徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

〔54〕東京郊外の清流~東久留米市・落合川の上中流部を訪ねる

f:id:haikaiikite:20210128175106j:plain

清流にたゆたうナガエミクリ

合川を初めて散策した

 東久留米市を訪れることはまずないのだが、市域を縦断することはそれなりにある。新小金井街道を北に進み、それから裏道を使って関越道・所沢ICに至るときにである。その際、市域の北辺を流れる「黒目川」を越えるのだが、同じルートを使う友人は、その川の名を「目黒川」と思い込んでいる。目黒川の桜があまりにも有名だからだろうか?

 目黒川の目黒は「四不動」もしくは「江戸五色不動」に因むが、黒目川は四不動とは無関係で、その川がかつて「久留米川」と呼ばれていたことによる(らしい)。「くるめ」は曲流する川を意味し(諸説あり)、福岡県久留米市では筑後川が蛇行し、東京都東久留米市では黒目川が蛇行している。

f:id:haikaiikite:20210124174618j:plain

合川は都県境(東久留米市新座市)で黒目川に合流する

 今回は清流を訪ねることに決めていたので、黒目川ではなく、その支流であり湧水点を多く持つ「落合川」に出掛けてみることにした。東京郊外にある清流として、その名はしばしばマスメディアが取り上げるためにその存在は知っていたが、その川沿いを散策するのは今回が初めてだった。

 ちなみに、黒目川は朝霞市田島付近で新河岸川に合流し、その新河岸川は荒川に合流するので、黒目川も落合川荒川水系一級河川であり、黒目川は荒川の二次支川、落合川は三次支川となる。

f:id:haikaiikite:20210124183849j:plain

澄んだ流れの中に繁茂する水草・ナガエミクリが落合川を代表する

 川の全長は3.6キロほどで、東久留米市内に収まっている。西武池袋線東久留米駅から近い(駅から川まで徒歩で10分以内)ためもあってか、近隣の住人ばかりでなくわざわざ電車を利用して散策目的でこの川辺に訪れる人も多くいる。とりわけ、清流を好む水草のひとつである「ナガエミクリ(準絶滅危惧種)」は落合川の象徴的存在で、この草たちが流れにたゆたう姿に接するためだけの理由で、遠方からはるばるやってくる人も数多くいるそうだ。

f:id:haikaiikite:20210125203826j:plain

両岸に遊歩道が整備されている

 写真から分かる通り、住宅街を流れる川なので、時間50ミリの豪雨にも耐えられるように両側は急傾斜護岸でほぼ整備され、流路は直線化されている。おまけに転落防止のためのフェンスが続いていることから親水性は低い。とはいえ、川中には多くの自然が残されており、流れる水の透明度は都市河川にしては十分に満足できるものなので、全般的な好感度は決して低くはない。

f:id:haikaiikite:20210125205601j:plain

「いこいの水辺」では直接、川の流れに触れることができる

 すべてがフェンスに閉ざされているわけではなく、写真の「落合川いこいの水辺」(次回に紹介)のように川辺に出られる場所は数か所あり、この日は近隣にある保育園からやってきたのだろうか、園児と引率者らが左岸の高水敷にて日光浴を楽しんでいた。

f:id:haikaiikite:20210124184215j:plain

湧き水の流れ込みが川を清める

 比較的平坦な場所を流れる川なので、源流点(標高55m)から合流点(標高38m)まで行き来するのはさして難しいことではない。遊歩道を移動しながら、湧き水の流れ込み点を探すのは、ここならではの大きな楽しみのひとつである。

f:id:haikaiikite:20210125211629j:plain

沢頭からの流れ込みはいっそう、水を清める

 落合川には近傍にある湧水点から小川(沢)がいくつも流れ込んでいる。上の写真はいくつかある沢のうちでもっとも湧水量の大きなもので、この流れは「沢頭」と名付けられている。この沢を辿ると「南沢緑地」に至る。こうした沢まで巡るとなると、それなりに移動距離は増えるので、一日ではとても川の全貌に触れることはできない。実際、私の場合は、この川には6回も訪れている。もっとも、一回に歩く距離が少ないだけなのだが。

