南沢緑地保全地域を散策する
本川沿いにも湧水点は多いが、やはりこの川でとりわけ魅力を感じてしまうのは、近傍の谷頭から湧き出す清らかな沢の存在だろう。
小さな沢の中にはもはや涸れてしまったものもあるようだが、今回に取り上げる3本の沢(沢頭、立野川、こぶし沢)は、雨量が少なく自由地下水の流量が減少(もしくは帯水層の低下)する冬場であっても湧水は絶えることなく、本川に豊かな清水を供給していた。
その代表が、前回の最後に少しだけ触れた、南沢緑地保全地域から毘沙門橋上流右岸側に流れ込む「沢頭(さがしら)」である。その沢頭の名はここで取り上げる沢の源流域のみを指すのか、それとも落合川に流れ込む3つの沢の中の筆頭格である、これから紹介する沢の流れ全体を指すのか不明だが、ここでは南沢緑地から生まれる3本の沢の総称であると勝手に考えてその名を用いることにした。
上の写真はその沢頭流が本川の右岸部分に流れ込む姿を写したものである。
前回も最後のところで、合流地点の緩流部で悠然と泳ぐコイたちを紹介したが、別の日に訪れた際には、少し水温が上昇したためなのかコイの活性がやや高まっており、淀みに留まることをせずに流れの中へ積極的に突入する姿がよく見られた。そこで改めて、彼・彼女らの元気な様子を撮影した次第である。
沢頭の流れを辿ってみることにした。写真は合流点のすぐ上流側を眺めたもので、右手(沢の左岸側)に「南沢水辺公園」がある。最下流部ではほんの少しだけ住宅地内を通過するためもあって、沢の両側は急傾斜護岸で整備されている。
水辺公園の西側の高台には、前回に紹介した南向きの「南沢氷川神社」が鎮座し、参道が南へと伸びている。鳥居のすぐ南側を沢頭は東西方向に流れており、参道には小橋(宮前橋)が架かっている。本川との合流点からは120mほど遡ったところである。上の写真はその宮前橋から沢の下流側を望んだもの。左手(左岸側)に水辺公園がある。写真の流れの先の際に住宅地があるので沢沿いに道はなく、この流れに沿って移動することはできない。
一方、宮前橋の上流部には左岸側に道路があるので、沢の流れに沿って歩を進めることができる。
沢頭を構成する3本の沢のうち、もっともか細い流れが宮前橋の上流右岸側にある。やや分かりづらいが、写真でいえば下から上に向かって(南から北へ、つまり橋に平行して)流れ込んでいる。これが「竹林の丸池」が生み出した沢である。まずは、この沢を見て歩くことにした。
合流点から10mほど上流ではまだ、草や木々の葉っぱの間から水の流れを見て取ることは可能だ。
南に伸びる氷川神社の参道からは、沢の筋は少しずつ離れ(実際には竹林の中で生じた流れが少しずつ参道に近づいてくるのだが)、しかも草や木々はより多く覆い茂っているため、流路はかろうじて確認できるにすぎない。
丸池近辺は手入れが行き届いていることもあって草も木々もほとんど存在しないために、丸池から流れ出す沢の姿を見て取ることができた。写真は丸池のすぐ下流にある溜まりとその下流部で、丸池はこの手前側にあって写真の中にはまだない。なお、丸池と写真の溜まりとは土管にて繋がっているので、その上を歩くことができる。
写真が、竹林に囲まれた丸池。観察しやすいように手入れをしたのか、かつてはもっと大きな池だったので北西側にあった木々や草は枯れてしまったのかは不明だが、湧水点に近づくことが可能だった。
丸池の周りに湧水点はいくつかあるようだが、地下水面が低い冬場の時期では、写真の場所でのみ清水の湧き出しを確認することができた。湧水点の周囲には小石が無数に存在するので、武蔵野礫層の上部から地下水が流れ出していることが分かる。なお、この地点の標高は48.5mである。
南沢緑地の谷頭を目指す
