徘徊老人・まだ生きてます

徘徊老人の小さな旅季行

〔61〕紀伊半島の辺地をチョットだけ徘徊~なんて奥深い自然なんだ!!

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古座川(の支流)の清き流れ

◎古座川に対する長年の想いが今夏に実現!

 ”ケンさん”(仮名)は20数年前に、紀伊半島の南端を流れる古座川を題材にしたNHKのドキュメンタリーを見た瞬間、その川に深く強く魅せられてしまった。そこで彼はすぐに古座川町役場に手紙を出し、古座川に関する資料を送ってもらうことにした。以来、”いつかは古座川へ”という想いをずっと心に養い続け、とうとう2017年の晩冬に、”古座川でアユ釣りをしてみたい”と、少々顔を赤らめながら、私にその熱い心情を吐露した。

 一方、私は20数年前から長い間、紀伊半島周囲にある磯場の魚(メジナクロダイ)の濃さと熊野山地の森の深さにゾッコン惚れ込んでしまって、年に何度も紀伊半島に出掛けていた。古座川の存在は司馬遼太郎の『街道をゆく・古座街道』を読んでいたので認知していたものの、川に沿って整備されている道(国道371号線など)は一度も通らず、ただ河口に架かる国道42号線の古座大橋からその流れを垣間見るだけだった。

 ケンさんとは10年以上も前に、横須賀市にある釣り場(本ブログの第42回で取り上げている場所)で知り合った。竿を出しながらも、ウキの行方よりも読書のほうに強い関心を示すというやや特異な存在であったため、私は彼の人間性に興味を抱いた。

 やがて一緒に、といっても私の住まいと彼の住まいとは直線距離にして41.6キロも離れているので現地集合・現地解散だが、城ケ島をメインとする三浦半島南端の磯に出掛ける機会が多くなった。 

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森の中をゆったりと流れる古座川(の支流)

 5年前(2016年)の春、城ケ島の磯でケンさんと並んで竿を出してメジナ釣りをしていたとき、彼は私にこう切り出した。「アユの友釣りを始めてみたいのだけれど」と。私は、ケンさんとはアユ釣りの話をしたことはなかったが、横須賀の釣り場で見知った秋田県出身のHさん(彼については第42回で少し触れている)とよくアユ関係の話をしていたので、彼は私がその釣りの経験者であることを知っていたのだろう。

 私は30年ほど前に、本ブログの第7回で触れているN氏とアユの友釣りを始めたのだが、彼が亡くなって以来少しずつその世界とは距離を置くようになり、ケンさんからその相談があったときの7年前には友釣りの世界からは完全に足を洗っていた。しかし、道具類の大半は残したままであった(当時はまだ終活を考えていなかったので)。他の釣りならともかく、アユの友釣りだけは見よう見まねでおこなうことは不可能に近い。そこで私も久方ぶりにその世界に立ち戻ってみようと考え、彼とともに”友釣り指南”を兼ねて川に出掛けることにした。

 2016年の6月某日、中央道・藤野パーキングエリアで待ち合わせ、彼の初めてのアユ釣り舞台となる山梨県桂川水系・鶴川に向かった。ケンさんは、ウキ釣りとはまったく異なる仕掛け、手順にかなりの戸惑いを見せていたものの、そこは年季の入った「釣りバカ」ゆえ、トラブルを重ねつつも友釣りの面白さを少し見出したようだった。

 それ以来、一緒に川に出掛けることが続いたことで、ケンさんにとっての釣りは「アユの友釣り」が最優先行事となり、アユのシーズンオフ(11月から5月)に磯釣りを楽しむというサイクルが固定されてしまった、現在に至るまで。いやはや……

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古座川(の支流)には岩盤底のポイントが多い

 それから5年後の2021年7月下旬、ケンさんの20数年越しの古座川純愛が、当時は思いもよらなかったはずのアユ釣りという形で実現することになった。実は、古座川釣行はすでに18年、19年、20年にも計画していた(17年は道志川釣行が盛り上がったので古座川の話題は立ち消えになっていた)のだが、いずれも予定日は悪天候に見舞われ、中止のやむなきに至っていたのだった。

 府中(遠出のときケンさんが私の自宅に出向いてくる)から古座川までは600キロ、8時間というなかなか遥かな道程になる。若い時分には一日1000キロという運転はしばしばこなしていたが、徘徊老人には600キロは限界に近い距離になる。それゆえ、その地で遊び呆けるためには最低でも3泊4日は必要で、できれば4泊5日以上が望ましいと考えられた。

 夏場、とりわけ梅雨明け時期は「梅雨明け十日」という言葉があるように、7月下旬から8月上旬は晴れの日が続いたものだが、昨今の気候変動下ではそんな言葉は死語になってしまった。しかも、アユ釣りの場合は天気が良ければそれでよしという訳では決してなく、川が平水に近い状態が要求されるため、雨上がりだからといってすぐには出掛けられないのである。