合川の源流域を探る

f:id:haikaiikite:20210125214218j:plain

「はちまん橋」から源流点方向を望む

 川は山や池や湖から生まれるものが多いが、落合川の上流にはそうしたものは存在しない。武蔵野台地内で生まれ、台地の傾斜に沿って東方向に下り、同じような出自をもつ黒目川に合流する。こうした台地河川は何処が、そして何が源(みなもと)になっているのか興味津々であった。

 写真の「はちまん橋」は落合川の最上流に架かる短い橋で、地図によると、この橋の70mほど先に「上流端」があるらしい。右岸側の草むらには踏み跡があるので、私もそれを辿って上流に向かって進んでみることにした。

f:id:haikaiikite:20210125215344j:plain

ネコは案内役ではなかった

 上流端に近い場所にはネコが「かしこまって」いた。 上流端はもう少し先のようでもあり、右手に見える小さな谷頭(こくとう)のようでもあった。どちらが上流端であるのかネコに尋ねようと近づくと、そいつはどこかに去ってしまった。

f:id:haikaiikite:20210126165457j:plain

ここが上流端?

 直進した先の姿がこの状態。谷は埋まっていたが、それは自然の力によるものではなくて、ガラクタを詰め込んだことによる。

f:id:haikaiikite:20210126165814j:plain

このパイプの先が水の湧き出し口かも?

 写真は、右手に見えた小さな谷頭の姿。石標には東京都のマークがあり、「河」の文字も見えるので、このパイプの先、もしくはその下の窪みが源頭かも?ものの本によれば、落合川の源頭は近くにある八幡神社の境内下だと考えられるとあった。このパイプの先は八幡神社方向にある。ということは、ここが上流端かも。

f:id:haikaiikite:20210126183401j:plain

上流部の窪みを「はちまん橋」の南側から望む

 源流点の様子を探るため、さしあたり「はちまん橋」に通じている道を南に進んでみた。橋の南詰すぐの位置から緩い上り坂になっており、その坂はまだ少し続くのだが、道が曲がっているためにそれ以上進むと橋が見えなくなる。橋は標高54m地点にあり、撮影地点は57mだが、坂の頂点付近は標高59mの位置にある。

f:id:haikaiikite:20210126183524j:plain

合川の源流点があるとされる八幡神社

 一方、橋の北詰では少しだけ平坦な場所があり、神社の境内に至る階段付近から少し上る。階段下の標高は56m、本殿のある場所は58mだった。南北の標高58m地点間は100m近くあり、谷底低地(54~55m地点)の幅は50mほどもある。

 現在こそ水はほぼ流れていないか、あってもチョロチョロ程度だが、谷の形状を考えると、とても神社下から湧き出た水が、その谷を造ったとは考えられなかった。

 その疑問を解きほぐすため、上流端とされる場所の西側、つまり、ゴミが詰まった「上流端」の、さらにその向こう側の地形を探ることにした。

f:id:haikaiikite:20210126183639j:plain

上流端を西側から望んだのだが……

 写真は、上流端とされている場所の西側の様子で、右手のやや高い位置にある住宅と、左手の少し年季の入った住宅との間に「上流端」があるはずだ。残念ながら、その西側は工事車両を置くための駐車場として整地されてしまっているために、かつての地形は不明で、期待した窪地を見出すことはできなかった。

f:id:haikaiikite:20210126183805j:plain

所沢街道に残る窪地

 が、諦めるのはまだ早いので、さらにその周囲を徘徊してみた。写真の所沢街道に出てみると、その道路に窪みがあることが視界に入った。手前の信号機のところではなく、その先にある信号機付近が明らかに低くなっていることが分かった。撮影地点の標高は60mだが、その信号機のある丁字路は57mだった。

f:id:haikaiikite:20210126184136j:plain

街道の窪地から東を望むと……

 その丁字路に移動し、交差点から東方向を望んだのが上の写真である。所沢街道に突き当たる写真の道は少し下りながら東に進み、やがて左に大きく曲がっていく。その道の南側(右手)には都営の八幡町アパートが並んでいるが、そのアパートの敷地内に「楊柳川」が流れていることが知られている。その川は現在、すべて暗渠化されているので流れを直接に見ることはできないが、暗渠の上の多くは遊歩道として整備されているので、その流れの行く末を辿ることは可能だ。川は、東久留米市幸町2丁目付近で黒目川に合流している。