丸池から先に挙げた橋の北詰に戻り(もっとも、橋から丸池までの距離は60mほど)、今度は大本命である沢を遡上して湧水点を探すことにした。ものの本によれば、そこには明瞭な湧水点が4か所あるとのことだ。上の写真にあるように、橋の北詰からは沢に沿って西に進む市道が整備されているので移動は簡単だ。
道路と沢との間には生垣が整備されているが、記憶では3か所、沢辺に出られるような隙間が設けられていた。写真は、その隙間から上流方向を眺めたもの。
橋の北詰から140mほど西へ進んだ地点に小さな空き地があり、ここからは南方向で生まれた沢と西方向で生まれた沢との合流点を見ることができる。写真内にある木橋(現在は通行不能)の架かっている沢が南から北へ下ってくるもので、狭義の沢頭は写真の右手(西側)方向に存在する。
3本の沢でもっとも水量があるのが西側から流れ出すもの。残念ながら、左手(右岸側)は浄水場の敷地内、右手は私有地内なので、撮影場所よりも上流側に移動することはできない。写真に小さな水門が写っているのが分かると思うが、そこで浄水場から流出する沢の水量を調整しているようだ。
2つの沢の合流点の西側にも木橋が架かっており(こちらは利用可能)、浄水場内から流れ下る湧水の姿も上の写真も、その木橋の上から撮影したものである。
飛び石があり、それを伝って合流点に近づくことも考えたのだが、私の場合は飛び石を歩く際、次にどちらの足を出すべきか考えてしまうことが多い。その結果、石を踏み外すことがしばしばなので、今回は安全性を考慮し木橋を渡って南からくる沢の源流点を見に行くことにした。
緑地内には遊歩道が整備されているので歩きやすい。一方、歩ける場所が限定されているので見たいと思う場所には入れないという悩みも生じる。豊かな自然を保護するためにはやむを得ない措置なのだろうが。
南から流れ下る沢は、写真でいえば奥側に源頭があると思われたので、遊歩道を南に進んだ。
明らかに源頭があると思われる様相だが、残念ながらこれ以上、前方に進むことは叶わなかった。以前は源頭付近まで自由に行けたらしいのだが、現在では「保護」が優先されている。
源頭まで行くことができないので、谷の上に出て、そこから湧水点を探すために上り道を探した。右手(西側)にそのルートがあったので、少し進むと写真の場所に出た。その地点から、草むらの中に湧き水が流れているのが見て取れた。
その流れの源が遊歩道の近くにあることが分かったので、可能な限り近づいて撮影してみた。写真の場所は立ち入り禁止場所ではない。
源頭域では侵食作用が進み、谷壁が崩落して湧水点が移動し、谷壁はさらに後退する。谷の最上流部を谷頭(こくとう)と言うが、こうして谷頭周辺は逆U字の形になることが多い。この場所の谷全体はその教科書通りの形をしている(3枚上の写真が参考になるかも)が、写真の場所は逆U字の奥側ではなく西側なので、仮にこの場所の浸食が進むと谷の形は大きく変化するかもしれない。しかし、湧水の量は奥側に比べるとかなり少なめなので、その可能性は限りなく小さそうだ。
谷の上に出てみたが、樹木があまりにも多く覆い茂っているため、メインの源頭を見出すことはできなかった。谷の直上には市道が通り、その南側には住宅が並んでいた。もはや、この谷の湧水量程度では後退侵食を起こす力はないという安心感から開発が進んだのだろう(そうでないと大変なことになる)。
なお、私が視認した湧水点も、奥側の湧水点(と思われる場所)も標高は50mほどで、谷上の市道は55m地点にある。
西側から下ってきた沢頭のメインとなる湧水の源頭は、写真の「南沢浄水場」の敷地内にある。私のような一般人は、谷上を通る市道の北側に設置してある柵の外から眺めるだけで、しかしその2つあるとされる湧水点は建物や樹木に隠れているため、周囲の地形からその在処を推察することしかできない。
