敦賀半島をめぐる
この日は敦賀半島巡りから始めて若狭湾沿いを西に進み、舞鶴港まで到達する予定。宿を9時に出発し、気比の松原の西側を通って敦賀半島の東海岸を北上した。右手には敦賀港や敦賀新港がよく見える。
海岸線には小さな入り江があり、その大半には漁村があって港を守るための防波堤が整備されている。堤防という堤防には立入禁止の措置がない限り釣り人がいるのは西日本特有の風景だ。
沖には近海汽船の貨物船が停泊しているが、これは昨日、敦賀本港で目にしたものかも知れないと思った。
この時期、若狭湾内はとても波静かだ。そのため、写真のような高さのない堤防の上でも釣りを楽しむことができる。日本海側は干満差が小さいことも、こうした低い堤防でも釣りが許されている理由なのだろう。これが太平洋側や瀬戸内海の堤防だったら、まず認められることはない。
新日本海フェリー「はまなす」が次の目的地を求めて北に向かっていた。昨日、敦賀新港ターミナルでは船と出会えなかったが、今朝は目にすることができた。船に向かって、”おはよう”そしてすぐに”さようなら”と言った。井上陽水のごとくに。
芭蕉は気比神宮近くで句を詠んだ翌日(陰暦8月16日)、小舟で色の浜(現在の敦賀市色浜)に向かった。
汐染むる ますほの小貝 ひろふとて 色の浜とは いふにやあるらむ
これは西行の『山家集』にある歌だ。芭蕉は西行の歌枕を求めて旅をするので、「ますほの小貝」に接するために、半島東岸にある「色の浜」に向かったのだった。
寂しさや 須磨にかちたる 濱の秋
浪の間や 小貝にまじる 萩の塵
芭蕉は色浜でこの二句を呼んだのち、次の目的地である美濃国に向かった。芸術の心をまったく有していない私は、ただ数枚の写真を撮っただけで浜を後にして敦賀原発に向かった。
いつもなら(といっても敦賀原発前まで来るのは今回が4度目だが)、原発の前でUターンをして今度は半島の西側に出るのだが、この日は原発前に来たという証を立てるために正門前を撮影することにした。正門を通り過ぎて20mほど進んだところに路駐して、カメラをぶらさげてトボトボと正門に向かった。
上の写真にも写っているが、フェンスには「発電所関連施設等の撮影はご遠慮ください」という看板が何枚も掲げられていた。関連施設を撮影するために正門方向に移動して構内を撮影しようとしたら、守衛が2人あわてて近寄ってきて撮影の停止を命じた。おまけに課長補佐も現れ、3人で私の行動を阻止しようとしていた。
若い自分なら彼らに「撮影禁止の理由を合理的に説明せよ」と詰め寄るのだが、老いさらばえた現在ではその気力はないので、正門の看板だけを撮らせてもらうことで妥協した。課長補佐としてもそれを止める理由は見当たらなかったようで、看板の撮影だけならOKということになった。
したがって、上の写真には原発関連施設は写っていないはずだ。ただ、シャッターを押すときにレンズが少しだけ上に向いてしまったので、看板以外のものも写ってしまっていたが、これには他意はない。いや、他意しかない。
ちなみに、敦賀原発は1号機は廃止措置で稼働してないし、2号機は2011年5月より放射能漏れ等の不手際のために現在に至るまで稼働していない。
敦賀半島の先端にある「立石岬灯台」は、日本人のみで建設された初の西洋式灯台ということで興味を抱いていた。そこで、敦賀原発の前を過ぎて立石漁港に向かってみたのだ。灯台に出掛ける前、少しだけ集落内を散策した。
小さな集落内には、写真のカフェ「マリーン」があった。残念ながら休業中だった。開いていれば、朝早くの仕事を終えた漁師が集まっている姿に触れることができたのにと、非常に残念に思った。漁師は大抵、雄弁なのだが、カウンターの隅には無口な人が座り、それは高倉健でなければならない。カウンター内に居るママは話好きのオッサン漁師の話を聞きながら時折、高倉健の様子を伺う。このママは倍賞千恵子でなければならない。
そんな場面に接することができなかった。一生の不覚である。
