徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

〔47〕3ケタ国道巡遊~徘徊老人R411を行く(1)

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友田交差点にあるR411の道標

かつて、ルート66というドラマがあった

 『ルート66』(1960~64)というテレビドラマがあった。日本でも61年から放映された。私はまだガキンチョではあったが、そのドラマをかなり真剣に見ていたという記憶はある。本はまったく読まなかったが地図を見るのは好きだったので、ルート66の始点であるシカゴ、終点であるサンタモニカを探し、地図の中でその道筋をたどった。セントルイスオクラホマシティサンタフェアルバカーキ、パサディナ、ロサンゼルス、ビバリーヒルズなど、アメリカを代表する都市をその道はつないでいた。ルート66には「マザーロード」の別名がある。大陸をほぼ東西に横断する道であり、とくに西部の開発には欠かせない存在であった。しかし、高速道路網の整備が進んだこともあり、1985年、そのルートは国道としての役割を終えている。にもかかわらず、アメリカ市民だけでなく、そのドラマを見て育った日本の元若者たちにも、「ルート66」の名は心に深く、そして強く刻まれている。

 50~60年代といえば、日本においても「アメリカンウェイ・オブ・ライフ」は憧れの生活様式であり、それは『パパは何でも知っている』(54~60)、『奥様は魔女』(64~72)などを見て育った世代では目指すべき日常でもあった。何しろ、アメリカはウマがしゃべる(『ミスター・エド』61~66)国なのだから~そんなバカな……。高度成長期には、今日よりも明日のほうが必ず良くなると信じ込まされ、そして高い確率で実際に信じていた。その成れの果てが「コロナの時代」なのだが。

 アメリカに憧れ、しかし、アメリカは遠い存在だった。63年に始まった『アップダウンクイズ』のキャッチコピーは「十問正解して、夢のハワイに行きましょう」であった。ハワイですら夢なのだから、アメリカ本土への旅行は夢のまた夢であると大半の人は考えていた。府中には米軍基地があった(今でもほんの少しだけ残っている)のでアメリカ人は結構、身近な存在だったし、実際、小学校低学年時にはアメリカ人の子供たちとよく遊んでいた。が、自分がアメリカに行くということは夢にすら現れてこない時代だった。

 大人になり、本格的な釣り人になり、そして釣りの取材でロサンゼルスに出掛けることになった。目的地はメキシコのバハカリフォルニア半島だったので、ロスは拠点に過ぎなかったが、それでも毎回、一日だけは釣りをしないでロサンゼルス市内や周辺地を巡った。いつも、必ず出掛けたのはビバリーヒルズの大豪邸見学、高級ブティックが集まるロデオドライブでの買い物、そして、ルート66の跡地を訪ねることだった。サンタモニカからビバリーヒルズまでの短い距離ではあったが、知人の車を運転したことも何度かあった。車はコルベットではなくリンカーンだったが。幼い頃、憧れだけの存在であったルート66を、私はドライブしたのである。その体験に、深い感慨と少しの罪悪感を抱いたのだった。

日本には「ルート66」はない!?

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友田交差点のもうひとつの道標

 ルート66と聞いて、8.1240……と電卓で計算するのは誤りだ。ここでいうルートは”root"ではなく”route"なのだ。ルートは道路のことで、ルート66は66号線なのだから、さしあたり、国道66号線はなくても都道66号線ならありそうだが、残念ながら欠番になっている。神奈川の県道も欠番だが、埼玉には県道66号線があり、それは行田東松山線である。なので私は、その道を数回は通っているはずなのだが記憶にはまったく残っていない。これは、県道の標識がヘキサゴン(六角形)で、上に県道、中央に66、下に埼玉と表記されているからだと考えられる。

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国道の標識はおにぎり形

 これが国道なら、写真のようにおにぎり形の中に、上に国道、中央に番号、下にROUTEとあるので、印象の受け方がまったく異なるのだ。ちなみに、道路好きは国道はR〇〇、都道や県道はr〇〇と表記して区別している。それゆえ、今回に巡遊した国道411号線(正式には”線”は付けない)はR411、県道66号線はr66と書く。どちらも道路なのでrouteには違いないが、やはりルートという限りは国道のほうでありたい。R20なら国道20号線であって、これは多くの場合「甲州街道」を指すことになるが、r20になると、都道府県、市町村などに数多くあって、それを特定するには困難を極めることになるのである。