 交差点付近では川の存在はまったく確認できないが、都営アパートの西端では暗渠の存在は明瞭で、その場所の標高は55mである。そして、楊柳川が始まるとされる場所と、落合川の「上流端」との距離は180mしかない。その間に、八幡神社が鎮座しているのだ。八幡神社は両河川を守護する水の神なのかも。

 詳細な地図で周囲の等高線の位置を調べてみると、落合川の上流端(標高55m)の西側で標高60mのラインは西北西方向に進み、同じく、旧くからある宅地内の道路はその等高線の下を西北西方向に伸びている。一方、楊柳川の西端は西南西方向を目指しており、仮に両者の上流がもっと西方向に伸びていたと想定するなら、両河川は上の写真の丁字路付近で出会うことになるのだ。

f:id:haikaiikite:20210126184239j:plain

窪地を辿って西に進んだところにある「白山公園」

 そして、両河川の源流は同一のものであったと仮定し、その川は標高60mラインの下に沿って流れていたとするなら、川筋は写真の「白山公園」の低地まで遡ることができる。「白山公園」の由緒は不明だが、古い地図を見る限り、そこには細い川が流れ、周辺は湿地帯であったことが分かる。

 残念ながら、公園の南側には広大な「滝山団地」があって、かつての地形はまったく残っていないため、もはや川の流路を想定することはできない。ただ、滝山団地の南側には「大沼」の地名があり、その大沼町の西側には「柳窪」という地名がある。どちらも意味深な名称である。なお、落合川や楊柳川の親分格である黒目川の源流域は、その柳窪とされている。

 大胆な仮説を立てると、落合川と黒目川は元々一本の川であったものの、流量が減少したり、地形の関係などで2つに分かれることになった。黒目川よりやや南のルートをとった落合川?は東進し、八幡神社のある台地(幸町本町台地)にぶつかった際に2つに分かれ、小さな流れ(楊柳川)は台地のやや北に、本流はやや南に出て東進し、現在の落合川の流路を形成したと想像できる。

 黒目川は古多摩川の名残河川とされているが、落合川も上流端付近の谷幅の広さを考えると、古多摩川が残した流路をトレースしているという可能性もある。落合川流域の地形は複雑で、その根本は「向斜地形」によるという説もある。川はその窪みを利用して流れているというものだ。もちろん、武蔵野台地特有の「野水(のみず、雨後に現われる表層の水の流れ)」と湧水とが合体して水道(みずみち)を形成したという説もある。八幡神社下を源頭とするなら、この説に妥当性がある。さらに、上流端でネコに出会った縁という訳ではないが、私の大好きな「たまたま」そこに流れが出来たという説も捨てきれない。

合川の上流域を探索する

f:id:haikaiikite:20210126184508j:plain

「はちまん橋」の下には水が残っていた

 私の勝手な源流点探しはほどほどにして、これからは落合川の「流れ」を追ってみることにする。出発点はまたまた「はちまん橋」である。ただし、今度はその橋から下流に進むことになる。最上流域には水がまったくないか、あってもごくわずかなので、河原に入ることができる。

 写真から分かるように、橋のすぐ下流側の両岸には大きめの石が並べられて、水はその間を進むようになっている。今年の冬はとりわけ降雨が少ないために、それに比例して湧水も微量なため、橋の下の窪みに残っている水はやや白濁し、とても清水とは呼べない。それでもどこからか水は供給されているようで、その溜水からは少しだけ流出がある。とはいえ、それは野水のようで、いつ消えてもおかしくはない。

f:id:haikaiikite:20210126184628j:plain

左岸の高水敷から「はちまん橋」を望む

 少しだけ下流側に進む。流れが造ったと思われる溝に沿って大石が並べられているが、一部に幅を広げた場所がある。ここに水を滞留させようと熟慮したのだろうが、その甲斐はなく、中心部には泥が溜まり、水溜の役割は果たしていないし、この様子ではもはや果たせない。

f:id:haikaiikite:20210126184803j:plain

2番目の橋である「かわせみ橋」を下流側から望む

 写真は上流部から2番目の橋である「かわせみ橋」を見たもの。この橋の下にも窪みがあり、その部分には水が溜まっているものの、細い水路内に流れはなかった。

 写真から分かるように、水路は右岸側に急カーブしている。左岸側の高水敷のほうが高いようなので、流れは直進できずに右に曲流しているのだろうか。それとも、流れによって上流から泥が運ばれた結果、左岸側にそれが堆積したのだろうか?水の多い時期に再訪して確認したいと思った。 