いよいよ灯台に向かうことにしたのだが、坂を上がる階段脇に写真のような「お触書」が出ていた。私はまだ旅を始めたばかりであり、ここで熊に食われる訳にはいかなので、不本意ながら灯台行きは断念した。
港の入口の高台には、写真の祠と石灯籠があった。漁師たちの安全を見守るという点では灯台と似てなくもないので、この祠を目にすることで、灯台見物の代わりとした、熊の餌食にならないためにも。
半島を横断する道路を使って、東海岸から西海岸に移動した。目の前に広がっているのは敦賀半島を代表する海水浴場である「水晶浜」だが、私はまず「美浜原発」の姿を写真に収めるために西岸の道路を少しだけ北に進んだ。ずっと先には白木集落がある。その名から分かるとおり、かつて新羅から渡来してきた人々が住んた場所なのだが、時間の都合上、その地までは出掛けなかった。
ここには何度か訪れているので、美浜原発に関しては道路際からその姿を撮影することができることは知っていた。ここには3基の原子炉があるが、1,2号機は廃炉準備中で、3号機のみが40年越えの古い原子炉なのだが運転中である。
「日本の水泳場88選」に選ばれている水晶浜は、その名から連想できるように石英分が多く含まれているため「鳴き砂」を体験できる場所がある。しかし、砂浜でのバーベキューなどで砂の汚染が広がっているため、それを体験できる場所は限られている。なお、お隣にはダイヤ浜もある。この地には宝石がちりばめられているのだ。
水晶浜の北側には写真のような岩場があり、とりわけ大きな岩は神格化されている。
岩場の一部は石積護岸化され、その上部には祠がある。崩れやすい岩だが上ることは可能だ。
神の宿る岩の隣には写真のような奇岩が並んでいる。
写真は、敦賀半島の付け根部分にあった砂礫浜。この辺りは先端部と岩質が異なるため、水晶浜とは異なり浜の石は黒っぽい。
20年以上も前、初めて「三方五湖」を訪ねた時は、その変化に富んだ海岸線に驚嘆した覚えがある。しかし、山陰海岸などに何度も出掛けるうちに初期の感動は薄れ、いつしかここに立ち寄ることはなくなってしまった。
写真の場所は「三方五湖レインボーライン」の最高地点で、そこからの眺めも十分に満足できるのだが、今回はおそらく最後の訪問となるので、ケーブルカーに乗って梅丈岳山頂(標高400m)まで上がってみた。
有料道路は1060円、山頂公園は1000円(ケーブルカー代を含む)と結構いい値段だ。梅丈岳山頂からは360度望むことができるのだが、私は後に触れる日向湖(ひるがこ)の見える方角が一番の好みなので、北東方向の眺めを掲載した。空気が澄んでいれば眺望はずっと良いのだけれど。
こうした類のものが各地で増殖中だが、その端緒は能登半島の恋路海岸だったと記憶している。ここでは恥ずかしい想い出があるのでその内容については触れないでおく。
そのうち、西伊豆に恋人岬が出来てグアムのそれと提携関係を結んだことから知名度が上がり、今でも訪れる人やカップルが多い。以来、各地に同種のものが発生し、気比神宮では「恋みくじ」、そしてここでは「恋人の聖地」が誕生している。まぁ、勝手にやって下さい。
五湖を代表するのが写真の日向湖(ひるがこ、水深39m)で、断層湖と考えられている。古い資料では淡水湖とされているが、現在は水道が掘られ海とつながっているため塩水湖になっている。
レインボーラインを下りて、日向湖を周遊する道路を走ってみた。
日向湖では海上釣り堀が整備されており、写真のように、平日だというのに大勢の釣り客が筏に乗っていた。5時間半釣り放題で、上級コースは11000円、マニアコースは6000円。上級コースにはマダイ、ワラサ、カンパチ、シマアジ、イシダイなどの高級魚が放流されている。釣った魚は全部持ち帰れるので釣果次第では割安になるかも。
水道で海につながっているだけなので、沖合からの波の影響を全く受けないために日向湖は極めて波静か。そのためこの湖は海の漁師たちの格好の基地となっている。護岸には沿岸だけでなく沖合漁業船もかなりの数が係留されていた。