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R411はR16の左入町交差点を始点とする

 写真は、今回の主役である国道411号線の始点となる左入町交差点を国道16号線から見たものだ。R16の別名は東京環状で、横浜市西区高島町交差点を始終点とする首都圏の大動脈である。もっとも、”環状”は完全には環になっておらず、観音崎富津岬との間は「海上の道」であって、実際には道路はない。それでも環状であると想定しているため、始点も終点も同じ場所になる。この点、鉄道の山手線は潔く?、始点は品川駅、終点は田端駅と定められている。田端駅から品川駅の間にある上野駅、神田駅、東京駅、新橋駅などは東北線東海道線に属し、山手線がその区間を「間借り」しているのだ。もっとも、軌道は山手線専用のものを敷設しているが。

 一般国道は、現在ではとくに区別されていないが、かつては一級国道二級国道とがあり、前者は1、2ケタの数字、後者には3ケタの数字が当てられていた。R1~R58、R101~R507の国道が現存するが、実際には欠番も多くある。R1は東海道京街道、R4は日光街道奥州街道、R20は甲州街道など主要国道には1、2ケタの番号が与えられている。なおR58は、1972年に沖縄が返還されたことにより、鹿児島市から那覇市に通じるルートが新たに指定されたものだ。それは日本で一番長い国道ではあるものの、その大半は「海上の道」である。

 3ケタの番号のほとんどは地方国道であるが、千代田区から沼津市に通じているR246など主要国道以上によく知られたものもある。青山通り(赤坂、青山、表参道を通る)、玉川通り三軒茶屋二子玉川を通る)というおしゃれなルートは、田舎道に属する3ケタ国道なのである。一方、R152は青崩峠が通行不能、R291は清水峠が通行不能、R339は龍飛岬の一部が階段など、「酷道」と呼ばれるいくつかのルートの大半は3ケタ国道である。

R411の起点は八王子市左入町にある

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R411は普通の田舎道でもある

 国道411号線は、八王子市の左入町交差点を始点とし、終点は甲府警察署前交差点で、全長は120キロほどだ。観光地としては御岳周辺、奥多摩湖、柳沢峠、大菩薩ラインなどがあるが、私がとくに目的地にするような場所ではない。が、数年に一度、理由はこれといって見当たらないのだが、なぜか無性に走りたくなるルートなのだ。これから先、何度か「3ケタ国道」をテーマにして駄文を記述しようと考えてみたのだが、最初に思いついたのがR411だった。

 伊豆半島に出掛けるときはR135、R136、R414、三浦ならR134、房総ならR127、R128、いろんな理由で使わざるを得ないR246、秩父上野村に行くときはR299、日本海で夕日を眺めるならR178、いつかは完全に走り切ってみたい四国のR439など、すぐに思い浮かぶ3ケタ国道は数多くあるのだが、今回、このテーマが思い浮かんだ際、まず念頭に上ったのがR411だった。

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起点の左入町交差点。ここからR411の旅が始まる

 R16を八王子市街から多摩川方向に北上し、中央道八王子ICを過ぎて加住北丘陵の手前まで来た場所に、写真の「左入町交差点」がある。R16を北上した場合、ここを左折した場所からR411の旅は始まる。この交差点の標高は110m。ちなみに、R411の最高地点は1472mの柳沢峠である。

 少し上の写真のR16から見た標識から分かる通り、この道の通称は「滝山街道」である。滝山については本ブログの第36回滝山城跡の項で触れている。観光駐車場や滝山城跡入口の看板がある場所は、今回取り上げるR411に面している。

 R411の最初は滝山街道であるが、R411=滝山街道というわけではなく、その先は吉野街道、さらに青梅街道という具合に変わっていく。

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滝山街道は歩道の確保が難しいほどに道幅は狭い

 写真から分かる通り、滝山街道の道幅はとても狭い。一応、片側一車線は確保されているものの、バスや大型トラックでは車線内に収まるのが困難なほど。歩道はなく、人はガードレールや白線の内側をおっかなびっくり歩くしかない。

