徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

〔47〕3ケタ国道巡遊~徘徊老人R411を行く(1)

友田交差点にあるR411の道標 かつて、ルート66というドラマがあった 『ルート66』(1960~64)というテレビドラマがあった。日本でも61年から放映された。私はまだガキンチョではあったが、そのドラマをかなり真剣に見ていたという記憶はあ…

〔46〕野川と国分寺崖線を歩く(4)深大寺界隈(後編)

お寺の鐘は三度、響き渡る 深大寺の歩みを概観する 深大寺の開創は『深大寺真名縁起』では733年、『私案抄』では757~64年である。前者は深大寺の僧・辨盛が1650年に著したもので、1646年の火災により深大寺に存した縁起・経疏・霊仏・霊宝…

〔45〕野川と国分寺崖線を歩く(3)深大寺界隈(前編)

深大寺は法相宗の寺として733年に創建された 深大寺縁起ものがたり 現在の調布市佐須町が「柏野」と呼ばれていたころ(市立柏野小学校の名前として残っている)、その地には右近長者という豪族が住んでいた。右近と虎女との間にはひとりの美しい娘がおり…

〔44〕野川と国分寺崖線を歩く(2)流域今昔物語

野川と西武多摩川線と武蔵野公園と 前回の最後に挙げたように、野川は「新小金井橋」の下流部から、それまでとはまったく異なる表情に変わる。それは川自体というより、その流域の姿が一変するからである。源流部のすぐ南の中央線直下から顔を出した野川の流…

〔43〕野川と国分寺崖線を歩く(1)私は野川に入れるか?

野川と中央線と 野川に入ることはできるか? 「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」 川について触れるとき必ずといって良…

〔42〕横須賀市夏島町地先に集う人々

脚立に乗って釣りする人たち マルクスの警句 「どんな株式投機の場合でも、いつかは雷が落ちるにちがいないということは誰でも知っているのではあるが、しかし、誰もが望んでいるのは、自分が黄金の雨を受けとめて安全な場所に運んでから雷が隣人の頭に落ち…

〔41〕多磨霊園~夢見る死者が眠る公園

ゾルゲの墓 私は夢をよく見る。夢といっても、将来、ユーチューバーになりたいだとか、花屋さんになりたいだとか、飛行機の運ちゃんになりたいだとかの類ではない。眠っているときに見る夢である。以前から眠りが浅く、齢を重ねるごとにさらに浅くなり続けて…

〔40〕八王子の城跡を歩く(3)悲劇の八王子城(後編)

麓にある管理棟。左に行くと御主殿跡、右に行くと本丸跡 豊臣秀吉との決定的対立 1578年頃より、北条氏(後北条氏、小田原北条氏。以下北条氏と表記)と真田氏とは沼田領問題で抗争が続いた。沼田領は北関東の要衝で関東平野の北西の縁にあり、北に進ん…

〔39〕「つゆのはしり」に濡れながら思うことなど

東八道路のガードフェンスで見つけたツキヌキニンドウ 9月入学というバカげた議論 ここにきて新型コロナの新規陽性者の確認数が減ってきており、残る5都道県の緊急事態宣言の解除がおこなわれることになった(一時的だと思うが)。これは国民の大半が素直…

〔38〕季節は初夏へ~アカシアの雨はまだ降らない

ニセアカシアの花 アカシアの雨ではまだ死ねない 「願はくは アカシアの雨にて 夏死なん 皐月の末の 望月のころ」 もちろん、これは贋作であり、元歌は西行の誰もが知る作品である。 西行、芭蕉、福永武彦、中島みゆき、カント。この5人が私の心の師である…

〔番外編〕コロナ禍の中、季節は春から初夏へ~花散歩

4月下旬から秋まで咲き続けるサルビア・ミクロフィラ コロナ禍の中で思うこと コロナ禍である。釣り場に近い駐車場はほとんど閉鎖されているので釣行はままならない。植物園、自然公園などが閉鎖中なので春の山野草の開花に触れる機会を多く逃した。大学の…

〔37〕八王子の城跡を歩く(2)悲劇の八王子城(前編)

8年前に建てられたガイダンス施設内の展示(現在はコロナ禍で休館中) 八王子城造営にいたる時代背景 天正18年(1590年)6月14日、現在の埼玉県寄居町にある「鉢形城」は豊臣勢の北国支隊ら35000の兵に包囲されながら約一か月間の籠城戦を戦…

〔番外編〕花に誘われ春紀行

春の妖精・カタクリの花 花の命は短いけれど 前回でも述べたように3月下旬は、今や山野草の代表格となったカタクリの花が満開になる時期だ。例年は埼玉県小川町にある「カタクリとニリンソウの里」に訪れ、山の斜面に植えられているカタクリと、手前の平ら…

〔番外編〕春を探して花季行(2)

「華やかな魅力」が花言葉のラナンキュラス 新型コロナの影響は近所にある市立図書館にまで及び、本を借りることができるのはネット予約のみで、館内閲覧での本探しは不可能になってしまった。本とのめぐり逢いは人との邂逅と同じような大きな喜びがあるので…

〔番外編〕春を探して花季行(1)

春の「雑草」の代表格、ホトケノザ 私にとって春の到来を実感するのは「爽やかな風」でも「温かい陽光」でもなく、路傍で、あるいは公園や空き地でホトケノザ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、カラスノエンドウなどの花を見出したときだ。ガーデニング…

〔36〕八王子の城跡を歩く(1)滝山城跡を中心に

本丸跡にある石碑 八王子界隈には城跡が多くある 平らなだけが取り柄の府中市にはこれといった城跡はなく、せいぜい浅野長政屋敷や高安寺館が拡大解釈されて「城」に含まれるといった程度だ。一方、山がちな八王子市界隈にはたくさんの城跡がある。日本10…