◎常神半島から小浜までの間に
三方五湖は常神半島の付け根に位置する。ずっと以前、NHK特集で常神半島を秘境として扱う番組をやっていた。海は美しく周囲は自然だらけの半島と紹介されていたので、一度だけ、半島の先端付近にまで出掛けたことがあった。確かに感動的ではあったが、その後、若狭湾や山陰海岸にある岩場へ釣りに出掛けるようになってからは、常神半島だけが特別な存在ではないことが判明した。
今回は若狭・山陰の海を訪ねるのがメインとなる旅なので、あえて常神半島の先端には出掛けず、その代わりにずっと以前によく走った道路を使って次の目的地である小浜市街へと向かった。
とはいえ、これが国道(162号線)なのと首を傾げてしまうほど狭くつづら折りの道はすっかり国道らしくなってしまったので、かつての風情はなくなってしまった。が、その方が安全度は高いし時間は大いに短縮できるので、ありがたいことではあるが。
写真は常神半島の付け根に位置する世久見漁港の堤防。人工的な堤防とむき出しの自然が残る烏辺(うべ)島とのコントラストが素敵なので、いつもここで車を停めて写真撮影をおこなっていた。
食見(しきみ)トンネルを抜けると小浜市域に入る。といっても、小浜市街までは直線距離でもまだ10キロ以上ある。前方には矢代湾が広がる。旧道であれば海岸線近くを走るのだが、新道では山裾をトンネルを使って進むので、湾内にいくつかある漁港に立ち寄るのはやや面倒になる。
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
この歌は『百人一首』にもある二条院讃岐の作品だが、写真にある田烏(他ガラス)の浜から詠んだものとされている。
すぐ隣には釣姫漁港がある。残念ながら釣姫は「つりひめ」ではなく「つるべ」と読む。「つりひめ」ならば是非とも立ち寄らなければならないが、「つるべ」であれば妖怪を想像してしまう。
国道を少し進むと、「田烏の棚田」が見えてきた。規模はさほど大きくはないが、断崖のすぐ上にある姿が美しい。
奈胡崎トンネル、矢代第一トンネルを過ぎると右手に矢代漁港が見えてくる。この漁港には何度も訪れたことがあるので、旧道を使って海岸まで下りてみた。
滋賀県に住んでいたTさんの案内で、矢代漁港から何度も湾沖にある磯場に渡りメジナやクロダイ釣りの取材をおこなった。Tさんは磯釣りの全国大会で優勝を遂げたことのある名手だが、少しも奢るところのない紳士であった。彼には若狭湾の各所や三重県の尾鷲の磯、さらには高知県の磯まで案内してもらった。西日本の釣り名人と多く知り合えたが、その大半は彼の紹介だった。近江八幡市にある自宅にも何度も泊めていただき、近江の魅力を発見することにも役立たせてもらった。
私が若狭湾や山陰海岸に出掛ける切っ掛けを作ってもらった彼は、3年前、病のために逝去した。そのTさんの笑顔を思い起こすために、私は矢代漁港に立ち寄ったのだ。
写真の阿納尻は小浜湾の北東端に位置する。三方が陸で囲まれているために波静かで、それもあってクロダイの筏釣りが盛んだった。10数年前、一度だけだがここで筏釣りの取材をおこなったことがある。湾内なので波静かなはずだが、当時は筏釣りが盛んでしきりに筏渡しのためのボートが行き来しており、そのボートが立てる波が筏を大いに揺らすため、私はすっかに筏酔いしてしまった。
久しぶりにこの湾に立ち寄ったが、そのときにお世話になった渡船業者は廃業していた。それもあって、沖に浮かぶ筏も朽ちてしまっていた。
◎小浜市にて
阿納尻湾から小浜市街に向かう途中に、写真の「箸のふるさと若狭」館があったので少しだけ立ち寄ってみた。私は未だに箸をきちんと使えないので皆に笑われるため、箸にはあまり近寄りたくはない。が、若狭塗箸は小浜市の特産品で、日本の塗箸の8割のシェアを誇り、2008年にはオバマ元米大統領に小浜市の塗箸を進呈するなどこの地には欠かせないものなので触れないわけにはいかなかった。
