マルクスの警句
「どんな株式投機の場合でも、いつかは雷が落ちるにちがいないということは誰でも知っているのではあるが、しかし、誰もが望んでいるのは、自分が黄金の雨を受けとめて安全な場所に運んでから雷が隣人の頭に落ちるということである。大洪水よ、我が亡き後に来たれ!これが、すべての資本家、すべての資本家種族のスローガンである。」このマルクスの150年ほど前の警句は、今の時代にあってますます妥当性を有するようになっている。
ここ数年、日本各地や中国などを襲っている大洪水は、明らかに地球温暖化がその大きな原因である。数十年に一度の大雨が、日本においてここ7年間で16回も発生している。シベリアでは今年、「十万年に一度」の異常高温に見舞われ、「世界一寒い町」といわれるベルホヤンスクでは6月に38度の最高気温を観測している。シベリア地方ではツンドラ(永久凍土)が溶解し、都市全体が陥没しかねない事態が眼前に迫っているのである。こうした状況にあっても、アメリカのトランプ政権は「パリ協定」からの離脱を国連に通告し、地球環境の将来よりも目先にある利益を優先しているし、日本は旧式の石炭火力発電所を休廃止するポーズだけは取るものの、実質的には現状維持政策を続け既得権益者の保護を図っている。
「プロメテウスの火」は狭義には原子力を意味するが、広義には科学技術全般を指す。人間はこのプロメテウスの火を得てから地球環境に負荷を与え続け、とりわけ産業革命以降はそれが顕著になり、今では環境の素材的限界をはるかにオーバーシュートしているため、生物の6度目の「大絶滅」期が到来することは必至であると考えられている。今までの5回は、いずれも地球を取り巻く環境自体の大変動によるものだったが、近づきつつある次の「大絶滅」は、明らかに人間の作為によるものである。
欲望の資本主義はその初期状態においては資本家と労働者の対立が明確に存在していたが、今日の資本主義は「資本」の在処が不明瞭になっており、たとえ一介の市民であっても労働者の姿を有していると同時に資本の担い手として存在している場合がほとんどである。手元の資金に若干の余裕がある人は投資活動をおこなって富の増大を図り、貯蓄がまったくない人であってもSNSなどを利用して情報の「供給者」になって「GAFA」を支えているのである。
近年では、環境問題に積極的にコミットしている企業を支える倫理的な投資として「ESG」が注目されている。Eは環境(Environment)、Sは社会(Social)、Gはガバナンス(Governance)を意味し、このESGに配慮した企業のほうが従来型の企業よりも着実に利益を生み出し、企業としての持続性があると考えられており、収益率は高いらしいのだ。そして実際、「ESG投資」は他の投資よりも高いリターンを実現している。が、環境に配慮した企業に投資し、それで得た収益でどんな生活を送ろうとするのだろうか?その先には、光り輝く持続可能な社会が現出するのだろうか?いや、環境に配慮した生活を過ごしているという自己満足感と、投資先からの配当と、増大した資産価値によって実現可能な物質的充足感を得ることが目的であるのかもしれない。だとすれば、この生き方は、マルクスが指摘した「資本主義種族」と異なる点はほとんどない。この有り様もまた「勝ち逃げ」に相違ないからだ。
理性主義や知性主義は自然をコントロール可能であると考える。が、必ず誤謬推理に陥る。人間が知りえることなど、自然界のほんのひとかけらに過ぎないからだ。ましてや経済優先の施策は「今さえ良ければ」思考にエネルギーを充填し、当面の利益さえ確保できれば「あとは野となれ山となれ」なのである。
環境に配慮した生活を送るためには何よりもまず、自然の中に自らの身体を配置することである。身体はあらゆる感覚でもって自然からのメッセージを受け取る。釣りはその典型で、海や川に自らの身体を置き、さらに仕掛けを通じて水や魚との対話をおこなうと、海や川が、以前とはまったく異なる世界に変貌してしまったことを全身をもって受け止めることができる。
これを記している7月18日はまた雨降りである。かつてならば20日前後に梅雨が明け、「梅雨明け10日」という言葉があったように7月下旬から8月上旬はアユ釣り師にとって最高のシーズンになるのだが、週間天気予報を見る限り梅雨が明ける見込みはない。おそらく、梅雨明けの後は昨年同様、大型台風が襲来するのではないか。