f:id:haikaiikite:20210127153850j:plain

右岸側に残る曲流跡

 右岸側にカーブした水路は遊歩道を潜り抜け、その先にある護岸に沿って下流側にすすみ、再び遊歩道を潜って川筋に戻っている。写真の空き地は「八幡第一緑地」と名付けられている。護岸の上にさらに土盛りした場所に家が建っているので、この曲路はいにしえの流路であったに違いない。

f:id:haikaiikite:20210127153948j:plain

かわせみ橋と弁天橋間の川の様子

 写真は、八幡第一緑地の下端から30mほど下流の右岸から上流方向を望んだもの。右岸側に枯れた葦が多く残っているので、水が多い時には主に右岸近くを流路に選んでいるのだろう。その流路はもはや細い溝ではなく、より広く、しかし浅いものになっているので、低い水敷にも流れは及んでいるのかもしれない。

f:id:haikaiikite:20210127154227j:plain

川にはわずかばかりの水が残っていた

 そのことは、上の写真からも判断できる。水路は細い溝ではなくて適度な広がりを有し、少ない水量であっても周囲に湿地を形成するようになっている。

f:id:haikaiikite:20210127154327j:plain

弁天橋上から上流方向を望む

 3番目の橋である「弁天橋」のやや上流側の地点から撮影したのが上の写真である。右岸側に寄っていた流路は2つに分かれ、1本は左岸の下を潜り、もう1本は中央やや右岸寄りに進んでいる。

f:id:haikaiikite:20210127202657j:plain

左岸の外に流した水はこの場所へと進む

 左岸の遊歩道を潜り抜けた流れは写真の場所を下り、小金井街道の下をくぐって弁天橋の下流側で本川に合流する。小金井街道下に潜る手前から流れは見えなくなるが、街道を潜り抜けて東久留米中央郵便局の北側を通過してから本川の左岸側で顔を出している。

f:id:haikaiikite:20210127154421j:plain

弁天橋のすぐ上の右岸側に湧水が流れ込んでいる

 弁天橋の5mほど上流の右岸側から、パイプを伝って湧水が流れ込んでいる。上にある大きな穴は排水を流し込む導水路の出口のようだが、この地域は下水道の整備が完了しているはずなので最近では使用されていない(と思う)、雨水は別にして。

f:id:haikaiikite:20210128192653j:plain

湧水点のある場所には写真のような標識が掲げられている

 写真の標識は、落合川ではお馴染みのもので、湧水点がある場所には必ず同じものが掲げられている。この標識を見つけると、私は必ずその直下を覗き込む。転落防止柵は、私のような者にはとてもありがたい存在である。

 最上流付近には写真のようなフェンスはないが、急傾斜護岸で両側を整備され始めた弁天橋上流付近からは、こうしたフェンスが、遊歩道と流路とを分かつている。高さは70~100センチほどなので、流れや湧水点を覗くにはさして不便ではない。 

f:id:haikaiikite:20210127154544j:plain

湧水が造った流れではカルガモが餌を探すために泳ぎ回っていた

 流れが生まれると小魚や底生動物が集まり、それらを求めて鳥たちが集まる。湧水点のすぐ近くでは2羽のカルガモが餌を探していた。

f:id:haikaiikite:20210127154714j:plain

弁天橋下に流れ込む湧出した水たち

 弁天橋の下には写真のような柵が施されている。橋の下に私のような人間が住み着くことを排除するためではない。上流側には流れがほとんどなく、それゆえにゴミや枯草、枯れ枝などが溜まりやすく、それらが大雨の際に下流側に流れ込んでしまうことを防いでいるのだろうか。残念なことではあるが、実際、河原にはレジ袋、ペットボトル、空き缶・空き瓶などが結構な数、捨てられていた。

f:id:haikaiikite:20210127154914j:plain

小金井街道上から弁天橋の欄干と上流側の景色

 弁天橋は小金井街道に架かっており、かつて、私はこの橋を何度となく通っていたのだが、川や橋についての記憶はほとんどなかった。が、この場所近くで道は少し下り、その先で少し上るということ、道の曲がり具合などに関しては意外にもよく覚えていた。橋も道路の舗装も周囲の景観も変貌しすっかり新しくなっているにも関わらず、道の記憶だけは確実にあった。

f:id:haikaiikite:20210127155051j:plain

弁天橋下流側の床止め

 弁天橋下流側には、豊富とはいえないものの水は途切れることなく存在していた。上で触れた湧水のお陰である。中流下流には「落差工」があるが、上流域ではここにだけ床止めが施されていた。大雨の際、この場所へ右岸側から周辺に降った雨水を集めて流し込むため、川床が荒れることを防ぐための工夫らしい。

