京浜急行三崎口駅とを結ぶバス。岬には寄らない

  私は使ったことはないが、電車・バス利用で三崎港に行くとすれば京浜急行三崎口駅からバスを利用することになる。バスは国道134号線を進み、引橋交差点を右折して県道26号線を南に進んで三崎港に至る。このバスには乗ったことがないので詳細は不明だが、普通の車でこの道を使った場合には道中では海を見ることはできない。高さがあるバスの車窓からならばちらりと海を見かけることはあるかもしれないが、いずれにせよ、「窓に広がる青い海」には出会えない。つまり、このバスでは「幸せそうな人々たち」と同行する可能性はあったとしても「岬めぐり」はおこなえない。その代わり、三崎港バス停で降りれば、三崎めぐりが堪能できる。

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三崎フィッシャリーナ・ウォーフ(うらり)の全景

 「うらり」は海(う)を楽(ら)しむ里(り)、魚(う)を楽(ら)しむ里(り)から作られた言葉らしい。「すかなごっそ」といい「うらり」といい、三浦半島の人は造語が好きなようだ。ここはまた「みうら・みさき海の駅」としても登録されている。最近では「うらり」よりも「みさき海の駅」のほうが認知度は高いかもしれない。いずれにせよ、この館内には産直センターがあり、「さかな館」「やさい館」として、三浦半島で採れた新鮮な農水産物を販売している。

 この写真からも分かるように現在、三崎港がある場所の大半は埋立て地で、関東大震災によって隆起(1.4mも高くなった)した海岸線を埋立てて造成したものである。

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三崎港といえばマ・グ・ロ

 三崎港の水産物といえば、すぐにマグロが思い浮かぶ。マグロの水揚げ量だけでいえば銚子港や焼津港、清水港には劣るかもしれないが、漁港の規模を考慮に入れると、これら三港より単位面積当たりの水揚げ量は上回っているだろうと勝手に想像している。

 さかな館にはマグロを取り扱う卸問屋がいくつも店を構えており、良心的な価格でいろいろなマグロの部位や加工品を入手することができる。私自身は購入したことはないが、マグロ好きの知り合いは、かなりお買い得だと語っていた。

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三崎館本店の歴史を感じさせる佇まい

 三崎港の周囲にはマグロ料理店が多く軒を並べているが、もっとも目立つ存在が港の前にある写真の店だ。ここは日本で最初に「まぐろのかぶと焼き」を提供した老舗で、いろいろなマグロ料理を食することができる。私は一度だけこの店に入ったことがあるが、個室でゆったりと料理を味わうことができたという記憶がある。

 この店は明治期の創業だが、関東大震災によってかつての建物は倒壊し、震災後に建てられたものである。正面の板壁の建物がもっとも古いように思えるが、実はここがもっとも新しく1955年頃に建てられた(正式には大幅な増改築)ようだ。わざわざ古風に見えるように造られているところが興味深い。

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海中散歩?が楽しめる「にじいろさかな号」

 うらりが「海の駅」を名乗るとおり、すぐ横にある岸壁からは写真の水中観光船「にじいろさかな号」が運行されている。ここを出て花暮岸壁の横を通り、城ケ島大橋をくぐって三崎港を離れる。といっても港のすぐ東側にある八景原の磯の前で停泊して船内展望室から海中を観察することになる。

 八景原の磯は宮川湾の西側にあり、磯際は水深があまりないので釣り場としてはC級ポイントだったが、この観光船が運行されるようになってからはよく「餌付け」(釣り人はこれをコマセと呼ぶ)が施されるために魚影が濃くなった。このため、釣り場の格付けもCマイナスからBマイナスに上昇した(私の勝手な判断だが)。

 この観光船は利用したことがないのでどんな魚を見ることができるのかは不明だが、この辺りの磯ではメジナクロダイウミタナゴが常連で、ときにはマダイやイシダイが顔を見せるかもしれない。観光船は全行程が40分で、利用料金は大人1300円とのこと。

