徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

2019-01-01から1年間の記事一覧

〔31〕府中は、不忠ではなく普通の町です(1)

府中には武蔵国府があった 府中には不忠者もいるが、ごく普通の町なのだ 私は府中市生まれの府中市育ちで、人生の大半を府中市で過ごした。とはいえ、実際にはしばしば全国各地を放浪していた(いる)ので、住民票が府中市にあった(ある)というだけかもし…

〔30〕奇跡の玉川上水(3)~拝島から小平監視所まで

昭島市・昭和の森付近を流れる玉川上水 多くの分水を有する玉川上水 玉川上水は江戸府内への飲料水供給が主なる目的だったが、ほかにも生活用水、防火用水、庭園用水、濠用水などにも利用された。さらに、多摩地区の新田開発のために多くの分水路が造られた…

〔番外編〕清水みなとの名物は?

私の鮎師匠・興津川の名物釣り師の石垣さん 静岡市清水区は、私の第3の故郷になりつつある。清水へは、少年期は家族で石垣いちご狩り、三保の松原、登呂遺跡見学(ここは駿河区だが)に何度か出掛けた。青年期は仲間とのドライブでいちご狩り、三保の松原に…

〔29〕奇跡の玉川上水(2)~取水口から拝島まで

羽村取水堰を望む 頑張った人々、そして地域 奇跡の玉川上水の完成は、庄右衛門、清右衛門の兄弟(以下、玉川兄弟と略す)の努力によるところが大きいとされるが、実際には無数の人々の多大なる苦労の末に成し遂げられたと表するのが妥当だろう。川越藩主・…

〔28〕奇跡の玉川上水(1)~その流路と取水口が決まるまで

江戸の奇跡的建造物・玉川上水の取水口周辺 玉川上水の謎に迫ろうとした訳は? 水の確保に苦労した江戸府内は、3代将軍・徳川家光の時代に玉川上水の開削を決したとされる。明確な資料は残っていないが、慶安2~3年(1649~50年)頃のことのようだ…

〔27〕多摩川中流散歩(2)~水と府中崖線と

復旧未定の日野橋を望んで 川の氾濫が生み出す功罪 川の氾濫は人々に災いをもたらす。台風19号による大雨で数多くの河川が決壊や越水、逆流したことで流域に住む人々に多くの被害を与えた。反面、歴史的に見れば川の氾濫は流域の土地や人々に幾多の富をも…

〔26〕タマちゃんを求めて~多摩川中流散歩(1)

多摩川中流に架かる是政橋 「タマちゃん」そして「ウタちゃん」は何処に?! 2002年8月、アゴヒゲアザラシが多摩川の丸子橋付近に現われて大騒ぎになったことがある。新聞やテレビではその海獣の動向が連日のように報道され、多摩川の河原は見物人や報…

〔25〕岬めぐりは三崎めぐりなのだ(後編)でも、それだけではないのだ!

城ケ島の名勝・馬の背洞門を望む 城ケ島めぐりは三崎めぐりだし岬めぐりでもある 三浦半島へ磯釣りに行くといえば城ケ島へ出掛ける、ということと同義語というほどではないが、その確率はかなり高い。思えば、このブログの第1回目は城ケ島釣行を素材にした…

〔24〕岬めぐりは三崎めぐりなのだ(前編)

小網代湾を望む 岬(三崎)めぐりを三崎港から始める 今から40数年前、「岬めぐり」なるフォークソングが流行った。ギター1本あればスリーフィンガーで簡単に演奏できるので、友人らとよく唄った記憶がある。どこにでもある若者の感傷をテーマにした曲だ…

〔23〕見捨てられた半島~親愛なるものへ

市原市のゴルフ場横にある住宅地。今もそのまま! 台風15号の襲来は間違いなく天災である。人の力では台風の上陸を阻止することも、家を担いで他地域に移動することもできない。 だがしかし、台風による被害の多くは、そして人々の苦難の大半は人災である…