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こちらは新滝山街道の左入橋交差点

 道は狭くとも、八王子市からあきる野市への移動(その反対も)は一定程度あるし、中央道の八王子ICや圏央道あきる野ICの利用も多い。それでは渋滞必至ということで、狭い滝山街道を補完するために、そのすぐ南側に造られたのが新滝山街道である。ここもR16との交差点が始点であるが、滝山街道の左入町交差点と区別するために左入橋交差点と命名されている。

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新滝山街道は片側2車線で歩道も広い

 滝山街道とは谷地川をはさんですぐ南側を並行して走る新滝山街道は片側2車線の快適な道路で、歩道も広めに確保されている。写真の上り車線は大混雑しているが、これは左入橋交差点付近で改修工事がおこなわれていたためで、普段はもう少し空いている。ちなみに、新滝山街道はR411ではなく、都道169号線(r169)である。

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道の駅・八王子滝山は新滝山街道沿いにある

 コロナ禍もあって車移動の人が増えたためか、道の駅の利用者は増加傾向にあるようだ。写真の道の駅・八王子滝山も駐車待ちを余儀なくされるほど利用者は多い。八王子市で生産された農業品も多く扱われているため、地元の利用者も多い。ここにはR411から来ることもできる(案内表示はない)が、とても狭い道を通る必要がある。したがって、周囲にある標識のすべては、r169からの利用を案内している。

R411は北上を始める

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加住北丘陵から秋川、R411、圏央道関東山地を望む

 滝山街道は戸吹町まではほぼ西進するが、その先で、あきる野市に向かうために北上する。それには加住北丘陵を越えなければならない。始点の左入町交差点の標高は110m、戸吹町交差点は154m、北に転進する地点の明大中野学園入口交差点は166m、そして丘陵のピーク地点は176m、そこから下って新滝山街道と合流する東京サマーランド前交差点は139mである。

 写真は、丘陵を下った標高157m地点から秋川、R411の秋留橋、圏央道関東山地を望んだもの。写真の左手に見える三角形のピークは、御岳山・奥の院(標高1077m)である。

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戸吹トンネルを出ると新滝山街道はR411に合流する

 滝山街道は丘陵越えをするが、新滝山街道は戸吹トンネルで丘陵を貫通し、サマーランド前交差点でR411に合流する。交差点の先はR411の秋留橋で、そこだけ新滝山街道の流れのままに片側2車線になっている。が、右側の車線は圏央道あきる野ICに入るためのものなので、R411を直進する場合には左側の車線に移る必要がある。このICを利用するのは大型トラックが多く、トンネルの手前でトラックは右側車線に移動している。前を走るホンダ・フリードや私はR411を北へ進むので、左側車線で信号待ちをしている。

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秋留橋から見た道標

 上の写真は秋留橋から上り方向に道標を見たもので、正面に戸吹トンネルがある。この標識から分かるように、R16を目指す車は新滝山街道に進むように誘導されており、R411はあくまで左入町に至る田舎道扱いなのだ。

 ところで、先に新滝山街道都道169号線(r169)と記したが、上の標識ではr46とある。この理由は簡単で、新滝山街道部分はr46とr169との重複区間になっているからで、通常、重複区間の場合は数字の小さいほうが優先表記されることになる。しかし、日野から西に進む場合はr169(淵上日野線)の延長上に新滝山街道があるのでr169と表記され、あきる野から八王子に進む場合は日野を念頭には置いていないため、本来的な表記であるr46を採用していると考えられる。というのは私の勝手な想像にすぎず、実は単にお役所仕事上の誤表記の可能性もある。

 

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R411から圏央道あきる野IC料金所近辺を望んだ

 圏央道あきる野ICは秋川左岸の高台にある。R411の秋留橋北詰に、あきる野IC交差点がある。私が圏央道を利用するときは青梅ICを利用することがほとんどなので、あきる野ICを利用したことは数回しかない。