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三崎港と城ケ島とを行き来する城ケ島渡船

 水中観光船の隣からは対岸にある城ケ島とを結ぶ船が出ている。正に「うらり」は海の駅である。三崎港めぐりだけでは物足りないと思う人はこの渡船「白秋」を利用して島に渡る。城ケ島へ歩いていくためには城ケ島大橋を利用するしかないが、三崎港の中心街から橋の北詰までは結構な距離があるので、城ケ島にもちょっと出掛けてみたいと考える向きには渡船利用が無難だ。片道は大人300円だ。私は取材で2度ほど利用したことがあるが、波静かな湾内の行き来なので船が苦手な人にも、ごく小さな船旅を体験することができる。

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釣り場としても人気がある花暮岸壁

 三崎港内には堤防釣りができる場所があるので、家族連れや仲間同士でここに出掛けてくる人が結構いる。写真の花暮岸壁は大型マグロ船が遠洋航海に出掛けるときに利用される桟橋だが、そのとき以外は一般にも開放され、かつ構内には駐車スペースやトイレもあるので、平日でもかなり賑わう。秋は一年でもっとも小魚が多い時期なので、簡易な仕掛けでもイワシ、小サバ、小アジなどがよく釣れる。

 花暮の名の由来は不明だが、ここから城ケ島の桜を眺めつつ日々この地で暮らした、ということから花暮と呼ばれるようになったという俗説があるらしい。

 なお、写真に見える橋が「城ケ島大橋」だ。島に渡るときは有料(歩行者、自転車は無料)だが、来年には無料開放される予定とのこと。橋上からは三崎港の全貌に接することができるので、歩いて渡る人を案外、見かける。

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中型マグロ船の停泊地にもなっている北条湾

 三崎港の中心街を離れ少し東側に進むと北条湾にでる。かなり奥深い入り江のため、湾内はとても波静かだ。ここは狭塚(さつか)川(鮫川)が造った入り江で、紀元後、4回の大きな地震で三崎地区が隆起(紀元前より7.5mも高くなった)する前はもっと大きくそして深い入り江だったようで、ここがかつて三崎港の中心だったと考えられている。

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漁港の市場横にある超低温冷凍倉庫付近にも釣り人が多い

 三崎漁港の西側にはマグロを冷凍保存するための大型倉庫がいくつもある。写真は市場横にあるもので製氷設備などもある。この倉庫の周辺は午前中には大型トラックが行きかうが、午後からは仕事の車の数はめっきり減り、代わって釣り人の車が増え、岸壁のいたるところでのんびりと竿を出す風景が展開される。この岸壁は大型船も接岸されるので足元から水深がある。このため、お手軽釣り場といってもときには望外の大物が顔を出すこともある。 

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相模国三浦総鎮守に位置付けられた海南神社

 三崎町のやや高台にある海南神社は、藤原資盈(すけみつ)や地主大神などを祭神として866年に創建されたとされている。当初は花暮の磯(資盈が漂着した場所)付近に御本宮が建てられたが、982年に現在の地に移転したとされている。本殿は朱に塗り直されているのでやや軽めに見られがちだが、三浦郡の総社であったという風格は境内のあちらこちら、そして参道の風情などから見て取ることができる。

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海南神社のおみくじはマグロ形

 三崎を代表する古い神社だけに、おみくじもまたマグロ風だ。もっともこれは昨年からはじまったばかりのようで、町興しの一環だそうだ。この「鮪みくじ」は日本ではここだけとのことだが、それはそうだろうと思うほかはない。が、三崎といえばすぐにマグロを連想するので、こうした形になるのも当然とも思えてしまう。写真のものはおみくじが引かれた後で、原形はおみくじが腹に入ったマグロがビニール袋に入っていて、これを横に置いてある小さな釣り竿でこれを釣り上げる。おみくじ釣りの初穂料は300円也。

三崎港を離れて西海岸線を北上する

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三崎港のすぐ北にある二町谷漁港

 三崎港バス停がある場所から旧海岸線を西に進み、造成中?の三崎新港に突き当たると半島の西海岸に沿って油壷方面まで北上する道路がある。その名も西海岸線である。住所名は三崎町ではない場所もあるが、その辺りの店名などでも「~三崎店」と名乗る場合が多い。あまり認知されていない町名を付するよりは三崎店を名乗るほうが地理的には分かりやすいとの合理性からきているのだろうか。ともあれ、今回は岬めぐりでもあり三崎めぐりでもあるので、海岸線を移動してあちこちをめぐり訪ねてみた。