 そんなことから3年連続して古座川釣行は叶わなかったのだが、21年の夏は天気には恵まれた。もっとも、初の古座川釣行が実現した7月下旬はギリギリまで決断を躊躇した。というのも、23日に発生した台風8号は異例のコースを取り、通常なら南西から北東に進むはずの台風は南東から北西へと向かったのであった。このため、早めに北西に進んで日本海に入ってしまったならば太平洋側は大雨になる。そうなると、紀伊半島南部にある古座川は大増水になることは避けられなかった。

 しかし、台風は予想よりも北方向に進み、大回りしてかつ勢力が衰えてから日本海に出ることが判明した。そこで、宿願であった古座川行きを決行したのだった。ただし、台風の進路の大方が確定したのは出発予定日の朝方だったため、事前に決めていた午前6時発ではなく、午後2時の出発になってしまった。日和見主義者的存在である釣り人にとって、これは致し方ないことであった。

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まずは三重県の銚子川でひと泳ぎ

 出発時間が遅れたことで、その日のうちに紀伊半島南端まで達することは徘徊老人にとって困難だと考えられたゆえ、安全性と体力を考慮に入れ、三重県松阪市に宿をとることにした。府中から松阪までの距離は約430キロなので、午後7時頃には到着できそうだ。

 私にとって松阪市といえばまずは本居宣長のことを思い浮かべ、その町に立ち寄った際は必ず本居宣長の旧跡を辿ることにしており、「松阪牛」には目もくれないのだ。理由は実に簡単、その牛肉はすこぶる高価だからだ。

 今回はケンさんが同行するので、私の奢りで「松阪牛」を賞味しようと提案したのだが、彼はまったく食道楽には興味がないようで、結局、夕食はホテルに隣接している「スシロー」で済ました。なにしろ彼は、清水港のすぐ近くの宿(駿河健康ランド)に泊まっても、新鮮な魚介類は食さず、いつも(今年も興津川釣行で2回泊まった)「サバの塩焼き定食」を注文する人なのだ。

 松阪市はあくまで仮の宿で、そもそもその地点ではまだ紀伊半島に足を踏み入れてないこともあり、ホテルの朝食バイキング(無料)を早めに済ませた私たちは、すぐに出立して伊勢自動車道の松阪ICに向かった。

 紀伊半島はその定義として中央構造線の南側をいうことになっている。西側ではそれが明瞭で、構造線には紀の川(上流部は吉野川)が流れている。が、東側は不明瞭で、一応、松阪市のすぐ南側にある櫛田川中央構造線跡とされている。松阪ICに入って伊勢自動車道を8キロほど進むと櫛田川を渡る。その地点から、私たちの紀伊半島の旅は本番となった。

 この日も空は晴れ渡っており、台風8号の影響は皆無だった。ケンさんは、この晴天続きのお陰で、もはや古座川との邂逅が確実となったことですっかり余裕の姿勢を見せ、私が古座川と同じくらい行きたいと考えていた銚子川に立ち寄ることも激しく同意してくれた。そればかりか、上の写真のように彼はその川の河口付近で泳ぎ回ることさえした。

 尾鷲市のすぐ北側を流れる銚子川の存在自体は20数年前から知っており、この川に架かる道路(国道42号線)は数えきれないほど利用していた。が、紀伊半島には清流と言われる川は数多くあるので、橋から川の流れを見ても格別な印象を抱くことはなかった。が、ここ数年、「奇跡の川」としてNHKが何度もドキュメンタリー番組で取り上げており、私はその番組を見て以来、俄然、この川に関心を抱き始めていたのだった。

 古座川愛のケンさんも、私と同じようにそのテレビ番組を見ていたためか銚子川に対しても興味・関心があったようで、この川に立ち寄ることを想定して、しっかり水着と水中眼鏡を用意していたのだった。

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ゆらゆら帯が観察できる区域だったけれど

 彼のお目当ては、河口付近で見られる「ゆらゆら帯」だった。通常の川であれば河口付近では単純に汽水域を形成するだけだが、この川では上層に透明度の高い淡水、下層に比重のある海水と分かれ、両者が混ざり合う境界部が揺らいで見えることから、その場所は「ゆらゆら帯」と名付けられていた。が、ケンさんの懸命なる素潜りにも関わらず、この日は条件が良くなかったためか、ゆらゆら帯を確認するには至らなかった。

 銚子川ではアユ釣りを試みることも想定していたのだが、大渇水状態であったことが理由なのか、釣り人の姿は皆無だった。そのこともあり、この川での釣りはパスし、先に進むことにした。