〔35〕三匹のオッサン・旧東海道を少しだけ歩く

川崎宿・宗三寺にある遊女の供養塔 三人のオッサンが旧東海道をダラダラと歩くことにしたのだが 謹厳実直を形にするとSさんになり、変な哲人といえばKさんになり、ただ単に変な奴というと私になる。本ブログでは紹介していないが、昨年はこの三人で鎌倉の…

〔34〕多摩丘陵・「聖蹟桜ヶ丘」周辺散歩

桜ヶ丘公園内にある「旧多摩聖蹟記念館」 聖蹟桜ヶ丘の「聖蹟」とは? 京王線には「聖蹟桜ヶ丘」駅がある。府中駅から京王八王子駅方面に進むと、「分倍河原」「中河原」の次がこの駅になる。前々回の後半に書いたように、小学生のとき「ただ券」が入手でき…

〔33〕「とはずがたり」に「かたらいの路」を語る~多摩丘陵散歩

高幡不動尊の見晴台から府中、都心方向を望む まずは「高幡不動尊」から多摩丘陵へ 鎌倉時代末期に記されたとされる『とはずがたり』は、後深草院二条(本名不詳)が14歳から49歳までを回想するという形式をとる日記文学だ。前半3巻には作者が後深草院…

〔32〕普通の府中市(2)~その町中を歩く

大國魂神社の随神門と参道を望む 転換の10世紀 菅原孝標(すがわらのたかすえ、10~11世紀の人)は菅原道真の直系という名門の出身でありながら平凡な人生を送った。受領国司として上総介・常陸介の任についたことは判明しているが、これは両国が「親…

〔31〕府中は、不忠ではなく普通の町です(1)

府中には武蔵国府があった 府中には不忠者もいるが、ごく普通の町なのだ 私は府中市生まれの府中市育ちで、人生の大半を府中市で過ごした。とはいえ、実際にはしばしば全国各地を放浪していた(いる)ので、住民票が府中市にあった(ある)というだけかもし…

〔30〕奇跡の玉川上水(3)~拝島から小平監視所まで

昭島市・昭和の森付近を流れる玉川上水 多くの分水を有する玉川上水 玉川上水は江戸府内への飲料水供給が主なる目的だったが、ほかにも生活用水、防火用水、庭園用水、濠用水などにも利用された。さらに、多摩地区の新田開発のために多くの分水路が造られた…

〔番外編〕清水みなとの名物は?

私の鮎師匠・興津川の名物釣り師の石垣さん 静岡市清水区は、私の第3の故郷になりつつある。清水へは、少年期は家族で石垣いちご狩り、三保の松原、登呂遺跡見学(ここは駿河区だが)に何度か出掛けた。青年期は仲間とのドライブでいちご狩り、三保の松原に…

〔29〕奇跡の玉川上水(2)~取水口から拝島まで

羽村取水堰を望む 頑張った人々、そして地域 奇跡の玉川上水の完成は、庄右衛門、清右衛門の兄弟(以下、玉川兄弟と略す)の努力によるところが大きいとされるが、実際には無数の人々の多大なる苦労の末に成し遂げられたと表するのが妥当だろう。川越藩主・…

〔28〕奇跡の玉川上水(1)~その流路と取水口が決まるまで

江戸の奇跡的建造物・玉川上水の取水口周辺 玉川上水の謎に迫ろうとした訳は? 水の確保に苦労した江戸府内は、3代将軍・徳川家光の時代に玉川上水の開削を決したとされる。明確な資料は残っていないが、慶安2~3年(1649~50年)頃のことのようだ…

〔27〕多摩川中流散歩(2)~水と府中崖線と

復旧未定の日野橋を望んで 川の氾濫が生み出す功罪 川の氾濫は人々に災いをもたらす。台風19号による大雨で数多くの河川が決壊や越水、逆流したことで流域に住む人々に多くの被害を与えた。反面、歴史的に見れば川の氾濫は流域の土地や人々に幾多の富をも…

〔26〕タマちゃんを求めて~多摩川中流散歩(1)

多摩川中流に架かる是政橋 「タマちゃん」そして「ウタちゃん」は何処に?! 2002年8月、アゴヒゲアザラシが多摩川の丸子橋付近に現われて大騒ぎになったことがある。新聞やテレビではその海獣の動向が連日のように報道され、多摩川の河原は見物人や報…

〔25〕岬めぐりは三崎めぐりなのだ(後編)でも、それだけではないのだ!

城ケ島の名勝・馬の背洞門を望む 城ケ島めぐりは三崎めぐりだし岬めぐりでもある 三浦半島へ磯釣りに行くといえば城ケ島へ出掛ける、ということと同義語というほどではないが、その確率はかなり高い。思えば、このブログの第1回目は城ケ島釣行を素材にした…

〔24〕岬めぐりは三崎めぐりなのだ(前編)

小網代湾を望む 岬(三崎)めぐりを三崎港から始める 今から40数年前、「岬めぐり」なるフォークソングが流行った。ギター1本あればスリーフィンガーで簡単に演奏できるので、友人らとよく唄った記憶がある。どこにでもある若者の感傷をテーマにした曲だ…

〔23〕見捨てられた半島~親愛なるものへ

市原市のゴルフ場横にある住宅地。今もそのまま! 台風15号の襲来は間違いなく天災である。人の力では台風の上陸を阻止することも、家を担いで他地域に移動することもできない。 だがしかし、台風による被害の多くは、そして人々の苦難の大半は人災である…