徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

〔56〕東京郊外の湧水を訪ねる~秋留台地のヘリを探索

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湧き水を蓄えた二宮神社の「お池」

秋留台地のキワに湧水を求める

 あきる野市の中心部がある「秋留台地」は極めて興味深い地形をしている。東西に約7.5キロ、南北に約2.5キロとさほど広いとはいえない台地でありながら辺縁部には侵食段丘が目立ち、研究者によって意見が異なるものの一般に段丘は9面に区分されている。大半は、現在の市の中心である「秋留原(あきるっぱら)面」で、ここは平坦地であるものの、かつては集落は少なかった。小川はなく、地下水面まで20m以上の深さがあるため、生活用水の入手が困難だったからである。一方、台地の三方(北、東、南)のヘリには低位面(秋留原面との比較において)が複雑に入り組んで形成されているが、集落はこの辺縁部の低地に発達していた。段丘礫層は5m前後の厚さで、その下にある基盤の上位面が難透水層であったために地下水の利用が容易であったからである。

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秋川左岸から秋留台地を望む。手前側は後背湿地、高台が秋留原面

 秋留台地の北側に草花丘陵、南側に加住北丘陵が存在するが、その間にある秋留台地だけは「丘陵」ではなく、今のところ「台地」である。写真は秋川左岸の自然堤防上から秋留台地を望んだものだが、手前の後背湿地(氾濫原、標高127m)の北側には小川面(132m)があり、その先に横吹面(145m)、そして最上部の秋留原面(158m)が見える。住宅は斜面上ではなく、それぞれの段丘面上に建っている。

 秋留台地は立川段丘と同じ頃に形成されたと考えられているので、今から3万~2万年前に生まれた。立川段丘は古多摩川が蛇行しながら基盤(上総層群)の上に砂礫をまき散らし(立川礫層)、その上に火山灰が積もって(立川ローム)形成されたように、同じ時期に古秋川や古平井川は上総層群の上に関東山地を削って段丘礫層を乗せ、さらに立川ロームが積もって生まれたと推定されている。台地上から川が完全に離水したのは約1万6千年前と考えられているので、その頃から秋留原面に火山灰が積もり始めた。以来、加住北丘陵と草花丘陵との間にあった扇状地風の台地の南北を秋川や平井川が曲流し、かつ水位を下げながら側面を削りとっていったため、独特の形状をもつ秋留台地が形成された。とりわけ、水量豊富な秋川が流れる南面では侵食作用が大きかったため、より複雑に入り組んだ河成段丘が形成されたのだった。

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台地北面の草花公園では、住宅の土台から水が湧き出ている

 台地の中心部付近では、表層土(黒色腐植土)の厚さは0.3m、ローム層は2m、段丘礫層は20mほどと考えられている。その下の基盤(上総層群の最上位である五日市砂礫層)が難透水層となるので、段丘礫層内には不圧(自由)地下水が豊富に存在する。前述のように、秋留原面では難透水層までの深度がありすぎるので地下水の汲み上げは困難であった。一方、台地の際に存在する低い段丘面では井戸を掘ることは容易であり、何よりも、段丘崖からは豊富な地下水が溢れ出てきたのだった。

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かつては滝行がおこなわれていた白滝神社の湧水も現在は渇水気味

 秋留台地のヘリといえば国分寺崖線、立川(府中)崖線、拝島丘陵南面とならんで、多摩地区では湧水が豊富な場所としてよく知られていたが、近年では宅地開発が進んでいるためもあって涵養水は激減しまったようだ。上の写真のように、秋留台地の湧水を代表する「白滝神社」の泉(白滝恵泉)も渇水気味で、もはや滝行はおろか手洗いにも難儀するほどだ。

 もっとも、今冬はとりわけ雨降りが少ないので、地下水位は例年に比してはるかに下がっていることも大きく影響していると思われるのだが。この写真は2月15日に大雨が降る前の日に撮影したものなので水量に乏しいが、のちに挙げる写真は大雨から一週間後のものなので多少、地下水面は上昇したようで手洗いぐらいは可能だった。