◎日本一短い川に親しむ

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ぶつぶつ川とぶつぶつおじさん

 銚子川を離れた私たちは、早めに南下を再開するべく海山ICから紀勢自動車道に入り、暫定開通区間が一旦終了する大泊ICで国道42号線に移った。ここからは熊野灘をひたすら左手に望みながら紀伊半島の南端に向かって移動することになる。世界遺産の「鬼ヶ城」や「花窟神社」が国道沿いにあるのだが、それらには立ち寄らなかった。

 ケンさんの関心はすぐ左手に広がる海岸線にあった。ずっと以前からその浜の風景が好きだったそうだ。そこは「御浜」と呼ばれる砂礫海岸で、延々と22キロも続いている。砂浜海岸であれば九十九里浜が日本ではもっとも長いが、砂礫海岸では御浜が日本一とのことだ。

 暑い盛りにも関わらず、夏休み中にも関わらず、晴天にも関わらず、長い海岸線に立つ人の姿は散策する二人組を一度見た限りだった。決して、波が高いわけではなかったのに。22キロの区間にたった二人。その人たちは至高の贅沢時間を過ごしていると思われた。もっとも、砂礫浜からの照り返しで、ただ暑いだけだったかもしれないけれど。

 御浜を過ぎて熊野川を越えると、国道42号線は和歌山県新宮市に入る。ここの国道脇には世界遺産の熊野速玉大社があるのに、私たちは通り過ぎてしまった。先を急いでいたからだ。が、すぐに私はハンドルを左に切って、新宮市街域を進むことにした。

 新宮市には『田園の憂鬱』や『都会の憂鬱』などの作品で知られている佐藤春夫の記念館や「徐福公園」があり、広義には「補陀落渡海」の出発点(狭義には那智勝浦町)もある。が、私の関心はそのいずれでもなく、この町で生まれ育ったことがその人物の作品に色濃く反映されている小説家と同じ空間に存在することを望んだからだ。それだけの理由で、私は新宮市では何度か宿をとったことがあった。

 そんなことをケンさんに車中で話をしていたのだが、なんと、私はその小説家の名前が出てこなかったのだ。車を止めてスマホで検索すればすぐに済むことなのだが、それでは「ド忘れ癖」は治らないし、新宮市街を走れば名前を思い出すかもと考え、ケンさんの了解を受けた上で国道を左折したのだった。先を急いでいるはずなのに。

 彼には話さなかったが、実はそのとき「けんじ」までは思い出していた。しかし、下の名が「けんじ」だと、すぐに浮かんでくるのは新沼謙治の名で、すると『嫁に来ないか』のメロディが頭の中を駆け巡ってしまい、小説家のほうに思いを向けることができなくなった。

 結局、市街域を走っても思い出さなかったので、私は南下作業に戻ることにして、紀勢自動車道の暫定開通区間である「新宮・那智勝浦」道路に入った。その自動車専用道をしばらく走っているとき、「中上健次」の名が突然に思い浮かんできた。ただそれだけ。

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川の名の由来とされる「ぶつぶつ」

 次の立ち寄り地は「ぶつぶつ川」。全長13.5mの日本一短い川だ。この川については本ブログの第42回で触れている。その存在は知っていたし、その川が国道の東側近くにあることも知っていた。そして何度も「ぶつぶつ川入口」の看板を見ていたはずなのに立ち寄ったことはなかった。ケンさんも以前からこの川には相当な興味を有していたらしいので、私たちは初めて、ぶつぶつ川に直接、触れることにしたのだ。

 ぶつぶつ川は上の写真のように、伏流水が”ぶつぶつ”と川底から湧き出てくるところからそう名付けられた。ケンさんは静岡県興津川では「ぶつぶつおじさん」として釣り仲間に知られている。友釣りの際、よく何かブツブツ言いながら竿を出しているからだ。とりわけ、ライントラブルの際には、仕掛けに向かってぶつぶつ独り言をいうので、興津川の釣り仲間がケンさんに「ぶつぶつおじさん」の名を進呈したのだった。富士には月見草が、ぶつぶつ川にはぶつぶつおじさんが良く似合う。

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本川からふつぶつ川へ遡上を開始したおじさん

 写真は、ぶつぶつ川本川である粉白(このしろ)川で遊ぶ子供たち(若い女性も)と、本川から支川であるぶつぶつ川との合流点に立って、遡上を開始するぶつぶつおじさんの姿を写したものだ。とても若鮎とは類比できないけれど。

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粉白川は玉ノ浦湾に流れ着く

 本川である粉白川はぶつぶつ川の流れを取り込んだ後、ほどなく玉ノ浦湾に流れ込む。白い砂浜と澄み切った海水、変化に富んだ海岸線が見渡せる海水浴場が広がっているにも関わらず、海遊びを楽しむ人の姿は少なかった。夏休み中なのに。

◎やっと古座川にたどり着く

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古座川の一枚岩

 日本一短い川で豊かな時間を過ごしたのち、いよいよ今回の旅の最大の目的地である古座川に向かった。ぶつぶつ川から古座大橋までは約12キロ。国道はガラガラなので15分ほどで辿り着くはずだ。