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平日なのにそれなりの利用者がいる東京サマーランド

 サマーランドは秋川の右岸にある。1967年に開業したので、もう50年以上の歴史があるのだが、私は利用したことはない。ドーム内プールや流れるプールがよく知られているが、そこでは釣りができないゆえ、私には無縁の存在なのだ。平日なのでガラガラだと想像したのだが、駐車場には案外、車が多くとまっていた。サマーランドは現在のところ、コロナ対策のため、事前予約しないと入場できないらしいが、私には無関係である。

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左岸の土手から秋川と多摩からの眺めを代表する大岳山を望む

 サマーランドは外観を撮影するだけで、私は秋留橋を渡り、北詰を左折して秋川の左岸に出てみた。この辺りの秋川には小堰堤が連続して並んでおり、堰堤付近ではアユが大きな群れを形成することが多いため、格好の釣り場となっている。ただ、昨年の台風19号による大増水で左岸の土手が大きく削られたためもあって流路が変更されていた。しかも、かつては左岸の河川敷に降りることができたのだが、その小道は消滅していた。

 秋川は天然そ上アユが多く、また海産アユの放流も多いので、まだまだ友釣りが楽しめそうだと思われるのだが、この広く、そして浅い流れに立つ釣り人はひとりだけだった。もともと泥砂底が大半のポイントだっただけに、昨年の大増水でますます砂や泥が堆積しアユの住処ではなくなってしまったのかもしれない。私はサマーランドには訪れることはないが、サマーランド下のポイントでアユの友釣りを何度かしたことはある。

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千代鶴の銘柄で知られる中村酒造

 秋川の土手からR411に戻り、車を北に進めた。ほどなく、左手ある「千代鶴」の看板が目に留まったので、近くのコンビニに車をとめて様子を確認してみた。現在、私は酒をまったく口にしないが、以前は少しだけ嗜んだことはあった。それゆえ、千代鶴(中村酒造)の銘柄は、澤乃井(青梅)、多満自慢福生)、国府鶴(府中)と並び、多摩地区の地酒としてその存在は知っていた。ただし、それらを口にしたかどうかはまったく記憶がない。実際、飲んだ記憶がある銘柄は剣菱ぐらいなのだ。上記の銘柄を認知しているのは、実は、道路を走っているときによく目にする看板の存在が理由だと思われる。さらに千代鶴の場合は、府中にその名の大きな陶磁器店があった(現在も集合ビルの中にある)ので、それと混同している可能性も大いにあり得た。

 千代鶴(日本酒のほう)の由緒を調べてみると、「その昔、秋川流域に鶴が飛来した事があり、これに因んで縁起の良い名前「千代鶴(つる)」を銘柄としました」とあった。また、中村家はあきる野の地に住んで400年以上過ぎ、酒造業を始めたのは1804年からで、地下170mの秩父古生層の水を汲み上げて仕込水に用いているということなので、どうも、府中の陶磁器店とは関係がなさそうであった。考えてみれば、「鶴は千年、亀は万年」の故事があるので、鶴と千とは密接な結び付きがあり、それゆえ、千代鶴という名称には普遍性があるのだろう。女性の名前でも、千と鶴とはよく結びつく。ともあれ、中村酒造の佇まいは、十分すぎるほどの歴史を感じさせてくれたのだった。

 R411を北に進む。ほどなく睦橋通り(r7)と交わる油平交差点に出会う。私がR411を北に進んでその交差点に出ることはほとんどない。一方、睦橋通りを拝島から西進してその交差点に出会うことはよくある。秋川渓谷奥多摩周遊道路に出掛ける際の大半は、その睦橋通りを利用するからだ。油平交差点は見慣れているはずなのに、見る角度が異なると、まったく記憶にない場所として認識される。なお、睦橋通りは五日市街道(r7)の支線であり、西に1キロ弱進むと五日市街道に合流する。

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五日市街道と交差する秋川交差点

 その交差点を直進して北上すると、今度はJR五日市線の踏切に出会う。五日市線は全線が単線だし、電車自体も本数が少ないので、この踏切が閉じる場面を見る機会は少ない。が、その先すぐに五日市街道と交差する秋川交差点があって、信号待ちの車が踏切までつながると、そこで一旦停止する車の動きが滞るために、秋川交差点を越えるのには案外と時間が掛かるのだ。