箸そのものは朝鮮半島から伝来し、平城宮跡では今日の割り箸の様なものが多数発見されているので、奈良時代には広まっていたと考えられている。
若狭塗箸自体は400年ほど前、小浜藩の支那漆器をヒントに意匠化したのが始まりとされている。上述のように、これは小浜市を代表する特産品なので、小浜市街ではあちこちで見掛けることになった。
ずいぶん前のことだが、小浜漁港に「フィッシャーマンズ・ワーフ」が出来たと聞いたので、私は釣り人たちの埠頭=海釣り施設と勘違いして出掛けたことがあった。実際には、写真から分かるとおり、お土産品やレストラン、観光案内所、遊覧船発着所などがある施設だった。
小浜は「鯖街道」の起点で、サバを中心とする魚介類が京都まで運ばれた。その歴史は1200~1300年前に始まると考えられているので、鯖と一緒に箸の文化も運ばれたのかもしれない。
北陸の小京都とも呼ばれる小浜市は、写真のように古い町並みをしっかり保存しており、国の重要的建築保存地区にも指定されている。とくに、写真の場所は電柱の地中化が進められているので、すっきりとした美しい町並みに触れることができた。もちろん、保存地区以外にも古い家々は多く残っている。
海岸通りには、写真の「マーメードテラス」があり、ここから西にある「小浜公園」までは砂浜(人魚の浜)と遊歩道が整備されている。
小浜公園には写真の鶴のような亀のようなオブジェがあり、私はとても興味を惹かれてしまった。この像をいろいろな角度からバカ面をして眺めていたため、町並み保存地区の散策時間を短縮せざるを得なくなってしまった。
この鶴亀がある一帯はマーメードテラスと対になって「翼のテラス」と呼ばれており、大空を目指す白鳥のオブジェらしいのだが、私にはその下半身はウミガメのようにしか思えなかった。
小浜市を離れ舞鶴に向けて国道27号線(R27)を西進した。右手には、おおい町に属する大島半島が見える。小浜湾を西側から覆いかぶさるように北東方向に伸びている。元々は島だったものが、西側の若狭和田辺りの砂州が伸びて陸続きとなった陸繋半島である。
東側には「青戸の大橋」が架かっており、半島の先端部に行くにはこの橋を渡るほうが早い。先端部近くには「大飯原発」があり、その姿を見学するために橋を渡って北上した。
原発は山を越えた先にあり、その入り口に至るにはトンネルを通過しなければならないのだが、なんとトンネルの入口には厳重なフェンスが設置され、関係者以外はトンネルに入れないようになっていた。
路肩に車を停めてその厳重な警備の様子を撮影しようとしたが、車を停車するやいなや警備員が数人こちらに向かってきた。敦賀原発のときは正門付近だけは撮影できたが、こちらは厳戒態勢のトンネル入口だけ。それだけを撮影するためにひと悶着するのは面倒なので、諦めて東海岸方向に進むことにした。心も体もすっかり老いてしまったことを実感した。
東側、つまり小浜湾側には小さな入り江がたくさんあって、写真のような波静かな漁港が並んでいる。
漁港の一部は釣り禁止になっているのだけれど、写真の左手にあるように、さすがに西日本だけにしっかり釣り人はいた。
堤防群は釣り禁止の場所が多いのだが、その代わりに、先端部には「場違い」と思えるほど立派な有料釣り施設があった。「あかぐり海釣り公園」という名称で、手前の駐車場は有料だし、釣り公園には釣り人がほとんどいないようだったので、駐車場の手前から施設を撮影した。
青戸の大橋近くには「道の駅・うみんぴあ大飯」があり、3キロほど西に進んだところには「道の駅・シーサイド高浜」がある。R27号沿いには立派な町役場の建物があり、おおい町、高浜町にはそれぞれ設備が整ったグラウンドや体育館がある。思えば、大島半島にあった漁港も綺麗に整備され、高級ホテルを思わせるような町の交流センターもあった。それらの大半は原発誘致に際しての落し金の成せる業なのだろう。