 古座川の上流に向かうなら古座大橋の手前で右折して川の左岸を進むほうが少しだけ早いのだが、まず川の流れを眺めるために大橋を渡った。ちょっぴり記憶の中にある流れだったけれど、河口付近なので水量の多寡は不明だ。

 橋を渡り、川の右岸側にある県道38号線(すさみ古座線)を上流に向かって進んだ。もっとも、2700mほどで道は川を渡って(河内橋)左岸側にでる。ここからは古座川町の中心集落を離れるので、田園風景と左手に滔々と流れる古座川を望みながら進むことになる。前方には熊野山地のへりにある山々も視界に入った。

 さしあたり、憧れていた川の流れに触れるために広めの路側帯に車を止めた。午後3時のこと。そのとき頭にひとつの思いが浮かび上がった。「今日、どこに泊まるの」。

 ケンさんが持参した20数年前の観光案内図によると、川沿いには何軒も温泉旅館や民宿があるようだった。今も開業しているかは不明だけれど。地図によれば停車中の場所のすぐ先に温泉旅館があるようなので、そこに移動して宿泊が可能であるか直接、尋ねてみた。が、あいにく満室とのことだった。

 つぎに、地図に示してある民宿に何軒か電話してみると、いずれも不在か不通だった。私はスマホ古座川町のサイトを調べてみた。たしか、事前に検索したときには支流のほうに一軒、民宿があることを思い出したからだ。その民宿の電話番号をケンさんに伝えると彼はすぐに連絡をとった。何度かの呼び出し音ののちに電話がどうにか通じ、宿泊できることになった。ただし、夕飯の用意は間に合わないかもしれないとのことだったので、ケンさんは「ご飯と漬物さえあれば良いですよ」と答えていた。

 古座川河口から半島南端の串本町の中心街までは5,6キロの距離なので、私は宿泊施設に関してはさして心配していなかった。串本町の高台には、かつて私が定宿にしていたホテルがあるからだ。古座川界隈には3泊するつもりだったので、さしあたり今夜はその支流沿いの民宿に泊まり、あと2泊はまた改めて検討すれば良いと考えた。

 ということで、今夜の宿が確定したので、私たちは古座川見物を始めた。見所としては、上の写真にある「古座川の一枚岩」が代表的。国指定の天然記念物で、高さ150m、長さ800mもある。この手の巨岩は実際に見るとそれほどでもないと感じるものがほとんどだが、この一枚岩の巨大さには、ただただ圧倒されるばかりであった。それほど凄ざまじいと思えるほどのデカさなのだ。

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天柱岩も一枚岩と同じ成り立ち

 写真の天柱岩は一枚岩の西側1400mほどのところにある。この岩の成り立ちは一枚岩と同じで、約1400年前に形成された「古座川弧状岩脈」が元になっているとされている。約1500万年ほど前にこの地に「熊野カルデラ」が形成され、のちにカルデラの外輪山の内側に接するようにマグマが貫入し、それが冷え固まったものが約20キロの長さに及ぶ火砕岩(流紋岩質凝灰岩)の連なりであると考えられている。今回は触れていないが、「牡丹岩」「虫喰岩」といった巨岩が古座川町内にあるが、これらも弧状岩脈のひとつとされている。かつては、その20キロにも及ぶ岩脈すべてが「一枚岩」だったはずだ。

 ちなみに、串本町にある名勝「橋杭岩」も、この弧状岩脈と同じ時期に形成されたものと考えられている。

◎民宿「やまびこ」にたどり着く

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小川(こがわ、古座川の支流)の名所、「滝の拝」

 古座川探索を切り上げ、私たちは宿泊場所に決まった「民宿やまびこ」に向かった。そこは古座川の一次支川である小川(こがわ)の右岸にあり、小川(こがわ)集落に属している。すぐ下流側にはこの地域の観光名所の「滝の拝」があるので、道は分かりやすかった。

 古座川に小川が合流する地点の近くに架かる「明神橋」西詰から県道38号線と分かれ、県道43号線を「滝の拝」方向に進む。約8800m進んだ場所に「滝の拝」があり、そこから道は急に狭くなり、さらに小川集落の先は車がすれ違うのが大変なほどの林道となる。

 小川は古座川の支流とはいえ、私たちがもっとも多く友釣りを体験している山梨県桂川本流ほどの広さがある。河川敷も広いため、とても釣りやすそうな川相であった。何よりも、水の透明度と言えば友釣りができる場所としては比類がないほど高く、日本を代表する清流とされる古座川本流よりもはるかに美しい。さきに見た銚子川にも勝るとも思えた。そういえば、『街道をゆく・古座街道』の中で、古座川は七川ダム(1959年竣工)が出来て以来、かつての水の清らかさは失われ、今では小川にその面影が残っている、と語った古老の嘆きが記されていたことを思い出した。