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閑散としていた秋川駅北口ロータリー

 私は秋川駅を覗くために秋川交差点を左折して、少しだけR411を離れた。上の写真は10年前に整備された秋川駅北口のロータリー広場の姿である。日中は電車の運転間隔が30分あるためもあってか、よく整えられた広場は閑散としていた。

 私は小学生のころ、五日市線を利用して終点の武蔵五日市駅で降り、そこから徒歩で秋川渓谷に向かい、河原で遊んだり川釣りを楽しんだりしたことがよくあった。学校の行事や町内の子供会でやってきたこともあった。その頃の五日市線蒸気機関車が走っていた。かつては秋川駅という名称ではなく、私が列車で出掛けていた頃は「西秋留駅」と呼ばれていた。西秋留駅が秋川駅と改称されたのは1987年のことである。

 そもそも、私が五日市線に乗っていた頃は「秋川市」は存在せず「秋多町」であった。といっても、秋多町にはまったく用事はなく、目的駅は武蔵五日市駅だったので、五日市町は知っていても秋多町の名前は知らず、ただ途中で、東秋留駅、西秋留駅に列車が停まったという記憶しか残ってはいない。秋多町は1972年に秋多市に昇格したが、市名は直ちに秋川市に変更された。

 五日市町は1995年に秋川市と合併し、それに伴って「あきる野市」に名称変更された。近年、市町村名を仮名書きにするのは珍しくなくなった。むつ市つがる市つくば市みどり市さいたま市いすみ市南アルプス市ニセコ町など数多くある。ただし、東西南北以外で仮名と漢字の組み合わせになるのは、あきる野市ふじみ野市いちき串木野市ぐらいだろうか。

 あきる野市が仮名交じりにしたのは、「あきる」を「秋留」「阿伎留」のどちらにするか揉めたためだそうだ。秋川市周辺は鎌倉時代には「秋留郷」、あきる野市一帯は古くから秋留台地と呼ばれていた。一方、五日市町にある「阿伎留神社」は『延喜式』に記載されているほど歴史のある神社なのである。それゆえ、秋川市側は「秋留」、五日市町側は「阿伎留」を主張して譲らなかったため、妥協点として「あきる」とひらがな表記し、あわせて武蔵野に因んで「あきる野」にしたというのが事実らしい。

 ただし、「あきる」が「秋留」「阿伎留」のどちらであるにせよ、「あきる」が何を意味しているかは不明のままだ。一説には、秋川が氾濫して田んぼの畔(あぜ)を切ることから畔切⇒あぜきる⇒あきるとなった、「あきる」には新羅系渡来人が数多く入植して開発が進んだが、彼らが信奉する新羅の女神は「アカル」と呼ばれていたので、アカル⇒あきるとなったなど、諸説あるそうだ。ただ、阿伎留神社のように、平安時代にはすでにこの地は「あきる」と呼ばれていたということは確かなようである。

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瀬戸岡交差点に向かってR411は下りに入る

 R411に戻り、再び北上する。通りの左右にはコンビニ、スーパー、その他の店が立ち並んでおり、ここら辺りがあきる野市の中心街と思われた。ただし、その賑やかさは長くは続かず、同時に道は秋留台地を下り、写真の瀬戸岡交差点に向かう。直角に交わる道路は「永田橋通り(r165)」であり、その通りを西に進むとほどなく圏央道・日の出ICに出る。

 瀬戸岡交差点を直進すると菅瀬橋が目に入る。下を流れるのは平井川で多摩川の一次支川だ。この川は、本流の多摩川とは五日市線の鉄橋のすぐ北側で出会う。秋川交差点の標高は156m、瀬戸岡交差点は145mなので、秋川駅周辺からは10m以上下ったことになる。さらに菅瀬橋は140mであり、ここを底地として平井川を過ぎるとR411はまた上りに入る。秋川に架かる秋留橋からこの菅瀬橋までが広義の「秋留台地」で、その北側に草花丘陵が横たわっている。そのため、R411はまた上り道になるのだ。写真にも草花丘陵の連なりが見えている。