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湧水を集めた真城寺の池ではコイたちが大騒ぎ

 湧き水が出る段丘崖のふもとには溜池が多く存在する。池に水を蓄え、用水を整備して各所に水を供給するのである。本項の冒頭写真は二宮神社の、上の写真は真城寺の池だが、現在では溜池としての役割は小さく、おもに観賞池として存在している。池には概ねコイが放たれており、訪れる人はしばしば餌を与えるので、コイは人間によく懐いている。真城寺の池では、私のすぐ前に訪れていた老夫婦が餌を与えていたためか、私が近寄ると、奴らは私にも餌を求めて大騒ぎをしていた。基本、私は餌(自分以外の)を持参しないのに。

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八雲神社の池では底から水が湧き出す

 湧き水は段丘崖下部から生じるだけでなく、秋留台地の東端近くにある八雲神社の池では、やや深めに掘った場所から伏流水が湧き出ている。浅い場所は緑藻に覆われているのだが、池の中心にある深場では常に新しい水が湧き出て白い底砂がかき混ぜられるためか、コケが覆うヒマがないようだ。

 このように、秋留台地ではいろんな姿の湧水を見ることができる。そんなわけで、台地のヘリの変化に富んだ場所を、今回はあちこち訪ね歩いてみた。渇水期に湧水を探すのは無謀なのだが、反面、雨量が多い時期では湧水なのか雨水の集合体なのか判明が付かない場合もある。この時期だからこそ、湧水の真の姿が見られるのだと考えたからである。本当は、冬以外では茂みの中の虫が暴れ出て怖いというのが第一の理由なのだけれど。

◎草花公園(あきる野市原小宮)

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岩の間から湧水がほとばしり出る、はずだったのだが

 草花公園は秋留台地の北面にあり、平井川の右岸に接している。園内には市民球場やプール、そして東側に広場がある。公園自体は氾濫面にあるが、南側にある入口付近は台地ではもっとも低位にある「屋城面」に属している。ただしこの屋城面は狭く、すぐ南側に秋留原面が広がっている。なお、ここでの平井川の河原は標高130m、野球場などがある氾濫面は132m、屋城面は135~137m、秋留原面は149mである。

 湧水は公園入口のすぐ左手(西側)にある。写真はその湧出口であるが、私が参考にした資料では組み上げられた岩の間から清水が湧き出る写真が掲載されていたが、訪れた日には、岩の隙間から水が僅かに滲み出ていたぐらいであった。ただ、その水溜まりには小魚が泳いでいる姿があったので、ここが涸れてしまうまでには至っていないようだ。

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湧出口付近から下流方向を望む

 写真右手が園内に至る取り付け道路で左手に宅地がある。岩が適度に並べられていて「渓流風」を装っているが、肝心の流れは極めてか細いものだった。

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公園内から湧出口方向を望む

 小流れの底には泥が堆積しているので薄茶色に見えるが水自体は澄んでいる。清水は右手の住宅の基底部からも湧き出ていた。

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住宅の基底部をのぞく

 住宅の基底部には水抜きの穴があった。少量だが、確実に水が流れ出ていた。私が訪れた日では、この住宅下からの水量のほうが本流?よりも多めだった。

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公園南側の宅地整備地域のU字溝からも清水がやってくる

 公園駐車場の南側では宅地造成がおこなわれており、その下部から写真のU字溝が西から東に伸びていた。流れる水の透明度が高かったのでこの溝の元をたどってみたのだが、フェンス内の造成地では暗渠化されてしまって流れは見当たらず、さらにその周囲でも水の源は発見できなかった。しかし、近くに段丘崖があるので、そこから湧き出た水が宅地に流れ込むことを防ぐ目的で暗渠化され、さらにU字溝が造られたということは確かなようだ。

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三者の水が集められ、公園の際に整備された溝を流れ下る

 岩の間から「湧き出た」水、住宅の基底部から流出した水、U字溝を下ってきた水、その三者は公園に至る道路の西側で出会い、そこから流れは東に向けられ、道路の下を潜って東側に造られたコンクリート水槽に導かれる。