 民宿に向かう道の途中で、友釣りをしている人の姿を見つけたので、車を空き地に止めて河原に降り、少しだけ話を聞くことにした。渇水のために釣果はあまり良くないとのことだったが、それでも30匹以上は釣り上げていた。どこに宿泊するのかとその釣り人に尋ねられたので「やまびこ」と答えると、それなら同じ宿だとの返事が返ってきた。

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私のお気に入り、「民宿やまびこ」の入口

 小川集落に入り、駐車場とされている広場に車を置き、まずは「民宿やまびこ」を探した。広場の横に写真にある看板がすぐに目に入ったので、簡単に見つかった。私は民宿という存在は苦手なのだが、とりあえずこの日の宿はここしか見つからなかったので致し方ないと諦念していた。一方、ケンさんは民宿とかひなびた旅館とかが好みである。が、この看板とその背後にあるうらぶれた建物を見たときは、さすがに「やばい」(この言葉本来の意味で)と思ったそうだ。

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2階の窓の開いている所が泊まった部屋

 しかし幸い?なことに、民宿はこの平屋の建物ではなく、矢印が示すように右手下にあった。上の写真が民宿本体で、左手の二階の右側(窓が開いているほう)の6畳間が私たちの部屋として当てがわれた。中に入ってみると、階段は急だし、二階にはトイレがなかった。網戸を閉めていても虫たちは遠慮せずに室内で大きな会合を開いていた。おまけに、ケンさんが歩く(動くだけでも)度に部屋はグラグラと揺れた。

 こうした建物は、睡眠障害を有する私にとってもっとも不得手である。慣れない場所に泊まった時、夜中に何度もトイレに行きたくなるが、その都度、その急な階段を上り下りしなければならないのだ、部屋を揺らしながら。私はこの宿が見つかってしまったことを大いに後悔した。ここさえ見つからなければ、串本町の高級?ホテルで過ごすことができたのに、と。

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部屋から川を望む

 それでも、部屋の東側から望む小川の流れは美しいと思ったし、心が休まった。上方から来る流れが小川、左手前から小川に流れ込むのが宇筒井川だ。合流地点には広大な砂岩質の岩盤がある。

 なお、写真では見えないが、この右手方向に「滝の拝」がある。

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ヤマガラと戯れる

 一階のテラス付近には野鳥(ヤマガラ)が集まっていた。宿の人や釣り人がヒマワリの種を餌として与えているためもあり、裏の山や対岸の森から鳥たちはここに集うのだ。それだけでなく、写真のように、手のひらに種を置き、それを鳥のほうに突き出すと、鳥は指先に乗ってから種をくわえ、そして巣へと飛び立ち帰って行く。

 鳥たちはテラスに人が集まるとこうした遊びをすることをよく知っているようで、次々に何羽も集結してテラスの屋根や川沿いの手すりに止まって順番待ちをする。私は、こうした遊びは大好きなので、時が過ぎるのを忘れてしまいそうだった。野生のヤマガラと対話ができるこの民宿を、私は好きになり始めていた。

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小川(こがわ)の流れ

 夕食時、川で出会った大阪から来た釣り人のMさんにいろいろと話を伺った。おまけに、翌日は私たちにために実績のある釣り場を何か所か案内してくれることになった。旅先でのこうした親切に触れたことで、私の心は古座川(の支流)愛が満ちてきたし、心温かき人が利用するこの宿がますます好きになってきた。

 そればかりか、宿の「おかあさん」の懸命に働く姿にも感銘した。夕飯のおかずは漬物だけでなく何品も出た。名物の天然うなぎも少しだが出た。こうした心づくしに胸打たれ、おまけに宿の4歳の女の子の人懐っこさも楽しさと明るさを添えてくれた。建物の造作においては欠点が目立つ宿であるが、ヤマガラを含め心地好いおもてなしがよりいっそう際立つ思いを感じた。私はここに連泊することを決め、もちろんケンさんも完全に同意し、結果として「民宿やまびこ」に3連泊したのだった。民宿が苦手な私には異例とも思える成り行きとなった。

 ところで釣りはどうだったの?友釣りそのものは渇水時ということもあって(腕の悪さが一番だが)相当に難儀した。が、そんなことは大した問題ではなく、豊かな自然と素晴らしき人々に触れられたこと、そのことが古座川(の支流)に来たことの意義や価値を十二分に有していたのだった。

◎古座街道を走る

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イノブータンランド・すさみ

 司馬遼太郎は、古座街道を使って古座川に至った。私たちも、それに習うことにした。2回目の古座川釣行のときである。

 7月下旬の釣行の後、私もケンさんも「古座川ロス」に見舞われた。古座川に出掛ける前までは、8月は岐阜の馬瀬川や和良川、あるいは滋賀の安曇川などに遠征する予定だった。古座川から戻った後にはそれらの川にはさして魅力を感じなくなり、果ては「裏を返さなければ釣り人ではない」と遊里言葉で再度の古座川行きを本気で思うようになったのだった。結果、8月下旬に4泊5日の予定で旅立ったのである。