〔22〕これっきりではなかった!ここも横須賀

地質学的に貴重な存在である荒崎海岸 横須賀西海岸を探訪する 近代的横須賀は東海岸(東京湾側)にあるが、私がより慣れ親しんでいる横須賀は西海岸側、つまり相模湾に面したほうに多くある。東京湾側はすでに紹介したように大半が埋立地であるのに対し、相…

〔21〕これっきりですか?ここは横須賀

浦賀港の渡し舟 横須賀には「軍港」と「ヨコスカ」以外の顔もたくさんある はるか以前に、横浜市金沢区に少しの間だが住んだことがある。金沢区のすぐ南側は横須賀市で、かつ三浦半島へは取材、磯や堤防釣りでしばしば出かけていたため、横浜市民でありなが…

〔20〕秩父困民党に学ぶ(2)~蜂起の流れを知る

困民党軍は音楽寺から市街地へ駆け下った 困民党はコンミューン党である 困民党は「借金党」「赤貧党」「貧困党」「負債党」などとも言われていたらしいが、やはり「困民党」の名が彼らの運動組織にはもっともふさわしい。困民は困窮民の省略形だろうが、私…

〔19〕秩父困民党に学ぶ(1)~蜂起の地を訪ねて

椋神社内にある記念碑 秩父困民党事件とは? 1884年(明治17年)11月1日、鉄砲、刀、槍などで武装した約3000人の民衆が下吉田村にある椋(むく)神社に集結した。秩父郡の西谷(にしやつ・秩父北西部の山間地)にある各村ならびに大宮郷(現在…

〔18〕浅川旅情、いや遡上(そじょう)です(後編)

中村雨紅の心象風景を具現化した看板 日野台地形成の一翼を担った浅川 日野台地にいる。 少し前まで、国道20号線(甲州街道)の日野橋交差点からJR中央線の日野駅辺りまでは渋滞の名所だった。府中から八王子に行くとき、この渋滞区間が嫌で、多摩川に掛…

〔17〕浅川旅情、いや遡上(そじょう)です(前編)

高幡不動は土方歳三の菩提寺 浅川には浅からぬ縁がある 浅川は多摩川の大きな支流のひとつである。もう一つの大支流である秋川は渓谷が美しかったり鮎釣りが盛んだったり、右岸に「サマーランド」があったりと流域に住む人以外にもその存在はよく知られてい…

〔16〕古代蓮 行田でギョーザに 大古墳

古代蓮は埼玉県行田市にもあった 古代蓮の里にある行田蓮 今年は近年になく梅雨らしい天気が続くので鮎釣りには行けず不本意なのだが、この時期はハスの花があちこちの池や沼で咲くので、川遊びはほどほどにしてハスの花見物と洒落込んだ。 古代蓮の里は平日…

〔15〕ヨーコを探して港へ(2)ヨコハマ・ヨコスカ

横浜、そして横須賀へ 港の見える丘公園のイングリッシュガーデンからベイブリッジを望む 横浜に初めて行ったのは、10歳前後の頃である。横浜地方気象台に勤めていた叔父(母の弟)一家が山手町にある官舎に住んでいたので、夏休みに母と一緒に訪ねた。そ…

〔14〕ヨーコを探して港へ(1)横浜慕情

ヨーコの原像を探すために横浜へ出掛けた 山下公園の正門付近から海方向を望む ヨーコの名には格別な思いがある。ありふれた名なので、記憶にあるだけでも同級生には「洋子」「庸子」「陽子」「容子」がいたし、社会人になってからも「燿子」「葉子」「曜子…

〔13〕金沢逍遥~ただし横浜市金沢区のほうです(その2)

金沢八景とその由来 平潟湾で採った貝を洗う人 金沢八景とは「小泉夜雨」「称名晩鐘」「乙艫(おつとも)帰帆」「洲崎晴嵐」「瀬戸秋月」「平潟落雁」「野島夕照(せきしょう)」「内川暮雪」の八つの風景をいう。17世紀末、心越禅師(中国からの亡命僧。…