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水は公園の南斜面下を流れ下る

 公園の東側では台地の秋留原面が迫っており、湧水が集められて造られた小川はその段丘崖の直下を東方向に流れていく。公園内には遊歩道が整備されているので、その流れに沿って歩を進めることができる。

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ゴミが集まりやすい場所にあるが、流れはかなり澄んでいる

 北向き斜面の下を流れるために小川にはゴミや落ち葉が集まりやすいが、流れ自体はかなり澄んでおり、出自が湧水であることを想像しえた。

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平井川の右岸側に造られたひょうたん形の池

 公園入口から200mほど下流に造られたのが写真の池。湧水を集めた池だが、その大きさに比して湧水量が少ないため、水はかなり濁っている。浅瀬にコイが泳いでいるのを見つけたが数は少ないようで、池の端に寄ってもコイが近づいてくることはなかった。

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池のほとりには新しめの四阿(あずまや)があった

 ひょろ長いひょうたん型の池の窪み造られた四阿(あずまや)があった。新しく設置したのか改築されたのかは不明だ。水がそれなりに澄んでいて、水中に生き物が多く生息していれば格好の観察場になるのだが。

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オーバーフローした水は平井川に落とされる

 池の水位を安定させるためオーバーフロー形式になっていて、写真の場所から設定水位を超えた水は北側に流れている平井川に落とさせる。湧水量が少なく、しかも表層の水だけが川に流されるため、池の水の循環は極めて悪い。「かいぼり」をおこなわなければ澄んだ池になることはなさそうだ。

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渇水気味の平井川

 平井川の流れを望んだ。公園の敷地の一部は左岸側にも広がっている。写真内にある橋は、両岸を行き来するためのものである。

◎白石の井戸・福寿公園(あきる野市草花)

 ▽白石の井戸

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平井川を渡る。左手に秋留台地、右手に草花丘陵がある

 草花公園の湧水はやや「消化不良」気味だったので、平井川沿いにある湧水を探してみた。下流方向に草花丘陵側(左岸側)だが、名の通った場所があることが資料によって判明したので出掛けてみることにした。

 その場所は、公園からは1500mほど下流にある。平井川が多摩川に流れ込む直前に架かる「多西橋」まで「平井川南通り」を1800mほど東南東に進み、その橋を渡る。写真は、多西橋上から平井川上流側を望んだもの。川の上流の先に関東山地が見え、お馴染みの大岳山が構えているのが分かる。

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多西橋から草花丘陵側を望む

 秋留台地の湧水を巡る散策なのに、なぜ草花丘陵の南端にある湧水に出掛けるのか。その理由は明瞭で、草花丘陵の南東側の一部は広義の秋留台地に属するからだ。

 秋留台地の大元は古秋川や古平井川がまき散らした礫層であることはすでに触れた。その礫層は現在の平井川の河道より北側にまで広がっていた。河口(多摩川との合流点)付近では川の左岸から丘陵の麓までは1000mほども離れている。このため、平井川の下流部左岸側には結構、広い範囲に秋留台地の秋留原面や野辺面、小川面などが存在するのだ。つまり現在の平井川は、秋留台地の原形が出来たのちに流路を変えて台地の北面付近を下刻して多摩川へ流れついているのである。それゆえ、これから紹介する2つの湧水点は平井川左岸にあっても、広義には秋留台地に属すると考えることも可能なのである。

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台地のヘリを東西に走る「いずみ通り」。意味深な名称だ

 といったわけで、私は平井川の左岸に出て氾濫面の上位にあって台地のヘリを東西に走る「いずみ通り」を西に進んだ。泉が点在する通りだから、いずみ通りなのだろう。そう信じたい。

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いずみ通りから平井川右岸の秋留台地を望む

 いずみ通りから、本家の秋留台地を望んだ。低位にあるのが小川面、高位にあるのが秋留原面の東端付近である。林が見えるが、それは後述する二宮神社の社叢林だろう。

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白石の井戸の上位面にある旧道

 いずみ通り旧道とおぼしき道があった。この道の下段に「白石の井戸」があるようだ。資料によれば、ここも湧水量は多いと記してあった、信頼性は低いけれど。

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下の道から「白石の井戸」近辺を望む

 下段に新しい道が出来ていたので、さしあたり、その道に降りて「白石の井戸」の全貌を概観することにした。下の道の標高は120m、旧道は128m、いずみ通りは129mである。

 斜面を上る道らしきものはあったが、川の流れはなかった。湧水は本当にあるのか?いやな予感!