コロナ禍が証明したことは、世界的規模で経済活動がストップしたことで二酸化炭素の排出が8%削減されたことだ。これはパリ協定の数値目標と一致している。しかし、「これで良い」と考える人はほとんどおらず、大半は経済活動の再開を願っている。どうやら、私たちはもはや、総体としては「逃げ遅れ」てしまっているようである。
せめて気分転換に「強盗トラブル」を使って旅にでも出かけようか。いや、それではこのバカげた政策を推進している中抜き業者、それに群がる政治家、官僚など、「逃げ切り組」を利するだけである。もっとも私の場合、田舎者であっても一応「東京都民」に属しているので、そのキャンペーンからは除外されている。 いやはや。
人々が夏島町地先に集う理由・その壱
夏島はかつては離れ小島だったが、1916年に周囲が埋め立てられて横須賀海軍航空隊基地が造られた。戦後は米軍に接収されたが72年に返還されたのちには工場地帯となり、その大半は日産自動車の追浜工場に利用されている。
夏島は3つの点で有名である。ひとつは「夏島貝塚」、もうひとつは「夏島憲法」、さらに日本海軍の船の名前として。
夏島貝塚は縄文時代初期の史跡で、およそ9500年前のものらしい。それは発掘された貝殻や木炭を放射性炭素年代測定法によって調べられた結果である。この測定法は炭素14の半減期(β崩壊)を利用したもので誤差は±500年程度であるため、貝塚が造られた時期は9000~10000年前の範囲に収まるとほぼ断定されている。ここでは貝殻だけでなく、マグロ、ボラ、クロダイ、スズキなどの骨も発掘されている。残念ながら、メジナの骨があったかどうかは不明である。
夏島にはかつて伊藤博文の別荘があり、伊藤をはじめとして井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らが集まって帝国憲法の草案を練った。写真の記念碑は夏島貝塚の案内板の隣にある。
夏島の高台は自然林として保存されているが、敷地は日産自動車と海洋研究開発機構に属しているため、勝手に入ることはできない。部外者はこうして森を外から望むだけである。
上に挙げた夏島貝塚の案内板と憲法起草地記念碑へは、京急追浜駅前にある丁字路(国道16号線と夏島貝塚通り)を東に進み、貝山緑地の北側にある丁字路を左折して北に進んで道なりに行く。もっとも、この道を進むのは99%以上日産か住友重機か海洋研究開発機構の関係者であって、わざわざ案内板と記念碑を見るためにこの道を使う人は極めて稀である。というより、大半の人はその存在を知らないし、たとえ知っていたとしても興味を抱いて寄り道をする人はまずいない。
私が目指す場所は夏島貝塚通りにはなく、先に挙げた通りを東に進むまでは同じだが、貝山緑地の前の丁字路を左折せず、そのまま直進するのだ。すると、右手には後述する横須賀市のリサイクルプラザ「アイクル」の偉容(異様)な建物が姿を現し、左手には写真にある「東京湾第三海堡遺構」の存在が現出する。
海堡とは海上要塞のことであり、江戸時代に東京湾奥に造られた台場の親玉のような存在で、こちらは明治時代に建造が始まった。第一、第二は東京湾の富津岬沖に、第三は横須賀市側の猿島沖に造られた。第三海堡が築かれる場所は潮流が激しく、かつ水深約40mのところに土台を築く必要があったために工事は困難を極め、1892年に着工し、竣工は1921年と完成までには30年の歳月を必要とした。しかし、完成したわずか2年後に起きた関東大震災によって崩壊し水没してしまった。
崩落して暗礁化した海堡の残骸は海上交通の妨げになり、海難事故が多発したために撤去されることが決まったが、構造物は貴重な遺構として陸上で保存されることになり、横須賀市の「うみかぜ公園」などに置かれ、そして10年前に、現在の場所に移されて保存・展示されたのだった。
遺構のある場所は「夏島都市緑地」としてよく整備され、ここに訪れる人が散見される。もっとも、同じ緑地内にある「ドッグラン広場」よりは少なく、憲法起草地記念碑よりは多いという程度だが。
私が夏島町を訪れる理由はその「第三海堡遺構」を見るためではない。上の写真にある「アイクル」に付設された「釣り場」が目的地だった。写真のリサイクルプラザ・アイクルができたのは20年ほど前のことだと記憶している。愛称の”アイクル”は2000年におこなわれた公募で決まったとのことなので、その前後に完成したことは間違いない。