写真の配水塔の容積は一万立米なので一万トンの水を貯えることができる。ものの本には、南沢緑地全体の湧水量は一日一万トンとある。一日分の湧水を集めることができる計算だ。もっとも、浄水場では湧水だけでは足りず地下300m地点から水を汲み上げているらしいので、双方の合計(湧水を含めた地下水全体)が一万トンというのが正解だと思われる。
なお、東久留米市の上水道は25%が地下水で、残りの75%は金町浄水場、境浄水場、東村山浄水場などからやってくる浄化処理された川の水である。東京都全体では、80%が利根川・荒川水系、17%が多摩川水系の水なので、東久留米市の水はやや「自然度」が高い。
私は浄水場の周囲をうろつき、何とか谷頭が見える場所を探そうとした。浄水場の西側には写真のような谷が見えるのだが、しかし、この場所も立ち入り禁止で近づくことさえできなかった。
六仙公園の存在意義
地図を見ると南沢緑地の西南西側に公園があることが確認できたので移動した。公園内には「わき水広場」というのもあるらしい。その「わき水」の言葉に惹かれたのだ。
写真はその公園の敷地の東端で、配水塔の姿がよく見える。それにしても、この場所は「何か」を整備しているようで、不可思議な光景が広がっていた。ところどころに個人住宅の建物もあるのだが、どれも空き家のようだ。
公園の正門?は西側にあるようなので、その西側入口近辺まで移動して再び、南沢緑地方向を眺めてみた。少し分かりづらいが、写真中央上部に配水塔が写っている。
公園内には「かたらいの広場」「芝生広場」「第八小学校記念広場」「野外学習広場」など「〇〇広場」がいくつもあるが、基本的には広大なる空き地で、わずかに遊具施設があるだけだ。なかには「縄文の丘」というのもあるので、一帯からは縄文遺跡が出土したのだろう。たしかに、近くには豊富な湧水地があるので、縄文生活?には便利だったかも。
「わき水広場」に湧き水はなく、そのかわり、「水の森の創造~湧水を守り……」という決意宣言があった。その言葉から、この公園は南沢緑地の水を守るための涵養地であることが理解できた。広大な空き地は雨水を受け止め、多くの水を土中に浸透させ、ローム層の下にある武蔵野礫層に帯水する地下水を豊かにするという役割を有しているようだ。地下水を涵養することで南沢緑地内の湧水を一定量を確保する。その目的のために学校や住宅を廃して涵養地を広げていると考えられた。そうすることで、自然度25%の水道水を供給する体制を維持していくのだろう。大深度地下(上総層群内)に帯水する被圧地下水だけに頼りすぎると、地盤沈下の危険性があるからかも?
公園の東側だけでなく、写真のように西側にも整備事業は広がっており、住宅地であった場所も涵養地に転じつつあった。
そして窪地の存在である。公園の最高点の標高は58.5m、広場の多くは55~57mだが、写真内の窪地は52~53mなのだ。しかも、その窪地は東北東に進んでいき、行き着く先は南沢緑地の湧水点付近である。ただし、窪地の西側は標高57~58mなので、公園整備地の外にまでは窪地は伸びていないようだ。
想像するに、かつては公園の西端近くに湧水点があり(わき水広場はその名残?)、その湧水の流れが窪地を形成し、それが南沢緑地方向に続いていたと考えられる。武蔵野台地は西南西から東南東方向へ緩やかに高度を下げている。当然、基盤である上総層群も、帯水層である武蔵野礫層も同方向に緩やかに傾斜している。その一方、基盤と礫層とは不整合に接しているため、不圧地下水(自由地下水)の水位は一定ではなく、写真の場所辺りで生まれた湧水は地下水面の低下で涸れてしまい、現在では地形にのみその姿を留めているのだろう。それに対し、南沢緑地内の湧水点では地層の転換点が存在し、礫層の露出度がより大きいために地下水位が低下しても一定の湧出量が確保されていると思われる。