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中段にあった水槽に流れ込む湧水

 斜面中段にコンクリート製の水槽があり、上部から溝を伝って少量だが確かに水が流れ込んでいるのが分かった。この水槽の下部から溝は暗渠化されているので、下からは河道が見えなかったのだ。

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溝は上方の石垣下につながっている

 溝の中ではか細い流れが見て取れた。いささか小流れすぎるものの。

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ここが湧水点らしい

 崖面は石組され、その下部に小型の石組水槽が造られ、その石の間から水が湧き出て(滲み出て)いるのが見て取れた。かつては穴の開いた白石があり、その穴から清水が湧き出ていたそうだ。その穴の開いた白石は盗難にあったらしいので今はここには存在しない。どこかの家に隠されている可能性はあるが。

 この湧水を使って正月13日に米粉の団子(繭玉)を作ると、その年の蚕は良い繭をつくるという言い伝えがあるそうだ。今は白石も豊かな湧水もないが、そうした伝説がある場所だけに、遺構(白石を除く)と僅かな湧水だけは残されている。

 ▽福寿公園

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白石の井戸の西側にある福寿公園

 白石の井戸から西に60mほど進むと「福寿公園」がある。かつて、この近くに「福寿庵」があったことからそう名付けられたようだ。公園敷地の南端の標高は121m、北端の高い場所は123mである。写真内の階段の右手に見えるのが庭園?で、南北に細長い庭園内には湧き水?の流れがある。

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崖の下にある貯水槽

 白石の井戸の上位の道を西に進むと、写真の貯水槽が見えてくる。白石の井戸の上位面では標高128mだったが、道は下りになっているので、貯水槽は125m地点にある。

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貯水槽の隣にある湧水点?

 貯水槽の西隣に写真の水溜があり、湧水はここに滲み出てから溝を伝って貯水槽に移動する(らしい)。

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貯水槽内にはコイが泳いでいる

 湧水量が極めて乏しいために水の更新が少ないことから、貯水槽の水はかなり濁っていた。

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貯水槽からオーバーフローした水が福寿公園に落とされる

 道路の下を潜って貯水槽の水は下部にある庭園に落とされるが、湧水が少量であるだけに、したたり落ちる水の量もわずかだった。まるで、まやかし経済理論であるトリクルダウン効果やバタフライ効果のごとくに。

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水量はわずかだが、湧水はなんとか小流れを形成している

 それでも、水たちは小流れをつくって園内を下っていく。

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僅かな水であっても、やはり流れがあると心和む

 極端な渇水期であった今冬でさえ、ここでも流れは途切れてはいなかった。雨量が少しは多くなるであろう3月頃からは地下水面が上昇するはずなので、もう少しは見栄えが良くなっていることを期待したい。

 なお、白石の井戸の下部や福寿公園は、広義の秋留台地の屋城面(草花公園の下位面と同じ)に、湧水点の上位面(標高128mから132m)は野辺面(後述する八雲神社と同位)に属している。

二宮神社あきる野市二宮)

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二宮神社武蔵国の「二宮」である

 二宮神社についてはすでに、本ブログの第32回(府中市)と第36回(滝山城跡)にて触れている。神社の中心は高台にあり、それは秋留原面の東端に位置する。写真の鳥居が立っている場所は「小川面」に属するのだが、ここは秋川というより多摩川によって秋留原面が削られて出来たものだ。もっとも、小川面は多摩川右岸側だけでなく、平井川の右岸や左岸、秋川の左岸側に広く分布している。

 小川面では1万年前ごろ完全に離水したと考えられており、段丘礫層の厚さは4~5m、表層土は1m程度で、立川ロームには覆われていない。神社の本殿がある秋留原面の標高は137m、小川面に属する撮影地点は128mである。