 今度は事前に「やまびこ」へは3泊の予約を入れておいた。古座川の魅力の何割かは、その宿と宿に集まる釣り人とヤマガラが占めていたからである。

 司馬の『街道をゆく・古座街道』を改めて読み直したことから、私たちは45年前に司馬御一行が使ったルートで古座川に至ることを決めていた。それゆえ、古座大橋を渡っても右折せず、そのまま串本町を通り過ぎて「すさみ町」へ向かった。司馬御一行は大阪が拠点なので反時計回りルートですさみ町に至ったのだが、私たちは時計回りで向かった。その理由は簡単明瞭で、上の写真にある「道の駅・イノブータンランド」に立ち寄りたかった(私が)からだ。

 私は前に触れたように20数年前から紀伊半島の南端の磯に通っていたのだが、その際に必ず、この道の駅でトイレ休憩をしていた。もっとも、この近辺に来ると尿意をもよおすというわけでは決してなく、”イノブータン”の語感が素敵だと思ったからだ。

 イノブータンは誰もが分かるように「イノブタ」が元になっている。日本でイノブタの繁殖に初めて成功したのは、すさみ町にある和歌山県畜産試験場だったため、この町ではそれを記念して1986年に「イノブータン王国」を建国したのだった。だが、その思惑は必ずしも成功したとは思われず、現在では道の駅もトイレと休憩施設があるのみとなってしまった。

 ラテン語イノブタは”hybrida"(ヒュブリダ)と言う。それが英語化され”hybrid"となった。現在、自動車だけでなくあらゆる分野で用いられる「ハイブリッド」の語は「イノブタ」が語源だ。日本でハイブリッド車を流行させたのはトヨタだが、私には、BMWが(そのフロント部分が)「ハイブリッド」に相応しいように思う。 

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古座街道は周参見川に沿って進む

 周参見(すさみ)川に沿って走る県道38号線(すさみ古座線)が旧古座街道のルートだった。かつての熊野参詣道のひとつであった大辺路紀伊半島南端部分が難所であったため、迂回する内陸路として開拓されたのが古座街道だったらしい。司馬御一行は、そのルートをタクシーで辿ったそうなので、私たちもそれを真似てわざわざ遠回りしてこの道を選んだのだった。

 司馬の著書によると45年前は大変な隘路だったようだが、近年は大きな政治力が働いたためか、途中までは立派な道路になっていた。

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司馬遼太郎も感動した?「雫ノ滝」

 立派に変貌しつつある道路がまだ元の姿を残している場所の近辺にあったのが、写真の「雫ノ滝(雫の滝とも)」だった。司馬が著書で触れているように、風の強い日には滝の雫が道路にも舞い上がってくるのでそう命名されたらしい。落差30mの二段の滝で、やや荒れた階段路を下りると滝壺際に出ることができる。階段は雫で濡れているため、かなり気を使って上り下りした。

 滝の上を通る県道は標高244m地点にあり、それから500mほど進むと小河内集落に入った。「民宿やまびこ」がある小川集落よりも人家は多い。その先にある「獅子目隧道」あたりが県道の最高地点(標高290m)であって、それから道は少しずつ下りに入り、佐本という大きめの集落は159m地点にある。その先には小尾根があるために道はやや上りに入るものの、尾根を洞谷トンネルでパスをすると再び下りに入り、添野川、平井川という古座川水系の支流に出会う。やがて県道は七川貯水池を越えていき、「今津橋」の東詰を左折すると、貯水池の上流側にある古座川の本流を遡上することになる。

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七川貯水池に流れ込む古座川本流

 写真は、今津橋東詰から3キロほど上流に進んだところから古座川本流の上流方向を眺めたもので、貯水池のバックウォーター部分にあたる。本来は透明度の高い川のはずだが、こうして流れが淀んだ場所には青苔が生育してしまうために川自体が有していた美しさは消失している。

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それにつけても巨大な一枚岩

 七川貯水池上の古座川を探索してもあまり意味があるとは思えなかったので、この場所からは早々に引き上げ、七川ダムの下流部の流れを見て歩く(実際には車で移動)ことにした。

 2回目に訪れたときは大雨の数日後だったためもあって水位は平水よりやや高めで、水もやや白濁していた。流水がなかなか綺麗さを取り戻せずにいることがダムによる悪影響のひとつだ。前に来た時に較べると釣り人の姿は多いように思われたが、いずれも釣り人は腰から胸近くまで流れの中に立ち込んで竿を出していた。こうした釣りは私たちには不似合いだと思えたので、今回も本流では竿を出さないことに決した。