そういえば、竹林の丸池の湧水点でも礫層の露出が見られた。地層の僅かな変化が、湧水点の有無を決定づけているのだろうし、その違いはもちろん、たまたま生じたのだろう。自然に意志はないのだから。
立野川の源流域、そして中流域へ
南沢緑地公園の南南東方向に「向山緑地公園」がある。公園内に湧水点があり、その清水は落合川の支流である「立野川」の水源となっている。南沢の湧水点と立野川の湧水点とは直線距離にして150mほどしか離れていない。しかし、2つの湧水点との間には住宅地や畑があるため直に行くことはできない。立野川の源頭に行くには、まず六仙公園の東端に出てから南に進み、それから東方向に進路を取り、住宅地の中を進んでから向山緑地公園の南側に出る必要がある。
写真は、緑地公園の南側から源頭があると思われる雑木林の斜面を望んだもの。撮影地点は標高60mで、源頭は51mあたりなので、斜面を北方面に下る必要があった。もっとも、闇雲に下らなくてもきちんと遊歩道が整備されている。
写真は、その斜面をほぼ下り切ったところ。谷底の平面はやや広めに見えるが、北側は農地や宅地の開発が進んで土盛りされていたり整地されているので、元の姿をイメージすることはできない。ただし、水源域は保護されているので湧き水の存在を見ることは可能だった。
雨量の少ない冬場だからなのか、それとも地下水が枯渇気味なのかは不明だが、私が訪れた際には、湧き出すというより滲み出るという感じだった。ただし、地形図などで周囲の様子を詳細に調べてみると、最上流域は南南西を頂点とするU字の谷の形をしており、標高51m程度の谷底は整地されている緑地の北側(川の左岸側)にもある程度の幅を持って広がっているため、往時はそれなりの湧水量を誇っていたのかも知れない。
最上流域は沢というよりは湿地に近い。斜面側は右岸であるが、左岸側からのほうが全体の様子を捉えやすいと思われた。そこで沢を飛び越えることを考えたのだが、湿地の広がり方が不明であり、失敗すれば泥沼にはまり込むこともあり得ると思い、跳躍は断念した。
そこで少し下流に移動してみると、写真のような丸木が渡してある姿に出会った。いかにも仮の橋という様相であったが、遠慮なく利用させてもらった。私の体重では丸木橋はよく曲がったけれど。
左岸側に出たので、源頭を見るべく上流に移動したのだが、最上流部の左岸側は私有地で立ち入りが禁じられており、行く手を阻まれてしまった。仕方なく、下流側に進むと写真のような姿が広がっていた。明らかに斜面は崩落しており、そのために遊歩道が失われただけでなく、右岸から左岸に渡るための石橋だか飛び石だかが破損していた。このために、少し上流側に丸木の仮橋を設けたのだろう。
左岸の下流側も私有地が沢のぎりぎりのところまで広がっているので、最上流域と同様、移動は制限されていた。私は丸木橋を渡って右岸側に戻り、下流方向を眺められる場所を探して上の写真を撮影した。ロームというより表層土の上を流れているため美しさは感じられないが、水の透明度は保たれ、かつ最上流域よりも水量が増えていることが分かった。明確な湧水点は見出せなかったが、湧水以外に水量が増すことはあり得ないので、斜面の際から地下水が少しずつ滲み出ているのだろう。
向山緑地公園の下流側に移動するには住宅地を迂回する必要があった。写真は住宅街を流れ始めた立野川を上流方向に望んだもの。写真ではどぶ川のように見えるが、水自体に汚れはない。
南沢通りの「笠松橋」に出た。上流側を望むと、流れの中にミクリの姿があることが分かった。その姿から、立野川は湧水が生み出した小川であり、かつ、落合川の支川であることが理解された。が、右岸側の水敷にはゴミが捨てられていた。笠松橋の北詰には交差点がある。おそらく、信号待ちをしている背の高い車の乗員が窓から車内のゴミを捨てたのだろう。ミクリには、その行為を告発するすべはない。