 三崎新港のすぐ北にある小さな漁港が二町谷(ふたまちや)港だ。現在では南側は新港に抱かれているが、かつては南北を西に突き出た岩礁に抱かれていた小さな入り江だった。

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堤防釣り禁止の海外(かいと)港

 二町谷港のすぐ北側にあるのが海外(かいと)港だ。南側は小さな岩礁帯の上に造られた突堤、北側は西に大きく突き出た諸磯(もろいそ)の岬に包まれている。ここの突堤はかつてクロダイの港釣り場であったが、不埒者が続出したために現在は釣り禁止の措置がとられている。

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地質学的にはとても貴重な海外のスランプ構造

 海外港の北側には、地質学フリークにはつとに有名な露頭がある。「海外のスランプ構造」といえばその世界の住人にはすぐにピンとくる。スランプは「不調」と置き換えられるのが通常だが、地質学でもそれは同じで、ただし人間では精神面だが、地質には心がないので、堆積層の乱れを指すことになる。

 写真の斜面は西海岸線の北側にある切通しのもので、1000万年ほど前の「三崎層」の断面である。以前にも述べたことがあるが、この三崎層はフィリピン海プレートの沈み込みによってこれより古い葉山層群に付加されたもので、大地震などによって隆起して地上に姿を現したものだ。

 地層をよく見ると、層のずれ、つまり断層があることが分かる。学者の分析では、この横幅約30mの露頭の間に10数か所の断層があるとされている。また、地層の液状化とにともなった褶曲(しゅうきょく=地層の乱れ=スランプ)構造が数か所見られる。

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とくに貴重な褶曲面を拡大

 写真は、その褶曲構造がもっともはっきり分かる場所で、液状化した地層が海の深い側(左側)にすべり落ちるときにこの部分に負荷がかかり乱れが生じたものと考えられている。今一度、全体を確認すると、ここのものより規模は小さいものの、いろいろな場所でこうした乱れを発見することができる。

 私は元来磯釣り師なので、こうした露頭には随所で触れることがあり、とくに三浦半島伊豆半島の岩場では当たり前のように見かけてきた。いずれも、その形成が付加体だからである。というより、日本列島そのものが付加体なので、こうした「地の乱れ」はどこでも見られるだろうし、今、私がいる足元の土中にもこうした乱れは必ずあるだろう。いや、日本全体にこのスランプ構造は広がっていて、これが日本社会全体を「スランプ」状態に落とし込んでいるのかもしれない。

歴史、地質学、そして釣り人にとっての宝庫、諸磯(もろいそ)

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独特の形状を有する諸磯埼灯台

 諸磯(もろいそ)は観光地として名高い油壷のすぐ南にあり、西に大きく突き出した岬がある。現在はこの岬一帯に観光資源があるが、人家の多くは内陸(というほどでもないが)の高台にある。磯からは少し離れているように思われるが、この高台に「諸磯貝塚」や「諸磯隆起海岸跡」といった遺跡がある。今回は岬を中心にめぐったためここには立ち寄らなかった(思いのほか、海岸付近で時間を取ってしまったのが本当の理由)。貝塚が内陸にあるということは、ここが紀元前には汀線であることの証だし、隆起海岸跡には穿孔貝(せんこうがい)があけた穴が4段に渡って存在する。穿孔貝は汀線に沿って岩などに穴をあけて生息するので、ここがかつての汀線であり、4段あるということは、紀元後の大地震によってここが4回隆起したことの証拠にもなっている。

 今回はその遺産には直接触れず、諸磯の海岸線を散策した。20世紀末頃によく、ここの岩場で釣りをした経験を思い出したからである。かつては磯近くまで車で入り、空き地に駐車して釣りに出掛けたのだが、やはりここでも不埒者が多く、別荘地の入口付近に無断駐車するものが増えたために現在では駐車スペースはほぼなくなった。このため、磯までは民宿街にある有料駐車場に車をとめて少しだけ歩くことになる。

 細い道を海岸に向かって歩き岩場に出ると、写真の諸磯埼灯台が目に入る。細身で真っ白に塗られたその姿は蝋燭のようで趣き深い。伊豆半島や富士山の姿、そして落陽が望めるので一度、ここを訪ねたことのある人は晴れた夕間暮れどきには何度も出掛けたくなるそうだ。