 今までR411が北上してきたのは、加住北丘陵、秋留台地、草花丘陵を越えて多摩川沿いに出るためであった。この3つの丘陵・台地は、いずれも東向きに舌状に伸びているが、元々は関東山地の東縁で、加住北丘陵は谷地川と秋川との間、秋留台地は秋川と平井川との間、草花丘陵は平井川と多摩川の間にあり、それぞれの川が山地を開析し残したものである。

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西多磨霊園の高台から鐘楼や園地を望む

 R411沿いにある築地本願寺・西多磨霊園は敷地が50万平米あり、しかも丘陵の斜面に西北西へ広がっているため、とても雄大に見える。高台からの眺めはかなり良く、園内には10万本のつつじをはじめとして多くの樹木が植えられているため、散策にも適した霊園である。1966年に開設された新しめの民営墓地のため、施設も充実しているそうだ。宗派は自由ということなので、私のような無信仰の人間でも気軽に入園できる。

 写真は中腹から入口方向を望んだもので、撮影地点の標高は224m、入口は161m、園地の最高地点は258mである。霊園の下には圏央道の菅生トンネルが通っている。写真の左上に見える森は草花丘陵のもので、丘陵は平井川の支流である鯉川に開析されているため、撮影地点からは丘陵は2つに分かれているように見える。

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山田耕作の歌碑があった

 霊園内に入り、少しだけ坂を上ると左手に山田耕作の歌碑があった。『赤とんぼ』のメロディと詞が刻まれていた。西多摩霊園でも有名人は宣伝材料になるらしく、ここでは山田耕作松田優作がその代表らしい。

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霊園から満地峠方向を望む

 R411は写真にある草花丘陵を越えて多摩川右岸側に出るのだが、実際には下で見るようにトンネルが草花丘陵の中腹を貫いている。

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草花丘陵を開析している鯉川に掛かる橋

 霊園を離れ、R411をさらに北へ進んだ。先の写真にあったように草花丘陵は鯉川という小さな川に一部が分断されているが、その谷筋を利用してR411は造られ、丘陵の難関である満地(まんじ)峠(標高227m)をトンネルで越えるのだ。写真の鯉川橋の標高は159mで、霊園入口からは少し下ったものの、この先から道はまた上りになり、東海大学菅生高校入口交差点で177m、そこから道は右にカーブしてトンネルに向かう。

トンネルを越えると青梅市である(本当はトンネルの中?)

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新満地トンネルは自動車、二輪車専用

 写真の新満地トンネルはトンネルの手前が182m、トンネル入口が179mとなっており、道はやや下りながらトンネルに突入する。写真から分かる通り、このトンネルは自動車、二輪車専用で、人や自転車の通行は不可となっている。といっても、人や自転車は満地峠をトボトボと進んでいくわけではなく、新満地トンネルの東側に旧満地トンネルが残っていて、そちらを人や自転車は利用することになる。新満地トンネルは1991年に竣工したが、それまでは、旧満地トンネルと呼ばれているものがR411の旧道であって、91年以前は人も車もそちらを利用していた。

 なお、トンネルの入口(あきる野市菅生)の標高は179mだが、出口(青梅市友田町)は163mで、トンネル内で標高を16mほど下げる。

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友田交差点はR411で有数の渋滞ポイント

 新満地トンネルを出た地点の標高は上に記したように163mだが、その真西には満地峠(227m)があるので、左側は山の急斜面になっている。一方、右手は多摩川右岸になるが、その河川敷の標高は129mなので、R411との比高は34mもある。つまり、右も左も崖なのである。

 青梅市に入ったR411はゆっくりと高度を下げ、この道路の中で渋滞ポイントとしてよく知られている友田交差点に向かってゆく。上の写真はすでに高度を下げ切った場所で、左にゆっくり曲がった先に交差点がある。道標から分かる通り、R411は奥多摩町、御岳山方向に進んでいく。右折すると、その先は「青梅市街」と表記されているが、間違いとはいえないものの、小作駅近くを通る重要な道でもあるので、青梅・羽村市街と記したほうが混乱は少ないかもしれない。