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鳥居の向かい側にある「お池公園」入口付近

 鳥居の前には都道168号線が南北に走り、その通りの東側に「お池公園」がある。お池の70mほど南にはJR五日市線が走っており、神社前から東秋留駅までは250mほどの距離である。

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お池公園にはもちろん、湧水を集めて形成された「お池」がある

 お池の西側には小さな四阿があるが、都道を行き交う車の存在が煩わしいので、お池でコイと戯れたい人々は、おおむね東側のテラスへと移動する。

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コイに餌を与える人々

 東側のテラスではコイに餌をあげている人が3人(3組)いた。いずれも、偶然に立ち寄ったという風情ではなく、準備万端、手提げの中にはしっかりとコイ用の餌(種類はいろいろ)が入っているようだ。堂々と餌をあげている人もいれば、少し罪悪感を抱いているのか周り視線を気にしながら餌を撒いている人もいた。人それぞれであるが、それぞれ、コイに恋しているようだ。恋は大抵、道ならぬものなのだが。

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餌付けに慣れているコイたち

 コイたちは餌をもらい慣れているようで、人の姿を見掛けると近づき、かつ水面近くまで浮き上がってくる。

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段丘崖にもっとも近接した場所

 写真の場所は都道のすぐ東側にあり、お池では段丘崖にもっとも近い場所にある。湧水点のひとつなのだろうが、判然とはしなかった。

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お池の水は用水路へと流れ出る

 写真のように、お池は用水路につながっている。どんな干ばつのときもお池の水は涸れたことがないそうなので、湧水が生み出す貯水池は、かつては重要な生活用水だったはずである。なお、干ばつのときはこのお池の周りで雨乞いの儀式がおこなわれていたそうだ。

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用水路の傍らには遊歩道が整備されている

 用水路の脇には散策路が整備されている。右手の広場には住民が植えたとおぼしき花たちが並んでいた。

 

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用水路は住宅街を縫うようにして東へ進む

 用水路は住宅街を開渠されて進み、その間は散策路が寄り添っているが、途中から暗渠化されてしまい、その末流は多摩川に通じている(らしい)。この川の道は雨水を集め流すためにも用いられているようで、家々の間からは多くのU字溝が用水路に向かって伸びていた。

八雲神社あきる野市野辺)

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何処にでもある八雲神社だが、あきる野では湧水池のある神社として知られている

 八雲神社は何処にでもあるが、私の場合、すぐに思い起こすのは足利市にあるものだ。その理由は本ブログの第6回の「渡良瀬紀行」の項で触れている。渡良瀬川ではなく秋川や多摩川にほど近いあきる野市八雲神社森高千里とは無関係で、湧水との関係が深い。

 神社は「野辺面」にあり、境内の標高は127mである。野辺面は平井川の右岸側にもあるが、おもに秋川の左岸側に存在し、二宮神社のお池がある小川面より少し上位で、その比高は1~3mほどだ。東秋留駅は野辺面にあり、あきる野市の中心駅である秋川駅の南側の低地も野辺面にある。小川面はローム層に覆われていないが、野辺面では最上位の黒色腐植土の中にロームが混在しているので、小川面よりも古い層であることが判明している。

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境内にある池は湧水で成り立っている

 境内に池があり、コイだけでなく金魚やウグイ、オイカワなどが泳いでいる。池の底面はほぼ緑藻に覆われているが、池の中心部の深場だけは白い砂の存在が目立つ。

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池の深場は地下水脈に通じている

 最渇水期なので白砂はさほど目立たないが、この白砂部分から湧水が流出している。神社では池を造るために地面を掘ったところ水が湧き出てきたらしい。野辺面では礫層が薄く地表と基盤上部の難透水層との間が短いため、地面を掘ると地下水が容易に湧き出てくるらしい。もっとも、地下水を永続的に得るためには地下水脈(地下水谷)を掘る必要がある。神社の場合、水脈の位置を知っていたわけではなく、たまたま境内の下に水脈があってそれを掘り当てたのではなかろうか? 