 となれば、釣り場探しをするまでもなく、あと立ち寄る場所と言えば「一枚岩」を望む公園以外にはなかった。写真中央のやや右手に立っているのがケンさんだ。この様子からだけでも、一枚岩の巨大さがよく分かる。

◎本拠地の「民宿やまびこ」に入る

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「滝の拝」の上流部

 午後5時過ぎに私たちは「民宿やまびこ」に到着した。寄り道をしなければ600キロの道程だが、古座街道を使うなどの遠回りをしたため、この日の走行距離は720キロ。ただ、変化に富んだ場所を走ってきたためか、疲労感はさほどなかった。

 私は前回、「滝の拝」を見学していなかったので、夕飯までの少しの間、滝の界隈を散策した。滝自体は落差があるものではないため、滝という言葉とは裏腹に豪快さは感じられないが、写真にある通り、滝の上流側の岩盤の姿に興味をそそられた。基本的には砂岩質の岩盤だが、ここは小川と小川の支流である宇筒井川(古座川の二次支川)が合流する場所のすぐ下流なので水量の増減が激しい。増水時には上流から大小の礫も多く流れ込むため、それらが岩盤の表面を削り込む。それだけでなく、たまたま出来た穴に小石がはまり込み、それが激しく回転することで円形状の穴になる。これを甌穴(おうけつ、ポットホール)と言うが、ここには円形の穴が数多くあり、極めて変化に富んだ岩盤を形成しているために見飽きることがないのだ。

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「滝の拝」名物のトントン釣り

 滝の下流側では名物の「トントン釣り」がおこなわれていた。滝の下には遡上するアユが多く集まるので、それらを狙う釣り方だ。仕掛けはハリとオモリだけ。仕掛けを上下させることで、群れているアユを引っ掛けようとする単純な釣りだ。魚影の濃い小川ならではの釣り方なのだが、現在では特別な許可を得た人にしか許されていない。もっとも私が見た範囲では、見物客がきたときにのみ釣りを始めるといった感じであって、観光客目当てのデモンストレーションだったのかも。

ヤマガラと遊ぶ

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人によく慣れている野生のヤマガラ

 翌朝は、釣りに出掛ける前の恒例?行事となったヤマガラへの餌やりである。写真の木箱にヒマワリの種を置けば鳥たちはあちこちの森から集結してくるのだが、それでは面白みが少ないので、手のひらに種を置いて鳥を集める”手乗りヤマガラ”を始めた。しかも今回は、右手でカメラを持ち構え、左手に鳥を乗せるという行為をおこなった。

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餌を求めて指先にとまる

 人に慣れ切ったヤマガラは、カメラを構えていてもまったく恐怖感を抱かず、写真のように、木箱から餌を乗せた手の指先に飛んでくる。

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餌のひまわりの種をくわえる

 指先に乗った鳥は種をひとつくわえる。

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種をしっかりくわえたのちに巣に戻る

 種を落とさないようにしっかりくわえ直し、感謝の念なのか私をジッと見つめ、そして森にある巣へと戻っていく。こうした行為が、順番待ちでもしているかのように次々と繰り広げられるのだ。楽しく、そして可愛らしく思えるので、飽きようはずはない。

◎小川でのアユ釣り

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小川で友釣りを堪能

 鳥たちと遊んだ後は、民宿から7キロほど上流にある「西赤木」集落の前のポイントで竿を出した。前回もここに来たのだが、そのときは上流に移動して右岸側で竿を出した。左岸の森には野生のサルの群れがいて、甲高い声を上げたり、盛んに木をゆすったり、崖の小石を川に落としたりして私を長い時間、威嚇していた。私も少しだけ応戦したが、多勢に無勢なので、やがて無視し釣りに専念することにした。そうなると、猿の群も去っていった。サル者は追わず、である。

 今回は、宿で出会った常連さんのアドバイスにしたがって、400mほど下流のポイントで竿を出した。人工物が一切、視界に入らずに100%の自然が満喫できる釣り場にも関わらず、しかもこの日は土曜日にも関わらず、私たち以外にこの場所で竿を出す人はいなかった。

 小川には小堰堤などの構造物は一切ない。落差のある小滝も「滝の拝」以外にはないため、河原の移動が容易だ。川は激しく蛇行しているから、変化に富んだポイントは無数にある。しかも、ときには数キロの間、独り占めできる、この日のように。

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澄んだ流れと深い森が心地よい

 水はあくまでも澄み、目に入るのは流れと河原と小さな崖と深い森。小動物やサル(私の宿敵)、シカ、カモシカ、イノシシなどに遭遇することも多い。たとえ釣果が上がらなくても、こうした川に私が現存在しているという事実だけで、喜びが込み上がってくる。