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諸磯の岩場は磯釣りの好場所

 灯台のある場所から少し南に進む。岩礁帯は相当に不成形なので、断崖下を歩くことになる。このため、見た目以上に時間がかかり、かつ釣り道具などの重い荷物がある場合はかなりの苦労を強いられる。今回は釣りのために訪れたわけではないので荷物は少ないが、それでも移動には老骨に鞭打つことになった。

 ここでのA級ポイントである先端部には釣り人がいた。この周囲は比較的水深があるので釣りやすいはずだ。写真でもわかる通り、ここに行くにも凹凸が激しい場所を歩く必要が生じるため、中望遠レンズを使ってズルをして撮影した。

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諸磯の断崖

 断崖部分に目を向けた。この様相から、諸磯が隆起海岸であることがよく分かる。露出した断面から、地層の不整合やスランプ構造がいたるところにあることが確認できる。この地層の成立過程を考えるだけでも頭が痛くなりそうだが、それでも見とれてしまうのである。

 この断崖の上にはまばらだが人家や別荘地がある。よく見ると屋根部分に被害の跡がある建物が確認できた。やはり、台風15号の被害は大きかったようだ。なにしろ、この高台には風を遮るものはなにもない。海や地面が穏やかであれば、のんびりと日の暮れる景色を眺め、ときには崖下で釣りを楽しむという生活も良いであろうが、日本の場合は常に地震や台風に留意しなければならないので、時折、訪ね歩いてみるというのが無難だろう。それにしても、さらに台風19号の被害を受けなければ良いのだが。

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磯の岩場が造成する生き物たち

 スコリア凝灰岩と泥岩、砂岩からなる岩場は比較的脆いので、風雨そして激しい波にさらされるために変形が激しい。それはときとして自然の芸術家になる。何度もここを訪れているはずなのだが、写真にある造形には初めて気が付いた。釣り出陣のときは海の様子ばかり気になり、帰りはとぼとぼと敗残兵のように下ばかり向いて歩くので、今まで気が付かなかったのだろうか。

 波打ち際には大きな犬が鎮座し、その上には小ウサギが乗っていた。足を前方に投げ出した犬の前にはアダムスキー型円盤が墜落している。ただし、この犬は朽ち果てかけたUFOには興味がないようで、磯の先端で釣りをしている人の姿をずっと見つめ続けていた。もしかしたら、かの釣り人はこの犬の飼い主なのかもしれない。すると、犬の上にいるのはウサギではなくネズミなのかも。とくに理由はないのだが。これも一種のゲシュタルト崩壊なのだろう。

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諸磯港岸壁はのんびり派向きの釣り場

 諸磯港岸壁の先端部ではウキ釣りと投げ釣りを楽しむ人の姿があった。向かいに見える岬は網代崎の先端部で、さらにその先には荒崎海岸が見える。冬場は北西の風が吹き荒れるので大波が立ち釣りどころではない。この冬の季節風から港を守るために、沖には消波ブロック帯が形成されている。が、南風が多い今の時期はとても穏やかだ。というより、いささか穏やかすぎて魚たちものんびりとときを過ごしているようで、3人のおじさんたちの遊びには参加する気分にはなっていないようだった。

油壷界隈を歩く

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諸磯湾奥には諸磯ヨットオーナーズクラブがある

 油壷湾は狭義には北側の網代崎と南側の名向(なこう)崎との入り江を指すが、広義には名向崎と諸磯との間にある諸磯湾を含む場合がある。名向崎は網代崎と諸磯との間にあって長さは両岬より短く、油壷湾と諸磯湾の出入口は共通だからである。とくに網代崎の南端部が大きく諸磯側に張り出しているため、この出入口をかなり塞ぎ、荒波の侵入を防いでいる。地図や航空写真で見ると、狭義の油壷湾の出入口は大きくL字状になっていることが分かる。したがって、油を流したような靜かな入り江を指し示すこの表記は、こちらが元祖と考えられる。