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池の水は用水路に落とされる

 二宮神社のお池と同様、池の水は絶えることがないので、用水路へと落とされる。

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神社では、落とされた池の水を手水として用いている

 池のすぐ東側に写真の場所がある。豊富な湧水を有する他の神社でも同じ仕掛けを見たことがあるが、ここでも湧水の流れは手水(ちょうず)場として用いられている(ようだ)。

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湧水が生み出した流れは境外へと進む

 流れは神社の外に続き、用水路としての役目を果たしていたようだ。

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住宅地の間からも湧水の流れがある

 湧水は池だけでなく、近隣の住宅の間からも生まれ、写真のように神社の流れと合流する。

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豊富になった湧水は分水される

 集まった湧水は各所に分水され、生活用水などに利用されてきた。

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雨後の数日後には湧水量は増加していた

 多くの写真は2月15日以前に撮影したものだが、久方振りの大雨があった15日の数日後に池を再訪してみた。たしかに、池の中心部の白砂の面積は拡大し、湧水量の増加を証明していた。

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湧水の増加に川魚も大喜び

 上で少し触れたように、この池にはコイ以外の川魚が多くいる。モツゴ、ウグイ、オイカワの類のようだ。目立ち度はコイや金魚に劣るが、自然度はそれらに勝る(と思われる)。

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神社の周囲には微低地、微高地がとても多い

 今回は触れないが、八雲神社の周囲には微低地や微高地が多く存在し、さらに溜池、旧河道と思われる場所が多数あった。住宅街を通る小道に直線路はひとつとしてなく、明らかに水道(みずみち)の名残りのようにくねくねと曲がっている。八雲神社の周囲にある小道探索だけでも一日を豊かに過ごすことができそうだ。徘徊の楽しみのネタは尽きない。

 なお、八雲神社東秋留駅の真南340mほどのところにあり、二宮神社八雲神社間も480mほどしかない。が、湧水の成り立ちの相違は明瞭で、その比較も興味深い。

◎白滝神社(あきる野市上代継)

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睦橋通りのすぐ南側にあるが、やや下段に位置するために存在は目立たない

 あきる野市の湧水点としては二宮神社と並び称させるほどよく知られた場所であるが、私自身は名前こそ知っていたものの訪れるのは初めてだ。五日市方向(つまり秋川渓谷)に出掛けるときは睦橋通りをほぼ必ず西進し、R411と交差する油平交差点、圏央道とは立体交差するが、圏央道の取り付け道路と交差する下代継交差点のすぐ先の左手(南側)下に白滝神社は存在するが、睦橋通りは秋留原面の南端の標高155m地点を走り、神社上の旧道は横吹面にあって150m、神社の本殿は146m地点にある。上の写真は睦橋通りと旧道との間にある住宅地を貫く道路から本殿を写したもので、その撮影点は153mである。かように神社のある地形は複雑なので、よそ者としては簡単に路駐場所を探すことができないため、いつも素通りしていたのだ。

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神社横の高台から加住北丘陵方向を望む

 神社境内に降りる前に、神社の西側にあった空き地から南方向、つまり秋川の上を走る圏央道とその先にある加住北丘陵の姿を眺めてみた。ちなみに、本殿はこの撮影点とほぼ同じ高さのところに立ち、左の鬱蒼とした森の下に白滝恵泉の湧水点がある。

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境内に降りて高台にある本殿を眺める

 本殿前の境内に降り立った。神社の境内は斜面にあるため、平地は何段かに分かれている。最上部の平地は142m地点にあり、146m地点にある本殿を見上げることになる。私にはお参りする習慣がないので、階段を上がることはしなかった。

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恵泉の横には水神様と板碑がある

 本殿を見上げた平面からさらに下ると小さな祠があり「八雲神社」の名があった。その祠から3mほど下ると恵泉の横に出られる場所があった。そこには写真の水神様と板碑がある。

 水神様の姿は「倶梨伽羅(くりから)竜王不動尊とも)」であった。密教八大竜王のひとつらしいが、その名の由来はサンスクリットの「クリカ」とのことだが、その「クリカ」の語源が今ひとつ分からない。ともあれ、不動明王の化身らしいので水神様であることは確かだ。「倶梨伽羅」と聞くと「倶利伽羅峠」や「倶梨伽羅紋々」をすぐに連想するが、元はひとつである。博徒の刺青と水神様との関連性は謎であるが。