立野川の笠松橋から南沢通りを北上すると、250mほどで落合川の毘沙門橋の出る。毘沙門橋上流の様子は前回や今回の冒頭でも触れたので、今度は橋の下流側を進むことにした。写真は、橋の下流にある「落差工(堰堤)」を右岸側から望んだものだ。
毘沙門橋から220m下流に進むと「落合川いこいの水辺」に出た。左岸側の高水敷が広場風になっている。かつての曲路を利用したのだろう。前回では5枚目の写真が右岸から見た「いこいの水辺」で、そのときには保育園児と引率者の姿を写している。
いこいの水辺で憩う子供たちを写した日には黒目川との合流点まで進み、その帰りに写したのが上の写真だ。今度は、川辺にて男性が本を読む姿があった。今回は主に左岸側を移動し、いこいの水辺の様子を丹念に探ってみた。その際に写したのが、今回の冒頭の写真である。本を読む人が岸辺にいたのは前に訪れた日と同様であったが、今度は女性であった。
せせらぎに触れながらの読書。私には絶対にできない真似である。おそらく3分は持たず、川の中に入るか、石を投げ込むか、鳥たちを追い回すか、などの行為に出ること必定だ。
いこいの水辺は左岸側がメインだが、右岸側にも川辺に出られるところはある。とはいえ、フェンスがない場所は限定的で、水敷も狭いので、暖かい時期に川の中で遊ぶ人たちの緊急避難場所といえなくもない。
ここにも湧水点はある。青いパネルには「この場所は、近隣住民の方々が飲料水として利用する「湧き水」です。川の水が入らい(ママ)ように「水のダム」を設けてあります。……(以下省略)」とあった。「な」が抜けているのは気になるが、この点は直に訂正されると思う。ともあれ、生活用水ではなく、飲料水とあるのがすごい。落合川の湧水、恐るべしである。
いこいの水辺の下流に架かるのが写真の「老松橋」で、道の通称は竹林公園通り。橋の南詰から180mほど進むと、後に紹介する「竹林公園」に至る。
老松橋の次が「美鳥橋」で、その下流にあるのが、落合川最大の落差工である。落差工は流速を抑制し、水敷や河床の損失を防いでいる。が、その分、落差工で生き物の移動が制限され、かつ、あまりにも人工的で美しさは失われる。
落差工の下はトロ場(流れの緩い場所)になっており、そこにはたくさんの放流されたコイたちが泳いでいた。落差工下で川底に溜まった泥がかき混ぜられるため、水はやや透明度を失っているのが残念ではあるが致し方ない。
コイは底生動物を食べ尽くしてしまうため、近年では「害魚」扱いされることが多い。コイがいない川もコイの無い人生も寂しいが、自然豊かな落合川に相応しい存在かどうかは疑問の残るところである。
西武池袋線の「落合川橋梁」が見える。左手(左岸側)方向に「東久留米駅」、右手方向に「ひばりが丘駅」(西東京市)がある。前者と川とは直線距離にして370mほど、後者とは1000mほどなので、明らかに東久留米駅が落合川の最寄り駅である。
なお、次に「こぶし沢」について触れるので、右岸にある大きな木の存在を確認しておいていただきたい。
こぶし沢を遡上して竹林公園へ
橋梁の右岸上流20mほどのところに写真の流れ込みがある。これは竹林公園内にある湧水が生み出した「こぶし沢」のもの。冒頭で、落合川には3本の沢があると述べたが、この「こぶし沢」が3本目(1本目は沢頭、2本目は立野川)である。
ひとつ上の写真の右手に大きな木が写っていることを確認していただいたはずだが、その根元近くに沢は流れ込んでいる。
写真は、こぶし沢が本川に流れ込む直前の様子。大きな木は沢の右岸(写真では左側)にある。ここから竹林公園内の源流点までは350mほどの距離で、その短い旅がこれから始まる。
合流点から200mほどは流れに沿ってほぼ遡上することができる。住宅地の中を流れているのだが、大方は川沿いに散策路が整備されていて監視の目が光っていることもあってか、沢にゴミを捨てる輩は少ないようだ。