私は休憩のために「道の駅・シーサイド高浜」に立ち寄った。写真は、その場所から大島半島を望み、原発からの送電線を撮影したもの。ちなみに、大飯原発は4機基あり、1,2号機は廃炉が決定、3号機は稼働中、4号機は定期点検中(3月より)である。
◎舞鶴に何とか到着
R27を高浜町から舞鶴市方向に進むとき、ほぼ正面に見え続けるのが写真の青葉山(標高693m)だ。東方向から見ると山容は三角形に見えるため、この山の姿に触れると「もうすぐ舞鶴なのだ」という感慨が沸く。
このときは、写真の若狭和田ビーチに寄り道をした。先に触れたように、この砂浜が沖に伸びて大島に繋がったため、大島は大島半島と呼ばれるようになったのだ。
ここでも恐竜君が愛嬌を振りまいている。高浜町はまだ福井県なの。彼?の後ろには青葉山が見える。
和田ビーチや和田漁港からは一直線に並んだ「葉積島」が見える。若狭・山陰の海ではよく見られる島(岩礁)の並びで、貫入した溶岩が差別浸食作用を受けて島(岩礁)が並んでいるように見えるのだ。この姿でもっとも有名なのは、本ブログでも紹介したことのある和歌山県串本の「橋杭岩」である。
舞鶴に出掛けたときは大抵、写真の「引揚記念館」に立ち寄る。もっとも、館内に入ったことは一度しかなく、広い駐車場や公園から周囲の景色を眺めることが主目的なのだが。
私より上の年代では大陸からの「引揚者」の関係者が結構いたと記憶している。二葉百合子版の『岸壁の母』は1972(昭和47)年の発売なので、戦後まもなくという訳ではない。もっとも、オリジナルの菊池章子版は1949年の発売だ。
私が記念館に到着したのは午後5時半。記念館は5時に閉館するので入場することはできなかった。そこで、記念館内の代わりに、広場から望む「クレインブリッジ」の姿を掲載した。
これは私の完全なる勘違いだったのだが、「クレイン」を「クレーン」のことだとずっと思っていた。が、実際には、「クレイン」は鶴のことで橋の主塔が舞い降りた鶴の形をしていることから「クレインブリッジ」と名付けられたのだ。
そういえば、この地は「舞鶴」なのである。
引揚館から舞鶴港に移動した。ここにはいつも釣り人がいる。彼らの向かいに「クレインブリッジ」が見える。この風景に触れたとき、私はいつも「はるばる舞鶴にやってきた」ということを実感する。
舞鶴港で釣りをしたことはないが、舞鶴に宿泊して翌朝に近江八幡からやってきたTさんと合流し、彼の案内で舞鶴半島の先端の磯で釣りをすることが何度もあった。私は大抵、明るいうちに舞鶴に到着しているので、今回と同じように舞鶴港界隈を徘徊するのであった。
舞鶴港には自衛隊の車両がたくさん置いてあり、それらは自由に眺めることができる。舞鶴港は日本海側を代表する軍港だったし、現在でも自衛隊の基地や訓練施設がたくさんある。神奈川県の横須賀市のごとくに。
その自衛隊の車両のむこうに「任日本海フェリー」が停泊していた。このフェリーは舞鶴・小樽間の直行便とのことだった。
折角なので、船に限りなく近づいてみた。「あかしあ」は全長が224.82m、16810トンの大型船である。「あかしあ」の名は、札幌市の街路樹としても有名な「ニセアカシア」に由来するようだ。
なお兄弟船に「はまなす」があり、こちらは敦賀・苫小牧航路に用いられている。
◎誠にリーズナブルなホテルです~ベルマーレ
釣りのときは近くにある格安なビジネスホテルを利用していたのだが、今回は奮発して、舞鶴市唯一のシティホテルを利用した。予約したのはスタンダードツインだったが、ホテル側の御厚意でデラックスツインにグレードアップ(料金はそのまま)してもらった。
デラックスツインツインルームは海側に面しており、写真のように展望風呂(ジェットバス付)があった。もっとも、右手に見えるのは海上自衛隊の教育施設で、左手に停泊中の「あかしあ」号が見えた。
風呂から「あかしあ」号を見送る予定だったが、出航時間が遅いこともあり、私はすっかり寝付いてしまった。