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水神様の場所から下方を見ると、半円礫の中にか細い流れが見えた

 倶梨伽羅竜王像を背にして恵泉の行く先方向を望んだ。半円礫の間に、わずかではあるが流れが見て取れた。

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恵泉の谷頭を眺める

 内緒で源頭付近に立ち入り谷頭(こくとう)周辺を眺めた。湧水点は142mほどのところにあった。写真から分かるように、谷頭周辺は教科書通りの逆U字を形成している。相当に後退侵食が進んでいるが、地下水は減少気味なのでこれ以上の後退は起こらないだろう。もしそれが発生したとすれば、上位にある家々は確実に崩落する。

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水神様の下段から恵泉の源頭周辺を眺める

 かつては滝行がおこなわれたとされる「白滝」であるが、水量が減った現在では石垣を組んで水を落としても、もはや「行」にはなりそうにない。後退侵食が進む前であれば、もちろん滝は存在していただろうが。

 神社の創建は不明だが、古くから「白滝の社」と呼ばれて崇敬されていたらしい。白滝の名の由来は、境内に樹々が繁茂し、一条の飛泉がかかって滝となって見えたことによるとのこと。どうやら、以前から「瀑布」といった感じではなかったようだ。もっとも、そんなことは、ここの地質から見て明らかではあるが。

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白滝の流れは下位にある農家の生活用水となっていた

 滝(湧水点)は小川面に発し、用水路が造られて下位にある屋城面の田畑や住宅地に供給される。流れの際にある農家は、流れの一部を敷地に引き込んで野菜洗い場の水として現在も利用しているようだ。

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標高132m地点から神社の森方向を望む

 神社下からは狭い市道がくねくねと曲がりながら秋川の左岸まで通じている。秋川までは直線距離にして600mほどである。その市道から神社の森と、白滝恵泉が造った小流れを眺めてみた。左手に広大な敷地を有する農家があり、先に挙げた「野菜洗い場」はその農家が使用している(らしい)。

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農家が所有している溜池

 広い敷地を有する農家は写真の溜池を所有している。なお、この敷地は災害時の避難場所になっている。

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いくつかの湧水が集まってひとつの流れとなり、今度は東方向へ進んでいく

 恵泉が造った流れはほぼ平坦な場所(標高131m)に出ると、西から来た、やはり湧水が生み出した流れと合流し、一本の用水路となって今度は東へ、そして南東に進んでいく。南東に曲がるのは、その方角に屋城面とその上位面とのキワがあるからだ。

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用水路の安全を見守る地蔵尊

 用水路が一体化するキワに写真の地蔵尊があった。用水路の安全を見守るために置かれたのだろうが、今ではコロナ禍の終息を住民たちは願っているようだ。終息の折りには、お地蔵さまも赤いマスクを外すことができるだろう。

◎真城寺(あきる野市上代継)

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真城寺裏の湧水が生んだ流れ

 西からくる流れの元を追ってみた。写真は、南から下ってきた流れが東に向きを変えた地点から東方向を眺めたものだ。この100m先に合流点があり、地蔵尊がいる。

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流れの元は北方向の斜面にあるらしい

 流れの元をたどった。右手(東側、左岸側)は農地、左手(西側、右岸側)は真城寺の墓地。墓地内のほうが歩きやすいので流れの右岸に沿って源流点を探した。

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流れの源はこの森の中にあった

 墓地の北辺までは進むことができたが、その先は深めの谷になっていた。谷を進むことはできないことはないようだったが、一方で怪我は必至とも思われた。地図で確認すると、谷は北西方向に伸びており、谷上の高台は住宅地であった。

 谷の最上位の標高は149m。とうぜん、この沢の谷頭は逆U字を形成しているので、湧水点は145mより下にあると想像しうる。また、白滝恵泉の湧水点とは200mほどしか離れておらず、かつ同じ地層に存在しているので、ここの湧水点も142mほどであると考えるのが適当であろう。なお、撮影地点の標高は140mである。