 本項の冒頭に挙げた写真は、友田交差点にある道標だ。これはR411の行方を記したもので、左に行くと八王子、右に行くと奥多摩、御岳になる。また、青梅市街に出る場合もこの方向に進むのが一般的だ。道標から分かることが2つある。滝山街道としてのR411は友田交差点で終わるということ、友田交差点からR411は吉野街道となるということの2つだ。

 一方、冒頭、2番目の写真も友田交差点にある道標だが、右に進めばR411であることは上記と同じだが、左に進むと吉野街道には違いないものの、そちらは都道249号線になる。

 かように、友田交差点は、R411にとって重要な役割を有する三叉路(Y字路)なのだ。

 上の写真を今一度、見てみよう。道標の「青梅市街」と記された右折方向には六角形(ヘキサゴン)の中に249の数字が記されている。この場合、ヘキサゴンは都道を、249は249号線を意味している。249を見ると、ニューヨークと読んでしまいそうだ。あるいは入浴か?短く入浴するとニュウヨクで、ゆっくり入浴するとニューヨークになるというのは嘘である。

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友田交差点と小作坂下交差点との間にある多摩川橋

 折角なので、さしあたりR411には進まず、交差点を右折してr249方向に進んでみた。写真は右折したすぐ先にある多摩川橋青梅市側から見たものだ。橋を渡ると羽村市になる。橋を越えたr249は小作坂下交差点で奥多摩街道(r29)と交わり、そのまま坂(立川崖線)を上がると坂上交差点で新奥多摩街道(こちらもr29)と交わる。この交差点で吉野街道は終了する。道はさらに、青梅街道、圏央道・青梅IC入口へと続くのだが。

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多摩川橋のすぐ下流にある小作取水堰

 写真の小作取水堰は多摩川橋のすぐ下流にある。なお、玉川上水の取水口のある羽村取水堰は、この堰のさらに2キロ下流にある。

 ここで取水されたものの一部は農業用水として用いられるが、大半は小作・山口線導水路を伝って山口貯水池(通称・狭山湖)へ導水される。狭山湖からは東村山浄水場や境浄水場武蔵野市)へ導水され、三次処理された水は東京都の上水道として利用される。

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多摩川橋の西詰から見た友田交差点の標識

 R411に戻るため多摩川橋から友田交差点に向かった。写真の道路標識はr249から見たものである。左折すればR411は滝山街道として始まり、右折すればR411は吉野街道の延長上にあることが分かる。こうした標識から読み取れる情報は、意外に面白い気付きにつながるのである。

 なお、R411上に走っている道路は圏央道で、秋川から友田交差点まで、R411と圏央道は並行してきたのだった。この交差点のすぐ先で両道路は立体交差(ここでは互いに行き来はできない)し、圏央道は入間、狭山、鶴ヶ島方向へ、R411は御岳、奥多摩方向へ進み、別々の旅に人や荷物や車をいざなう。

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昨年の台風19号が多摩川に刻んだ傷跡

 友田交差点から1キロほど進んだ右手に、「友田リクリエーション広場」に至る道がある。広場は、多くの多摩川河川敷でよく見られるようなスポーツ広場や公園、散策路として整備されている。しかし、 昨秋の台風19号の大増水で広場がある右岸側は大きく削り取られ、野球場は外野部分の多くを、公園施設はほぼすべてを失った。ここは多摩川の流れが左にカーブする位置にあるため、大濁流は曲がり切れずにコンクリート護岸を大きく破壊し、さらに広場の土盛りまでをも流し去ってしまったのだ。

R411は青梅街道に名を変える

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この交差点でR411は吉野街道に別れを告げる

 吉野街道は多摩川右岸を付かず離れずといった感じで西進するが、R411は写真の畑中一丁目交差点で右折し、今度は青梅街道として奥多摩方向を目指すことになる。一方、吉野街道はそのまま多摩川右岸を進むが、この交差点からは都道45号として西進する。

 右折したR411は青梅街道を目指す。が、その街道は多摩川左岸を西進しているものの、多摩川は硬い岩盤に行く手を遮られて大蛇行を続けているため、多摩川とは吉野街道同様、付かず離れず状態にある。そのためもあり、R411は交差点からすぐに多摩川を渡る(万年橋)ものの、青梅街道とはただちに合流することはできず、800mほど北上する必要があった。