 落合川は湧水だけを集めた川ではなく、ときには雨水も飲み込むことになる。都市河川の宿命ではあるが、それでも高い透明度を維持しているのは、やはり多量に流れ込む湧水のお陰である。それは、中流域でとくに顕著になる。

f:id:haikaiikite:20210127155153j:plain

小金井街道沿いにあるお地蔵様

 川面の標高は53mほど、橋は54mほど、写真の「坂の地蔵さま」は55m地点に立っている。弁天橋の南詰は三叉路になっており、その又の間にお地蔵さまは造立されている。建屋や台座は比較的新しいようだが、お地蔵さまは1768年に造られたものだそうだ。子供の夜泣きによく効くそうで、地蔵が着ている服を借りて子供に着せ、そのお礼として新しい着物を作ってお返しするらしい。

 傍らの千羽鶴には、コロナの終息を願う、強い思いが込められている。

f:id:haikaiikite:20210128203559j:plain

「まろにえ富士見通り」の窪地に御成橋がある

 弁天橋南詰から280mほど南の「前沢北交差点」で小金井街道と枝分かれした写真の「まろにえ富士見通り」は、西武池袋線東久留米駅西口まで通じている。1994年に完成した比較的新しい道で、私は今回、初めてこの道を利用した。

 前沢北交差点の標高は59m、撮影地点は58m。坂を下って横断歩道のすぐ先に4番目の橋である「御成橋」がある。その標高は52mで川は51m地点を流れている。その先は上りになっているが、写真に写っている先端部分は54mなので、川の南側(右岸側)が高く、北側が相対的に低い。

 落合川周辺の地層では、第一帯水層は地表から4~6m下と考えられている。ローム層下部の難透水層上に帯水していると思われ、水量は少ないものの一定の雨量がある時には自由地下水としてゆっくり移動しているため、難透水層が露出している場所では湧水となって地表に現れる。そのひとつが先に挙げた弁天橋上流の湧水点である。河川整備で流路変更されているために現在では導水パイプで川に導かれている。

 写真の右端に写っている緑色のフェンスがある場所にはかつて「弁天池」があった。その池も、湧水を集めてできたものだろう。

f:id:haikaiikite:20210128203437j:plain

弁天池があった場所は釣り堀になっている

 弁天池があったとされる場所は現在、釣り堀(弁天フィッシングセンター)になっている。撮影した日は定休日だったので中に入ることはできなかった。一部の資料によれば、弁天池を落合川の源流点とするものもある。

流れを追って中流域へ移動する

f:id:haikaiikite:20210128203830j:plain

御成橋から上流方向を望む

 「まろにえ富士見通り」を下って「御成橋」にでた。写真は、橋上から上流方向を望んだもので、弁天橋が見て取れた。護岸が高めなのは氾濫防止のためだろう。

f:id:haikaiikite:20210128203925j:plain

御成橋下流の右岸には自然堤防が残っている

 御成橋から下流方向を眺めたのが上の写真で、右岸側には「自然堤防」が残っているようだ。

f:id:haikaiikite:20210128204110j:plain

右岸の自然堤防付近は親水広場になっている

 その自然堤防の場所に移動した。左岸側は高めの垂直岸壁になっているが、右岸側は旧流路の形を残したようでもあり、人工的に盛り土を施したようでもある。この場所には自由に入ることができるので、川の水に触れることが可能だ。

f:id:haikaiikite:20210128204218j:plain

親水広場の低水敷の造形

 低水敷の場所を広くとってあるので、上流で雨水を流し込んだときに一旦、ここで流れを緩やかにするための工夫なのかもしれない。そもそも、かなり広めで、かつ水に親しむことができる場所であるにも関わらず、とくに○○広場といった名称は付けられていないようだ。私が気付かなかっただけかも知れないけれど。さしあたり、私は「親水広場」と呼ぶことにした。