清い流れはホタルにもカワニナにも好まれるようで、季節になれば、ここではホタル狩りも楽しめるそうだ。
竹林までの40mほどは川沿いに進むことはできない。住宅の先にある鬱蒼とした茂みが竹林公園の東端である。なお、撮影地点の標高は44mだ。
竹林公園に至るためには、住宅街をL字形に進む必要がある。もっとも、道はそれしかないので、撮影地点から住宅街へ上る道を道なりに進むと竹林公園の入口に至る。もっとも竹林公園の正門?は南側(標高52m)にあるのだが、写真の南東口?(標高50m)のほうが沢の遡上者にとっては近い。トイレ(かなり古い)を利用する場合は、正門?のほうに行く必要はあるが。
遡上する私は写真のところから竹林に入った。ここにも、前回に散策した狭山丘陵同様、「ちかんに注意」の看板があった。この竹林には阮籍(げんせき)や嵆康(けいこう)といった賢人(七賢)はいないようで、変人や変態(七変)が出没するのかも。もっとも日中は見物人や散策者が絶えないので心配無用とは思うが。
南東口から竹林に入り、散策路を進むと、住宅地の際を流れる沢の姿が見えてくる。
沢の流れに沿って右岸側には散策路が続いているので、源頭に行くにはそのまま整備された道を進めば良い。
途中に湧水点があった。すぐに分かることだが、ここは源流点よりも湧出量は多かった。
源頭のすぐ下流には石橋があり、その橋から下流側を眺めたのが上の写真。小さな水神様が祀ってあった。先ほどの湧水点はこの流れが左に曲がった先にある。標高は45.5m。
ここがこぶし沢の源流域。中央の奥にあるのが源頭(標高46m)で、その直上にはお馴染みの標識もある。渇水期ということもあって湧出量は多くはなかった。
谷頭は不自然なまでに石で固められている。後退侵食を防止するためだろうか。
公園内には2000本もの孟宗竹がある。賢人ならぬ変人が出没するのは、いらぬ妄想をするからだろうか。母想いの孟宗(3世紀、呉の人)は、冬場でも竹林に入って母の好物であるタケノコを探した。その故事から孟宗竹の名が付いた(そうだ)。なお、この公園内ではタケノコ狩りは禁じられている。
竹林公園の西側に出て源流域方面を望んだ。中央に見えるトラックの奥側右手に源頭がある。左手側は宅地開発が進んでいる(トラックはその工事のための車両)ため、かつての谷の姿を想像することは難しい。が、視界を広げると、写真の左手には標高48.5mの小さな尾根、竹林公園の最高地点は52m、源頭は46mであり、俯瞰すれば、撮影地点の前方には東北東にU字形の谷が形成されていたと想像することは可能だ。
なお、写真の左右に通る道が「竹林公園通り」で、撮影地点からその道を北(左)に180mほど進むと、先に紹介した老松橋の南詰に出る。
西側を振り返り見れば、そこにも竹林があった。竹林公園の源頭から先に挙げた竹林の丸池までは640m、向山緑地の源頭とは750m、南沢浄水場の源頭(と思われる場所)でも900mしか離れていない。そういえば、向山緑地には孟宗竹が多かったし、浄水場の南側にあった南沢樹林地も竹林が大半だった。落合川が有する3つの沢は、竹林を中核にしたひとかたまりの湧水群と考えることも可能かもしれない。と、私の妄想は広がった。
本川に戻った私は左岸側の遊歩道を下流方向に進んだ。西武池袋線落合川橋梁の85m下流には「共立橋」があり、その北詰から下流右岸側を見ると「不動橋広場」が視界に入った。広場には遊具施設があり、近隣から来たと思える保育園児と引率者が光の春の下で豊かな時間を過ごしていた。
広場の隣には「不動橋グラウンド」があり、ジジババたちがゲートボールに興じていた。以前に比べるとゲートボールファンは少なくなったと感じる今日この頃だが、動向がどうであれ、私にはまったく無縁の世界である。