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真城寺は北条氏照が再興したと考えられている

 真城寺は1351年、足利尊氏の子で初代鎌倉公方の基氏が開基したとされている。臨済宗建長寺派の寺である。一時は衰退したが、1579年、北条氏照が再興したという言い伝えがある。実際、この寺には氏照の回向位牌がある(らしい)。

 境内にはシダレザクラがあり、市の天然記念物に指定されている。かなりの大木なので満開時は見ごたえがありそうだ。

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本堂の裏手にある池。湧水が生み出したものらしい

 湧水を探すために本堂の裏手に回った。地図によれば、先ほどの沢に平行して別の沢があるということが判明したからだ。崖下には池があった。地図によれば、沢はこの池に流れ込んでいるようだった。

 池の水の透明度は二宮神社のお池よりはやや低いが、かなり澄んでいるといっても過言ではない。湧水のなせる業だ。

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流れ込みを探すより、まずはコイの観察をおこなった

 湧水の流れ込みを探す前に、さしあたりコイの観察をおこなった。私は、魚を見ると興奮してしまうのだ、それが死んだ魚であっても。その興奮はコイにも伝わったのか、奴らは異常と思えるほどはしゃぎまわっていた。私が訪れる前に老夫婦が餌を与えていたからだ、ということは冒頭近くですでに触れている。

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池の石垣に流れ込みの筋があることを発見した

 池を取り囲む石垣を観察すると、水が流れ込んでいる様子が確認できた。そこで、池の東側から崖方向に進み沢の在処を探すことにした。

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沢の源頭方向を望む

 池の上の崖には沢があり、水量は少ないものの確かに池に流れ落ちていることが確認できた。ここはお墓の裏手にあった沢とは異なり、白滝恵泉と同様に沢筋が少し開けていたので、源頭まで探ることが可能と思われた。視認した範囲では、中央上部に写っている木の根元あたりから流れ出ているようだった。

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木の根元を確認。源頭はもう少し上のようだ

 視認した木の根元まで上り、つぶさに観察した。流れはもう少し上で発出しているようだった。

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源頭はこの倒木の下にあると思われた

 確認した木の根元の数メートル先に倒木の重なりがあり、その下から水が湧き出ているようだ。その辺りは足元がとても悪そうなので、そこまで出向くことは断念した。写真からも分かる通り、その辺りに小さな逆U字の谷頭が存在する。もちろん、谷全体も後退侵食による大きな逆U字を形成しているが、地下水量が減じている昨今では、極小の谷しか形成できないようだった。なお、この谷頭の標高は142mほどで、白滝恵泉と同等の高さであった。なお、寺境内の標高は130mである。

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池の西側にも小さな池があった

 池に戻り、西に続く崖の様子も確認することにした。先ほどの池とはまったくつながっていないが、崖下には写真のような小さな池があることが分かった。よく見ると、池の石組の下から水が流れ出ていた。これは、上方から水が供給されていることの証明であった。

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池の上方の景観

 耳を澄ますと水の流れる音が聞こえた。そこで池の上方を観察すると、草むらの中に僅かではあるが流れの姿が視認できた。上方には写真のような大石が並べられており、流れはその間を進んできているようだった。

 辿る道はあったものの、もはや覗きに行く必要はなかった。ここにも湧水点は存在していたのだ。

 真城寺には3本の湧水があることが分かった。いくつかの地図を参照したが、この湧水の存在を記してあるものはなかった。それだけでも、意味のある「発見」であった。

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白滝恵泉と真城寺裏の湧水が集まってできた用水路の流れ

 小さな旅の小さな発見が大きな喜びを与えてくれた。だが、まだ旅は終わりではなく、秋川駅の南口近くの駐車場まで戻らなければならなかった。最短距離で1200mほど。寺の標高は130mで駐車場は156m。距離に加えてその比高26mがある。楽しみが多くあったと同時に疲労もあった。おまけに最後に上り坂まである。足取りは重かった。それは、いつものことだけれど。

 車に戻るまでが旅である。家に帰るには一時間以上の運転が残っている。しかし、それは単なる日常の延長にすぎない。