f:id:haikaiikite:20210128204334j:plain

左岸の垂直護岸からは湧水が流れ出ている

 親水広場の左岸側の垂直護岸にも湧水点があった。写真では分かりづらいが、上流からの細い流れが護岸に当たっている場所あたりである。

 また、右岸にも僅かではあるが、湧水が流れ込んでいる場所がある。2人の少年が立っているその前方である。

f:id:haikaiikite:20210129213319j:plain

護岸脇から湧水が流れ出ている

 右岸の護岸の脇から湧水が滲み出ているのが見て取れる。護岸下の土が湿っていることや、水面にできている波紋でその清水の存在が確認できると思うが。 

f:id:haikaiikite:20210128204613j:plain

地蔵橋から上流方向を望む

 親水広場の下流側に地蔵橋がある。向かいに見えるのが御成橋である。

f:id:haikaiikite:20210128204728j:plain

地蔵橋下流の右岸側には弁天池からの?湧水が流れ込む

 地蔵橋下流の右岸側に小川のような流れ込みがある。この小川の水は何処から来たのかは不明だ。40mほどしかその姿を見せていないからだ。

 とある地図からは以下のように判断される。それは本川から来たもので、上の親水広場は右岸側が大きく湾入しているのだが、その湾入の形はかつての流路を現わしており、現在でも本川の一部が旧流路に流れ込んでいるのだが、暗渠化され土盛りされてしまったために合流部の一部しか姿を見せていないというもの。ただし、右岸側には「旧流路」へ流れ込む姿を見出すことはできない。出口はあるが入口はない、というのも変である。

 別の説では、弁天池(現在の釣り堀)の水が伏流水となって旧流路に流れ込んでいるというもの。こちらの説が有力なようだ。

 が、私は第3の説を勝手に考えている。この小川の本川との合流点の標高は49mほどだが、右岸の南側は高台になっており100mほど離れた場所の標高は57mある。弁天池のところで触れたように、この周囲の第一帯水層は4~6m地点にあり、さらに第二帯水層は7.5~12mほどとされている。また、落合川中流域では武蔵野礫層の厚さが24mほどある(一般には5~10m)と考えられており、その分、ローム層は薄いために礫層中の帯水層はより上位にあると推測できる。つまり写真の小川は、ローム下位、ならびに礫層上位の自由地下水がこの川の上流部で湧き出し、ここに導かれているのではないか?まったくの素人判断なので違っているかもしれないが……正解は湧水に尋ねてほしい。

f:id:haikaiikite:20210129211406j:plain

上の写真の元をたどると

 写真の上流部は暗渠になっているので源流部までたどることはできないが、それなりに透明度が高い水なので、湧水がその正体である蓋然性は相当に高い。

f:id:haikaiikite:20210128204911j:plain

神明橋南詰に立つ庚申塔と供養塔

 小川の流れ込みから40m下流に進むと神明橋があり、その南詰に写真の庚申塔と供養塔がある。ともに18世紀に造立されたものである。このうち供養塔は、かつての落合川には石橋が架けられており、その安全を祈願するために造立されたようだ。花は手向けられていなかったが、この小さな塔たちのために敷地はしっかり整備されているので、この地では重要な存在であるのは確かなようだ。

f:id:haikaiikite:20210131130702j:plain

いつも行動を共にしている?チュウサギコサギ

 神明橋の上流では本川と先に挙げた小川との合流点があって自然が豊かなこともあって小魚の姿が多く見られた。この場所が縄張りなのか毎度(といっても3回だけだが)、餌を探している姿を見掛けるチュウサギコサギがいる。もっともその2羽がいつも同じ個体だとは限らないが。

f:id:haikaiikite:20210128205304j:plain

私がしつこくカメラを向けるので飛び去ってしまった

 私はしばらくそいつらの姿を追いかけていた。あまりにもしつこいと思ったのか、チュウサギは飛び立ち、といって遠くには行かず、橋の下流側に移動していった。

f:id:haikaiikite:20210128205731j:plain

いつも?神明橋上流にいるコサギ

 そのチュウサギといつも行動を共にしている姿を見掛けるのが写真のコサギ。くちばしも脚も黒いが、足の指だけは黄色い。もしかしたら、水が冷たいので黄色いブーツを履いているのかも?

f:id:haikaiikite:20210128205151j:plain

コサギが小魚を捕らえる瞬間!