 ちなみに、油壷京急マリーナは諸磯湾内に位置するが、諸磯ヨットオーナーズクラブよりも停泊地は沖側に位置するため、諸磯ではなく油壷を名乗っている。まぁ、浦安にあっても東京を名乗る遊具施設場もあるので、細部は問わないのが大人の対応だろう。 

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名向崎の先端部に至るためのトンネル

 名向崎は、私が釣りによく通っていたころは秘境の趣きがあった。以前からヨットクラブはあったが、岬の先端方向に向かう道は狭く、そして昼なお暗く、進むにはある程度の覚悟を必要とした。途中には写真にある素掘りのトンネルがあり、その先に小さな造船所があるばかりだった。その手前の空き地に車を置き、磯伝いに歩いて先端部に出て釣りをした。また、写真のトンネルの手前にも素掘りのトンネルがあり、それを使うと油壷湾沿いに出ることができた。道には草が深く茂り、ヘビの姿もよく見かけた。何やら恐ろしげで、一人では絶対に行くことができない釣り場だった。いずれの場所も他に釣り人の姿は見かけたことがないというほどで、三浦に住んでいる知人ですら、ここの存在を知らない人がほとんどだった。

 今回、久し振りに訪ねてみたが、昔日の面影はさほど残ってはいなかった。先端部に至るトンネルこそ残ってはいたが、油壷湾側に出るためのトンネルは通行禁止の措置がとられていた。高台には現代的な、いかにも保養地といった風情の建築物があって、もはや私にとって、名向崎は秘境ではなく、油壷湾を形成する片方の岬という存在以上ではなくなってしまったようだ。 

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西海岸線から油壷湾を眺める

 侵食谷によって形成された油壷湾は名前が先行し、多くの人はその存在を知っているが、ここを訪ねる人はそう多くはないようだ。後出するマリンパークはよく知られた存在だが、昨今では他に大きな水族館が多数造られている以上、ここの存在価値は相対的に低下しているようだ。したがって、油壷を訪れる人はヨット関係者以外はそれほど多くはないのかもしれない。

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油壷湾の湾口付近。左手が名向崎

 網代崎先端にはマリンパークがあるが、その手前の左側に「油壷駐車場」がある。マリンパークを利用するならこの先にある専用駐車場が便利だが、網代崎一帯を散策する場合はいつも、この駐車場を利用している。

 駐車場のすぐ先には国土地理院の験潮場へ降りる道がある。これを使うと油壷湾の岸辺に出ることができる。周辺は平らな岩場が多いので、かつてはここでクロダイ釣りをよくおこなった。写真は験朝場前から湾口を眺めたものだ。左手の森が名向崎の先端部、右手が網代崎の南突端で、正面に見える高台は諸磯の岬である。こうして3つの岬が出入口を塞いでいるために油壷湾内はいつも波静かなのだ。 

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油壷湾の湾奥を眺める。右手が名向崎

 一方、こちらの写真は上同所から湾奥を眺めたものだ。右手の高台が名向崎で、かつてはみられなかった新しめの別荘?が建っていた。

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京急油壷マリンパークの入口

 網代崎の先端部にあるのが京浜急行が出資しているマリンパークだ。かつては先進的なイベントをよくおこなっていて話題になったが、現在は大規模な水族館が東京・横浜などに続々と登場したため、こうして入口を改めて眺めていると、ひと時代前の水族館であるとの印象は否めない。私は2度だけここに入ったことがあるが、とくに印象は残っていない。規模がさほど大きくないため、生物の存在を身近に感じることができたということ、周囲の眺めが良かったことなどがわずかに思い出される。それすら、記憶違いである可能性もなくはない。

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マリンパーク下にある胴網海岸

 マリンパークの駐車場横から北側の海岸線に降りることができる。正面に小さな砂浜があり、左右に岩場がある。ここは知る人ぞ知る磯釣り場で、大型魚こそ望めないが、中型の魚たちは結構、釣れるので、のんびり竿を出したいと思うとき、初心者に釣りを教えるときなどに訪れたことがある。

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新井城跡下の岩場

 こちらは胴網海岸から初声地区方向を望む場所だ。やはり磯釣りの穴場的存在で、先の場所に先行者がいる場合はここで竿を出すことになる。もっとも、自分の経験ではそのようなことは一度もなかったが。この辺りも土地の隆起が顕著なので、かつては断崖絶壁であって、こうして海岸線の岩場に降りることはできなかったはずだ。