この場所は建物がなかった埋立地のままであった頃から一部の釣り人にはよく知られており、長浦湾の入口にあるという決して立地条件は良いとはいえないところにあるにも関わらず、かなり多種多彩な魚が釣れるということで人気があったらしい。そこに巨大なリサイクルセンターが建設されるということによって釣りができなくなり、その不満を吸収できるような場所が近くにはなかったこともあって、「不法」に竿を出す人が後を絶たなかったという話を耳にしたことがあった。
そんな場所であったためか、横須賀市の気まぐれか、はたまた釣り人へのささやかなサービス精神の発露であったのかは不明だが、敷地の海側に転落防止柵と緑地とベンチや東屋などを設置し、「釣り場」として利用者に開放したのだった。ただし、それは「釣り」優先ではなく、アイクルに見学に訪れた奇特な人々が「釣りも楽しめますよ」といった感じて造られものにすぎなかった。
当初は認知度が低かったし、そもそも周囲にはリサイクルセンターぐらいしか存在しない行き止まりの道の南側にあるさほど広くない釣り場だったために閑散としていたが、次第に評判が広まるにつれて釣り人が多く訪れるようになった。
敷地内には無料の駐車場があり、綺麗なトイレがあり、建物内には自動販売機がありと、利便性はかなり良かった。さらに建物内に入れば夏は涼しいし冬は暖かくとても快適な釣り場だったのである。
しかし、写真のように昨年の台風15号による高波を受けて釣り場の施設の一部は破損し、以来、釣り場は閉鎖されたままで当面、修理される気配すらない。事情通によれば補修費用は計上されたらしいのだが、目下のコロナ禍によって工事がおこなわれる見通しは立っていないそうだ。
ところが、このくらいの仕打ちではめげたりしないのが釣り人の心性であって、アイクルのすぐ先の夏島町地先にある「行き止まりの道」から、3mある金網フェンス越しに竿を出しているのである。ただし、竿が出せるのは南向きの湾内側だけで、先端部は日産の波止場に利用されているため立ち入ることはできないし、北側はそもそも日産の敷地内で海に面してはいないので釣りは不可能である。
こんな事情もあって、昨秋まではアイクルの釣り場に集まっていた人々がこの地先の先端部近くに御狩場を移動し、昨秋までと同様に釣りの集会をほぼ毎日、開催しているのである。人々が夏島町地先に集う理由は以上のことが背景にあり、決して「夏島新憲法」起草のために集結しているのでも、周囲で貝を採集したり貝殻を山積みしたりするためでも、新しい橋頭保を築くためでもないのである。
人々が夏島町地先に集う理由・その弐
夏島町地先の行き止まりの道路と海とは3mの高さの金網フェンスで隔てられている。そのフェンスにしがみつき海の向こうの世界を見続けている人の姿に触れたとき、私はメキシコのティファナで見掛けた光景を思い出した。
ずいぶん前のことだが、一時期、毎年のように知人の住むロサンゼルスに釣り仲間と出掛け、アメリカ西海岸(ロングビーチ、サンタモニカ、サンタカタリナ島など)やメキシコのバハカリフォルニア半島の海で「メジナ」を求めて釣り歩いた。私も仲間も都会には不似合いな風体をしており、おしゃれなロスの海岸ではまったく浮いた存在だったが、メキシコまで南下すると途端に風土に溶け込み現地の人とそん色のない田舎者として認知された。メジナを求めてサン・キンティン、エル・ロサリオ、バヒア・デ・ロスアンヘルスまで旅をしたが毎回、メキシコを離れがたく、ロスに戻る前には国境の町であるティファナの場末にある店で食事をとった。
あるとき、車に忘れ物を取りに戻ったのだが、道に迷ってしまい、気が付くと米墨を分かつフェンスのところに出てしまったのだった。そこでは多くの人々がフェンスにしがみつき、彼・彼女にとって憧れの近くて遠い大都市であるサンディエゴを見つめる姿があった。その光景に触れたとき初めて、国境という高い壁の存在を認識させられたのだった。思わず、私は何ごとかを発してしまった。すると、彼・彼女らは一斉に振り返り私のほうに目を向けた。恐怖感が私を襲ったが、彼・彼女らは何事もなかったかのように再び、米国の町のほうを見やっていた。私は自覚した。日本人や韓国人、中国人旅行者とは思われず、単なる流浪する民のひとりにしかすぎない存在と思われたことを。そうなのだ。だからこそ、私はメキシコ人が食する田舎料理が世界一美味しいと思っていたし、今でもそう考えている。
この思いが強いため、ロスでも東京でもメキシコ料理を何度か食したが、値段が現地に比べて恐ろしく高いだけで、味ははるかに劣っていた。私は高級レストランの料理人たちにこう言いたかった。「国道一号線をエンセナダから南下して、サント・トマスの大衆食堂で修行してこい!」と。