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R411が青梅街道に合流する丁字路

 R411が青梅街道(都道5号線)と合流するのは、写真の標識がある青梅市文化交流センター南交差点である。新宿大ガード下から始まった青梅街道は都道4号線として青梅を目指し、田無で都道5号線となってここに挙げた丁字路まで進んでくる。そして、R411に合流した青梅街道は、ここから国道411号線として西を目指し、最終的には甲府にたどり着くことになる。

 畑中一丁目交差点で吉野街道の名を失ったR411は、この交差点で今度は青梅街道の名を得る。両交差点間の約800mは「街道」の名は存在せず、R411として独立自尊?の短い旅を進めている。

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釜の淵公園に至る柳淵橋

 上に挙げた青梅市民会館南交差点のすぐ南側には青梅市立美術館があるが、その裏側にある多摩川は大蛇行して逆Uの字を造っている。そのUの字の間に造られたのが釜の淵公園である。駐車場は2か所ある。ひとつは吉野街道沿いにある「かんぽの宿・青梅」の裏手に位置する無料のスペース。ただし、駐車場所は狭くそれに至る道も狭いので、満車のときは引き返すのに苦労する。もうひとつは、R411から「郷土資料館」と書かれた小さな看板のある丁字路を入り多摩川左岸の際に進むもの。こちらはゆったりとしたスペースがある。ただし有料。もっとも一日100円なので、私はこちらを毎回、利用している。件の丁字路は「無名状態」になったR411にあるが、信号はないので、上に触れた「郷土資料館」の小さな看板を頼りにするのみであるが。

 駐車場からは写真の柳淵(りゅうえん)橋を渡って公園の敷地に入る。橋のたもとには「若鮎の碑」があるが、撮影にはやや勇気がいる。青梅市はとても魅力的な町なので、いずれ青梅市単独でひとつの項を立てる予定でいる。そのときには勇気を振り絞って、その像を撮影するつもりでいる。

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特徴的な佇まいをしているかんぽの宿・青梅

 柳淵橋からかんぽの宿を望んだ。吉野街道から見ると変哲のない宿に見えるが、こちらから見るとかなりロケーションは良さそうだ。ちなみに、2人で一泊2食付き8畳の和室で、26100~37300円とあった。強盗を使えば限定クーポンを含めればほぼ半額になるのでリーズナブルな料金といえる。しかし、強盗が東京都にも適用されて以来、予約難しくなっているようだ。

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琵琶湖産鮎放流の地にある鮎美橋

 写真の鮎美橋は柳淵橋の反対側にあり、公園から青梅市街に進むには便利な橋である。橋の東詰あたりから立川崖線が生まれている。私は毎回、この橋上から流れの中を観察してアユの姿を探すのだが、発見したことはあまりない。

 アユは秋に産卵し、ふ化した稚魚は川を下って河口付近で生活し、春に川をそ上しておもに中流域で育ち、秋に産卵して一生を終える一年魚である。一方、琵琶湖には湖内で一生を過ごすアユがいて、これは海に下るアユとは別種であると考えられてきた。1910年、東京帝大の石川千代松博士はそれを同一のものと考えて論文を発表し、さらにそれを実証するために、多摩川の青梅地区に琵琶湖の稚アユを運びこんで実験をおこなった。稚アユは大きく育ち、石川博士の理論の正しさは証明された。

 青梅は琵琶湖産アユ放流事業の発祥の地であり、かつ江戸時代から青梅の鮎は庶民の生活を支える重要な資源でもあったこともあって、釜の淵公園には「若鮎の碑」や「鮎美橋」など、アユにまつわるものが存在するのである。

 近年では琵琶湖産アユの放流事業には問題点が数多くあるという指摘もなされている。この点については、アユ釣り師のひとりとして、改めて触れてみたいと考えている。さしあたり今回は、青梅とアユと釜の淵公園とのつながりをごく簡単に触れてみた次第だ。

 R411を行く旅は、その道の終着点である甲府市甲府警察署前交差点)まで続く。次回は、青梅市街から奥多摩湖のバックウォーター付近まで出掛ける予定だ。

 3ケタ国道の旅はいろいろな発見があって面白い。いや本当に。