 そのコサギが小魚を捕らえる瞬間を撮影してみた。慎重に、あるいはノロノロ水草の中に隠れている小魚を物色しているのだが、いざという刹那はやはり素早い。もっとも、このときは捕獲に成功したのかどうか、それを確認することは忘れてしまった。

f:id:haikaiikite:20210128205849j:plain

神明橋を下流側から眺める

 神明橋の下流側に移動した。小川からの流れ込みがあったためもあり、水量は徐々に増しつつある。チュウサギは、いつもの場所をよほど好いているのか、私が下流側に移動すると再び上流側に移動し、適度な距離を保ちつつ、チュウサギコサギは餌探しを再開していた。

f:id:haikaiikite:20210128210236j:plain

右岸の南方向に「ひょうたん池」がある

 神明橋の下流60mほどのところで落合川は旧流路と新流路とに分岐するのだが、その分岐点に至る直前の右岸側に写真の場所がある。ここも広くはないが川辺に出られる場所があり、その南側に、南北に細長い公園が整備されている。写真から分かる通り、その先は高台になっている。

f:id:haikaiikite:20210128210339j:plain

ひょうたん池周辺は「神明山公園」として整備されている

 細長い公園(神明山公園)の南端に、写真の「ひょうたん池」がある。底には泥が堆積しているのであまり綺麗には見えないが、小魚が数多く泳いでいる姿は視認できる。この池の標高は50m。川は49mなので高い位置にあるという訳ではない。

f:id:haikaiikite:20210128210518j:plain

神明山公園の南の高台にある「中央第六緑地」

 ひょうたん池のすぐ南側にあるのが、写真の緑地。「中央第六緑地」と名付けられているものの、かなり狭い公園で、しかもその大半は写真の池が占めている。公園の標高は51mだが、その南側にある住宅地は54~55m地点にある。宅地は新しめなので、以前は自然の林か森だったのだろう。それらが蓄えた水が湧水となって2つの池に水を供給していたのだろう。宅地化されたために地下水が減少し、結果、上部の人造池は涸れ、ひょうたん池も往時の姿は留めていない。

 細長い公園として整備されているのは、かつてそこには小さな沢があり、地盤が弱いために宅地にはならなかったからだろう。そして、フェンスのない右岸の空き地が、沢の流出口になっていたと考えられる。 

f:id:haikaiikite:20210128210654j:plain

川は一旦、旧流路と新流路とに分かれる

 右岸側には神明山公園に流れていたと思われる沢の流入跡があるが、ほぼ同じ場所の左岸側では写真から分かるとおり、旧流路は左手に逸れ、新流路が直進している。

f:id:haikaiikite:20210128210937j:plain

南神明橋Ⅱから分岐点を望む

 その分岐点を下流にある「南神明橋Ⅱ」から見たのもが上の写真である。左手の白い建物の向こう側に神明山公園があり、右手に旧流路が遊歩道の下を潜っていく姿が見える。

f:id:haikaiikite:20210128211050j:plain

流量は旧流路のほうがやや多めか?

 旧流路と新流路との間には個人住宅が立ち並び、旧流路の左岸側には都営中央町アパートが並んでいる。住宅地沿いの土留めはかなり簡素なものなので、大水の際に流されてしまわないのだろうか?

 水量が少ないときには旧流路が主流になるが、大水の際には直線化された新流路が主流になるはずなので多分、心配は不要なのだろう。

f:id:haikaiikite:20210205215024j:plain

南神明橋Ⅲの下流側で両流路は合流する

 南神明橋は3本並んでいて、上流から順に「Ⅱ」「Ⅰ」「Ⅲ」となる。その南神明橋Ⅲの下流側で旧流路は新流路に合流する。写真の左が旧流路の流れなのだが、心持ち旧流路のほうが水量は多いように思える。元来、川が旧流路を流れていたのは、地形的にそれが自然だったからである。川の南側には高台がある反面、旧流路の北側はほぼ平面になっており、明らかに川は低いほうへ好んで流れていく。

f:id:haikaiikite:20210128211416j:plain

合流点から運ばれた泥が不思議な形を生み出す

 新流路と旧流路との分離は250mほど続いており、合流後は水量によって流れの圧が微妙に変化するためか、写真のような不思議な流路をとって進んでいく。こうした景観は170mほど続くのだが、前述したように南側は高台になっているために川面は日陰になってしまうので、写真では、その興味深い姿を今ひとつ表現できていない。ただ、写真撮影が下手なだけなのだが。

f:id:haikaiikite:20210128211541j:plain

合川水生公園は蓮の花で知られている(らしい)