 今年は2回(6泊)だったが、来年は3回以上(最低でも合計では10泊ほど)は訪れてみたい。絶対に。

熊野川に立ち寄る

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熊野川を遡上する

 4泊目は、熊野本宮大社にほど近い川湯温泉に宿をとった。河原(大塔川)にある露天風呂に興味があったというのもそのひとつだ。紀伊半島に来る目的は、磯釣りや川釣りだけでなく、熊野山地の中に自分を置いて身心を浄化するという点もあるのだ。

 3日目の釣りは午前中で切り上げ、古座川町からは国道42号線や紀勢自動車道を使って新宮市に入り、そこから熊野川沿いを走る国道168号線を進んで、この日の宿に向かった。

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日本一大きい鳥居

 私もケンさんも無信心者なので本宮大社の御社殿には行かなかった。が、ケンさんは日本一デカい(高さ33.9m)鳥居を間近で見たことがないとのことだったので、本宮大社から徒歩5分ほどの距離にある大鳥居には立ち寄った。

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山伏の装束を見学

 トイレを利用するために本宮記念館に入った。熊野参詣道の変遷などにも興味を抱いたが、写真の山伏の姿が一番印象的だった。私は修行そのものには関心はないが修験道について調べることは好きだからだ。

 額に付けている頭巾(ときん、頭襟)は、元来は兜巾(ときん)であって頭からすっぽり被るものだったそうだ。

 肩に掛ける結袈裟には前に4つ、後ろには2つのボンデン(束房)がある。6は六波羅密や六根清浄を表すとも言われている。

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観光名所の瀞峡(どろきょう)

 大鳥居を離れ、熊野川の支流である北山川に向かった。本川との合流点から上流部にある七色ダムまでの間が峡谷になっており「瀞峡(どろきょう)」という観光名所になっている。ここにはウォータージェット船が航行していて、瀞峡の変化に富んだ渓相に触れることができる。が、そういったものは利用せず、景色の良さそうな場所に出会ったときに車を止め、渓谷を眺めた。

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昨年までだったらこの舟に乗れたのに!

 瀞峡には、写真のような小型の観光船も航行している。実は、この船は昨年までは川渡しをおこなっていた。私たちのような釣り人を乗せ、釣りに適した場所近くにある河原に下ろしてもらうのだ。瀞峡は谷が深いので入川場所が限られる。そのため、船で河原に運んでもらえば、貸し切り状態で自分たちだけの釣りが堪能できるのだ。ただし、昨今では友釣り客が激減してしまったこともあり、今季から川渡しは廃業してしまったそうだ。残念なことである。

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クレオパトラのショーベン滝と命名

 観光船の発着場を離れ、山間の隘路を奥瀞(おくとろ)方向に進んだ。その途中で目に入ったのが写真の小糸のような滝だった。近くの路肩にやや広めのスペースがあったのでそこに車を止め、その滝を眺めることにした。

 滝にはとくに名はないようだった。こうした場合、私は「クレオパトラのショーベン滝」と呼ぶことにしている。21歳のとき北海道の礼文島に出掛けた際、このような無名の滝に遭遇したところ若いガイドから、地元の人はその滝を「クレオパトラのショーベン滝」と呼んでいると知らされたからである。

 ケンさんに、その名を告げると、「それなら、あまり奥のほうまで見上げてはいけませんね」と彼は言った。そう言いながらも彼は、上部(秘部)が二段になっていることを発見したのだった。

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高貴な水に虹が浮かぶ

 滝に虹が浮かんでいるのを見出した。女王の名を付された(勝手に)滝の高貴な水は豊かな色彩を纏っていた。この滝を最後に、私たちは紀伊半島の辺地の旅を終えるべく、尾鷲市に向かった。途中にあった道の駅で、トイレ休憩をしたけれど。

 人生は偶然の積み重ねである。ケンさんに出会わなければ、ケンさんがアユ釣りを始めたいという無謀なことを言わなければ、今回の古座川釣行はなかった。

 宿を探したとき、温泉旅館に空室があったなら、「民宿やまびこ」に泊まることはなかった。ケンさんの電話が通じなければ、私たちは串本町のホテルから古座川に通っただろうし、そうであれば小川には足を向けなかったかもしれない。

 宿では親切で、しかも愉快な釣り人に何人、何組にも出会った。人懐っこいヤマガラにも出会えた。が、別の宿だったら今回のような豊かな時間や空間はなかったかも知れない。異なる出会いはあっただろうけれど。

 山深いところにある宿だけに、夜は外灯の小さな薄明かりだけが唯一の光源で、周囲はほとんど真っ暗闇状態。それゆえ、頭上を流れる天の川がはっきり見えた。あたかも、澄み渡った小川(こがわ)が天上にも存在するごとくに。

 すべては偶然の出会いだが、その出会いに意味を見出すとき、人はそれを「運命」と呼ぶ。

 

*次回(第62回)は「甲府盆地」を予定しています。下旬には更新します。