夏島町地先の海はとても豊かでいろいろな獲物を取得できる。フェンス越しにある海は先に挙げたアイクルの釣り場から狙えるポイントよりも少し沖側にあるために潮通しが良く、水深もある。そのためもあって、より多彩な生き物たちと出会える機会があるのだ。実は、アイクルの釣り場が閉鎖される前から、そもそも釣り場があろうがなかろうが、釣りものや釣り方次第ではこの地先のほうを好む人は多くいたのだった。
Sさんが釣った写真のマダコもそのひとつで、これを対象とする人は前々からこの地先で竿を出していた。今現在はまだ小振りだが、その分、数を伸ばすことができるようだ。エサはまったく必要ではなく、赤いザリガニ様の疑似餌とタコを引っ掛けるハリとオモリがあれば良い。黄色い玉には浮力があるので仕掛け全体を浮き沈みさせることができ、タコがルアーを抱いたときにアワセを入れるとタコの体にハリが掛かる仕掛けになっている。
この梅雨時にはこの場所に2度出掛けたのだが、2日目は梅雨の晴れ間で日差しが強く、ここに集う人々はめいめいに日よけの傘を用意し、さらに体に真水を吹き付けるための用具も準備していた。常連だけにここの環境をよく認知しており、準備は周到におこなっていた。
脚立もここでは必須の道具で、先のタコ釣りであれば道路側からフェンス越しに仕掛けを投入すれば良く、獲物がヒットしたら岸近くまで寄せ、あとは「タコタコ上がれ」とばかりに引き抜けばよい。しかし、ルアーで大型回遊魚を狙う場合は遠投が必要なのでフェンス越しに投入するわけにはいかず、仮にそれが出来たとしても掛かった獲物の取り込みに苦労する。そこで写真のような脚立を持ち込み、その上に乗ってルアーを投入すれば様々なポイントを探ることができ、かつ掛かった魚とのやり取りもしやすくなる。取り込む際に必要な玉網も使える。
パンツ一丁で竿を操るKさんはこの場所の主的存在で、この場所に集う人なら誰もがよく知っている愉快で目立つ人物である。嬉しそうな表情を見せているが、これは獲物が掛かったからではなく、真水のシャワーをお尻に浴びて悦楽状態に入ったからである。こういった遊びができるのも、ここが行き止まりの道だからである。
Hさんは先の人物とは対照的に後ろ姿からも真剣に釣りに取り組んでいることがよく分かる。その理由は、この人が根っからの釣り好きというだけではなく、この日の午前中に購入した新しいルアーロッドの調子を試しているということもある。ルアー釣りだけでなく、ウキ釣りをおこなっても確実に釣果を上げる名手で、夏休みには秋田に帰省してアユの友釣り三昧の日々を送るそうである。誠に羨ましい。しかも、角館を流れる桧木内川で竿を出すのだとのこと。道理で、後ろ姿には武家の風格が感じられる。
秋田犬といえば、私の実家では長い間、飼っていた。名前は代々「クマ」で小学生の頃はクマの小屋を私が占拠し、クマの餌も私が先に試食していた。秋田犬は飼い主にはとても優しいのでクマは無抵抗だった。
写真のYさんはハワイ出身ではない。この場所の近くに住んでいてほぼ毎日、この場所に通い野良ネコの「チビ」に餌をあげている。もちろん、ネコの餌やりが主目的ではなく、釣りが目当てなのだ。Yさんは釣りが極めて上手であり、ネコもそのことを熟知しているらしく、御相伴に与ろうといつも近くにいたために彼になついてしまったのだ。そうなるとネコも贅沢なもので小魚だけでは満足しなくなり、結局、釣り人のほうでもペット用の餌を用意することになった。
釣り場には大抵、野良ネコがいて、釣り人から餌をもらおうと近づいてくる。基本的には警戒心が強く、人との間に「ソーシャル・ディスタンシング」を取る。が、中には戦略的行動として悲しそうな顔をして釣り人に近づき、そうなると釣り人のほうでも愛着心が湧き、そいつに優先的に獲物を与えるようになる。その後、人とネコとの間に信頼関係が生まれることもあり、このチビもそうして釣り人との間に良き関係が醸成され、今ではなくてはならない存在となったのである。
このYさんの紹介で私はアイクルという釣り場を知った。17,8年ほど前のことである。さらにその10年近く前に、私はこの人物を三浦市に住む釣り仲間に紹介されたのだった。当時は雑誌等にいくつかの釣りの記事を書いていたのだが、私が出掛ける釣り場は伊豆諸島の八丈島や式根島、神津島にある離れ磯ばかりだったので、編集部からもっと近場で多くの人が行きやすい場所を取り上げてほしいという要望が入った。そこで件の知人に相談すると、三浦の磯を詳しすぎるほど知っている釣り人がいて、彼ならどんな場所でも案内してくれるはず、との返答があった。そうした経緯で出会ったのがYさんだった。