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石碑だけが残る新井城跡

 小網代崎にはかつて「新井城」があった。写真の碑はマリンパークの駐車場のすぐ脇にある。マリンパークがある場所も、東大の臨海実験所がある場所も、かつてはここに新井城があった。その遺構も残っているようだが、一部は実験所の構内にあるために開放日以外には見ることができない。

 新井城は三方を海で囲まれた天然の要塞といった趣が感じられる、ここにあったとすればの話だが。東側のみ陸続きで、大手門の前には「引橋」があった。「国道134号線から引橋交差点を右折して県道を進むと三崎の市街地に出る」という三崎港までの案内によく出てくる、あの”引橋”である。 

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相模三浦氏最後の当主、三浦道寸の墓

 小名を荒井といったらしいので荒井城とも呼ばれる新井城は、1247年頃、三浦介を継いだ佐原盛時の時代に築城されたと考えられている。最後の城主である義同(道寸)は養父である三浦時高を1494年に討って城主となった。その後、小田原北条氏を成立した伊勢新九郎北条早雲)と戦い、三年の籠城の末、1516年に落城した。道寸は自害し、息子の義意(よしおき)は討ち死にした。義意(荒次郎)の首は小田原まで飛んで行ったという伝説が残っている。また配下の者は揃って自害し油壷の海に身を投じた。彼らの血潮が湾の海に油のように漂ったということから、油壷と呼ばれるようになったという説もある。

網代湾あれこれ

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網代湾にある高級リゾート、シーボニア

 初声(はっせ)地区と網代崎の間にある入り江が小網代湾で、ここも冬季をのぞけば波静かな場所である。諸磯や油壷がそうであるように、この湾にも有名なマリーナがある。シーボニアマリーナといい、シー(海)とボーン(生まれる)から作成された名前だとのこと。マリーナのほか、リゾートマンションや宿泊施設、レストランなどがある。実は、ここには入ったことはなく、今回もまた、ただ見るだけだった。駐車料金の1000円を払って敷地を徘徊しようとも一瞬だけ考えたが、リゾートマンション群だけ撮影すれば十分と思えたので節約した。

 葉山マリーナや逗子マリーナには何度も出掛けたことがある。そこに行くときは「観光」目的なのでそれなりの風体で臨むが、シーボニア近辺に出没するときはすべて釣り目的のため、小汚い服装では入ることが躊躇われたからだ。思い返せば、こうした贅沢な場所を訪れることは可能な限り避けてきた。というより高級な場所のほうが私を拒絶したというのが正解かもしれない。結構、毛だらけである。

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こちらは庶民的な小網代

 一方、隣にある小網代港は釣り船が多く、庶民的な場所だ。この堤防には何度か釣りで訪れたことがある。釣れたという記憶はない。一度など、私にはネコザメの死骸が掛かり、同行者には生きた猫が掛かった。死んでいても魚は魚と私の勝利を主張し、彼はたとえ猫でも生きているので俺の勝ちを主張した。釣り人というのは自我の塊なのである。

 この堤防は現在でも全面釣り禁止という訳ではないようだが釣り人の姿はなかった。いたるところに釣りを制約する看板があるため、トラブルを避けてこの場を選択しないのだろうか。それとも、死んだ魚や生きた猫はターゲットではないと考えてのことなのだろうか。

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網代港から小網代の森を望む

 小網代湾の奥には大きな森がある。小網代の森といって70haの敷地がある。森の中央には「浦の川」が流れ、森林地帯、湿地帯、干潟があり、その中を散策できる。ありのままの自然というより、よく管理された自然が維持されているといった風情だ。現在(10月10日)は台風15号の被害によって入場口や散策路が制限されている。今回の最後にはこの森を散策する予定だったが、その日は全面立ち入り禁止だったので、やむなくこの写真をもって旅の終わりとした。

 三崎(岬)めぐりは想像していたより時間がかかった。今回の項だけでも2日間を要したが、まだ超大物の城ケ島めぐりが残っている。その前に、台風19号が新たに刻む危険性のある、苛虐された地を訪ねるのが先になるのだろうか。