グラウンドの北側には人・自転車専用の「立野橋」が架かっていたが、それは無視して、その下流側にある「不動橋」まで進んだ。
かまぼこ型の不動橋広場・グラウンドが尽きかけると今度は左岸側に写真のような畑が広がっていた。右岸側にしても左岸側にしても住宅はそれなりの高さの土盛りをした上に建てられている。広場や畑の形状から明らかなように、落合川はこの地点では激しく蛇行していたのだろう。土盛りは、曲流点での氾濫に備えてのことのはずだ。
川は標高40m地点を流れ、広場・グラウンドは41・5m、その上の住宅は46mのところにある。一方、畑は川に近いところで41mだが北にゆっくり上昇して43m地点まで広がっている。
畑の東側に空き地があり、その一角に写真の「不動明王像」があった。その名前から推察できるように、不動明王は「揺るぎのない守護者」であるので、湧水点のような地べたが不安定な場所に安置されていることが多い。水の神である弁財天とならんで、川辺ではよく見掛ける姿である。この周辺は曲流点かつ湧水点が存在するので、不動明王の出番は必至なのかも。
不動橋下流左岸に、落合川ではすっかり馴染みとなった湧水点標識板があった。
ここでは導水管を伝ってきた湧水が流れ込んでいた。この地点は標高40mだが、左岸の北側には標高46mほどの尾根が東西に伸びている。その尾根で涵養された地下水がこの地点にて顔を出している。急傾斜護岸が整備されているので、こうした導水路を使って湧水(地下水)抜きをする必要があるのだろう。
不動橋下の湧水点を見物したので、今度は橋を渡って右岸側の遊歩道を下流方向に進むことにした。足元の流れにはヒドリガモのペアが日向ぼっこを楽しんでいた。
写真の新落合橋は県道234線の橋で、落合川に架かる橋はあと一つ。ただし、その最後の橋である「下谷橋」は人・自転車専用なので、車が通れる橋としてはこの橋が最下流のものとなる。
写真は橋のすぐ下流右岸側を撮影したもので、ここに立野川が流れ込んでいる。立野川は落合川の南側を300~400m離れて並走してきていたが、合流点の手前350mほどのところから流れの向きを変えて写真の地点で落合川と出会った。ただし、出会いの場付近は流路変更されているようで、周囲の地形から判断するに、かつてはもう少し下流側であったと推察できる。
何しろ、この近辺では黒目川、落合川、立野川が一体化するので、水路調整は氾濫を防ぐためにも必至である。
新落合橋から290m下流で、落合川は北側から下ってきた黒目川に合流する。黒目川が本流となるが、湧水点をより多く持つ落合川のほうが少しだけ流量が多いような気がした。
写真は、黒目川側から見た落合川との合流点の姿。落合川の看板はもはやこの下流側には存在しない。
水量の多寡によって合流点は異なるだろうが、合流点のすぐ下流側に写真の「神宝大橋」が架かっている。この橋を境に、上流側が東京都東久留米市、下流側が埼玉県新座市となる。それでは、この橋はどちらの市に属するのだろうか?橋についての答えは、一休さんに聞くしかない。
一休さんはきっと言う。「どちらか決めかねるときには真ん中を通りなさい」と。そして、橋の真ん中を歩く正直じいさんはドライバーに怒鳴られる。「端を通れ!」と。
コロナ後に 落合川で 落ち合おう
コロナ禍が継続中なので遠出は遠慮している。そのお陰もあって、落合川をじっくり観察することができた。透明度の高い川の植物といえば「バイカモ」を常にイメージしてきたが、落合川の各所で見られたナガエミクリの群生も、清水には相応しい水生植物であると認識を新たにした。
落合川は鳥たちにも良き住処であるようで、とくに白鷺の姿がよく見られた。そんな人間の想いとは無関係に、サギたちは首を長く伸ばして獲物を狙っている。人間たちは首を長くしてコロナの収束を待ち願っている。