彼は釣り以外のことにはほとんど興味がないという御人で会話の98%は釣り、残りの2%が車とネコのことだった。確かに三浦の各磯を熟知しており、どこそこの磯には30m沖に溝があって潮はこう動くからあそこにウキ下5mで仕掛けを投入し15m流すとメジナがヒットするなどと御宣託するのだ。そして事実、その通りに結果を出してしまうのであった。眼力も恐ろしくあり、偏光グラスなしに海中の様相を見て取ってしまうのである。「今、あの岩の周りにクロダイが2匹いる」とYさんは言うのだが、私には偏光グラスを使っても「あの岩」は見えないし、ましてや魚の存在などまったく確認できないのだ。
以来、取材には数えきれないほど協力してもらい、また数多くのユニークな釣り仲間を紹介していただいた。そして、今回触れている「アイクル」、さらに夏島町地先の釣り場も、そこに集う常識人や奇人、変人もYさんを通じて知り合うことになった。もちろん、「チビ」もである。
私とチビとの間には信頼関係はまったく成立してはいないが、ここに集う仲間としては認めてくれたようで、カメラを向けるとポーズだけはとってくれた。
この釣り場では現在、良型のマアジが釣れている。20cmサイズの丸々と太ったアジで、食味はとても良い。アジは足元で釣れるので長い竿も脚立もいらない。写真のようなフェンスの隙間から竿を出して足元に仕掛けを垂らせばよい。
人工餌に飽きたのか、チビはアジをねだりに釣り人に近寄った。通常のネコならばこの御馳走に飛びつくはずなのだが、贅沢に慣れてしまったチビには魚の元気良さには少々戸惑い気味で、腰が引けた状態でアジの動きを見つめる姿が可笑しかった。
かように、この場所には高いフェンスがあって釣りづらいものの魚は豊富で、人々の表情もまた豊かである。これが夏島町地先に集う真の理由なのかもしれない。
以上のように、魅力的な人物たちがこの地に集まるようになったのは、アイクルが立ち入り禁止になったということと、地先がもともとよく釣れる場所だったからという理由による。規制がかかるアイクルの釣り場より、地先のほうが自由気ままに振舞えるので、こちらのほうが元来、適している人々なのだろうか。それにしても、天下の公道で自由闊達に素敵な時間を共有できる。これも、ここが行き止まりの道だからである。
釣り人は和して同せず
夏島町地先に集う人々は何にも規制されずに思い思いの行動をとる。ほぼ毎日、10人以上の顔見知りがここに出掛けてくる。ある人は釣りに専念し、ある人は釣りはそこそこに下世話な話に花を咲かせる。ある人は置き竿のまま読書にふける。ある人は釣り道具は持参せず、論評をもっぱらとする。
自然発生的にこの地に集まり、いつとはなしに帰っていく。釣りの後、誘い合って飲みに行くこともない。お互いの仕事はよく知らないしそもそもそんなことに興味もない。集う人に共通するのは「釣りに興味がある」ということだけだ。その一点だけで、釣り人は意気投合できるのである。その限りにおいて、釣り人は「和して同せず」なのであり、釣り人の交わりは「淡きこと水のごとし」なのである。あたかも、士大夫のごとくに。
夏島町地先の前方には長浦湾の出入り口があり、その先にも横須賀軍港の出入り口があり、眼前を自衛隊や米軍の艦船が行き来する。原子力空母ロナルド・レーガンの姿を見掛けることもある。そのためもあって、写真のように、艦船の撮影目当てに訪れる人も多い。釣り人とは世界が重ならないため、触れ合う機会は少ない。が、今回の撮影で「メキシコ人役」をやっていただいたMさんは元々は艦船の撮影目的のためにここを訪れていた。しかし、彼は釣りにも少しだけ興味があったようだし、さらに人当りの良さもあってか釣り人とも会話をするようになった。そしていつしか、写真仲間と行動を共にするよりも釣り人の輪の中に加わることが多くなり、今では立派な夏島町地先の「住人」となってしまったのである。
私は船を撮影する動機付けがないので、たとえロナルド・レーガンが眼前に停泊していたとしても、見つめることはするが撮影はしないだろう。その代わりに、船を撮影する人を撮影するということには結構、興味がある。
この日は「皐月晴れ」だった。撮影者は雲の峰には関心を示さず、私は雲に、そして雲に関心を示さない撮影者に関心を抱いた。
人、それぞれである。人生、いろいろである。ネコもまた、それぞれである。