〔12〕金沢逍遥~ただし横浜市金沢区のほうです(その1)

金沢は金沢区が一番!? シーパラダイスにあるアトラクションのひとつ「バイキング」 金沢大学医学部出身の知り合いがいて、その人は実に“金沢愛”に満ちていた。埼玉生まれの埼玉育ちなので”郷土愛“とも違う。加賀の金沢ではとても素敵な青春時代を送ったの…

〔11〕駒込界隈を巡る

武蔵野台地のヘリを訪ね歩いてみた 六義園の内庭に至る門 駒込界隈には特別な用事はほとんどないのだが、時折、この町を散策してみたくなることがある。この地では時(とき)は幾筋もの流れをもっていて、人の歩みでは追いつけない時、数百年いや数千年前に…

〔10〕羽田空港周辺を飛び歩く

10代の頃、羽田空港は私の逃げ場だった 京浜島つばさ公園から空港を望む 10代の半ば頃からしばらくは羽田空港に出掛け、展望デッキから飛行機の離発着をのんびりと眺めるということがよくあった。 学校に行くことは、最初の一か月で興味を失った。朝、京…

〔09〕徘徊老人・東急世田谷線散歩

こんなに立派になっちゃって 立派になった電車と夏を彩る花(ニオイバンマツリ) ボロっちい電車といえば、多摩の田舎では南武線、歌の世界では池上線というのが通り相場だった。 南武線は、私の地元を通っているので、幼い頃から何度となく利用している。小…

〔08〕徘徊老人・足尾~渡良瀬川上流紀行

足尾砂防ダムから渡良瀬川が始まる 5月11日は足尾銅山鉱毒事件の転換点の日 1974年5月11日、国の公害等調整委員会は当時の古河鉱業の加害者責任を認め、鉱毒事件の被害者に対する補償金の支払いを命じた。これは、1970年の「公害国会」以来、…

〔07〕徘徊老人・越生~山吹、ツツジ、滝と峠と

越生町には訪ねたい場所がいろいろある 越生は梅林と同じくらいツツジで有名 埼玉県の越生(おごせ)町といえば、まず「越生梅林」を思いうかべる。ここは関東三大梅林のひとつとされている。また、梅の実の生産高でも、越生は埼玉県随一らしい。さらにいえ…

〔06〕徘徊老人~渡良瀬紀行

渡良瀬川との出会い 渡良瀬川の右岸から流れを望む 渡良瀬川の名前を知ったのは、小学生のときだった。本を読むことはまったくなかったが、地図や図鑑を見るのはさほど嫌いではなかった。悪天のために外で遊ぶことができなかったときは、兄と一緒に地図帳を…

〔05〕徘徊老人~沼津の海岸散歩する

ここに川終わり、海始まる 川の左岸から河口方向を見る 狩野川は、私に鮎の友釣りの楽しさと難しさ、奥深さを教えてくれた。鮎釣りは主に中流域で行うので、沼津市はいつも通過し、伊豆の国市の大仁から伊豆市の嵯峨沢橋の間で竿を出す。今回は、鮎釣りはま…

〔04〕徘徊老人・国分寺崖線を歩く

崖線は私の青春の前に、いつも立ちはだかっていた 国分寺跡から桜の向こうにある国分寺崖線の森を望む 今ではとても信じられないことだが、半世紀ほど前の私にも青春時代があった。 16歳のころ、市の北側に住む少女(同学年)の家を訪ね、国分寺跡のある方へ…

〔03〕徘徊老人・別所沼公園に行く

立原道造を知る 教室に入ると、顔見知りになったばかりの女性がいた。クラスの中では一番幼そうな雰囲気だったが、一方で、整った顔立ちをしているという印象を抱いていた。彼女は一人で文庫本を読んでいた。私は「何読んでるの、プロレスの本?」と斜め前か…