 合流点から200mほど下流側に「こぶし橋」があり、その橋の北側に写真の「落合川水生公園」がある。冬場は単なる小さな沼だが、ここにはハスが多数植えられるので、夏の開花期はとても見事とのこと。池の周りも多種多様な草花で飾られるそうだ。

f:id:haikaiikite:20210128211719j:plain

水生公園の南側に架かる「こぶし橋」

 こぶし橋は人か自転車の専用橋。南側の高台から下ってきたところに架かる橋なので、写真のような注意書きがある。何しろ橋のすぐ先には遊歩道があり、そこにはジジババが大勢、散歩に訪れているのだから。

 ちなみに、南神明橋Ⅲからこぶし橋のひとつ下の宮下橋の間の400mほどは、右岸側には遊歩道がない。これはもっぱら、右岸側には高台が迫り、そこには川の近くにまで住宅街が整備されているためによる。

f:id:haikaiikite:20210128211928j:plain

水生公園のそばにある小さなお地蔵様

 こぶし橋から今回の終点である毘沙門橋の間、左岸側には遊歩道と川辺の間には緑地帯がある。川辺の近くにはいろいろな野草が植えられているため、立ち入りは禁じられている。ただし、注意書きの看板はあるものの、とくにフェンスなどで仕切られているわけではない。しかし、その場所に入り込む人の姿はなかった。皆、倫理的なのか、それとも今は草花の姿が皆無だからなのか理由は不明だが。たぶん後者だろう。

 そんな散策路の一角に、写真のごく小さなお地蔵さまがあった。ブロックで守られているが、そのブロックの大きさと比較すれば、そのお地蔵様のサイズは分かると思う。

f:id:haikaiikite:20210128212048j:plain

左岸広場から宮下橋を望む

 管理下にある左岸の高水敷の向こうに見えるのが「宮下橋」。名は体を表し、南詰の高台には「南沢氷川神社」がある。

f:id:haikaiikite:20210128212204j:plain

宮下橋南詰の高台にある「南沢氷川神社

 南沢氷川神社は落合川の守り神であるのだろうが、鳥居も本殿も落合川を背にして南を向いている。鳥居の南側には南沢緑地の湧水群から集まった「沢頭」の流れがある。その沢の清流こそ落合川を象徴する存在だからだろうか?

f:id:haikaiikite:20210128212328j:plain

氷川神社は落合川とその湧水群の守り神である

 神社の創建年は不明らしいが、古文書によれば、在原業平東下りの折に南沢に宿を求め、その際に社前に立ち寄ったとのこと。ここで業平は、落合川で暮らす都鳥ならぬ白鷺(コサギチュウサギ)に言問をしたのだろうか?「わが思う人はありやなしやと」。もっとも、相手はサギなので本当のことを言うかどうかはわからない。

f:id:haikaiikite:20210128212611j:plain

南沢緑地から流れ込む湧水

 南沢緑地の湧水群から集まった清流は、毘沙門橋の右岸上流側に流れ込んでいる。この清流と氷川神社のお陰?で、この辺りの水が、落合川ではもっとも透明度が高いように思えた。

f:id:haikaiikite:20210128212800j:plain

毘沙門橋から上流部を望む

 毘沙門橋から上流部を眺めたのが上の写真で、左手(右岸側)は「落合川水辺公園」として整備されている。ここにもいろんな種類の植物が植えられている。

f:id:haikaiikite:20210128212851j:plain

湧水の流れ込みは本流の水を澄ます

 湧水群からの流れ「沢頭」の水が本川に流れ込む地点を上から眺めてみた。清流を受けてナガエミクリは嬉しそうに揺らいでいた。

f:id:haikaiikite:20210131125554j:plain

放流されたコイと在来種のアブラハヤ?の群

 毘沙門橋の下流側には落差工があるためか、その上流部には流れの緩い場所があり、放流されたコイが数匹、泳いでいた。その背後には数多くのアブラハヤやモツゴ(クチボソ)の姿もあった。
 放流種と在来種の混在。これもまた、落合川を象徴する景観かもしれない。

  *  *  *

 次回は湧水群と落合川下流部を訪ねます。